教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

世界遺産学習 法隆寺(その4)世界最古の木造建築①

世界最古の木造建築①

 

我が国における本格的な伽藍配置をもつ初期の仏教寺院は、次の3つです。

 

飛鳥寺   造営開始588年     創建596年

四天王寺      593年       600年ごろ?

法隆寺       600年ごろ?    607年

 

飛鳥寺は、明日香村HPで「日本最古の本格的仏教寺院」と紹介されています。

年代は『日本書紀』の記載が根拠となります。

元年……。
蘇我馬子宿禰、請百濟僧等、問受戒之法、以善信尼等付百濟國使恩率首信等、發遣學問。壞飛鳥衣縫造祖樹葉之家、始作法興寺、此地名飛鳥眞神原、亦名飛鳥苫田。是年也、太歲戊申。

崇峻天皇元年(588年)、飛鳥の真神原(まかみのはら)の地にあった飛鳥衣縫造祖樹葉(あすかきぬぬいのみやつこ の おや このは)の邸宅を壊して法興寺の造営が始められたとあります。これが造営開始年です。

四年冬十一月、法興寺造竟、則以大臣男善德臣拜寺司。是日、慧慈・慧聰二僧始住於法興寺

推古天皇4年(596年)11月条に「法興寺を造り竟(おわ)りぬ」との記事があることから、創建年が596年と分かります。

 

四天王寺は、同寺HPで「日本仏教最初の官寺」と謳っています。

「官寺」とは…(日本大百科全書(ニッポニカ)「官寺」の解説)

律令(りつりょう)制下で、堂塔の造営や修理、僧尼の費用が国家から給付され、国家の監督を受ける寺。個人的に建てられた私寺に対する。基本的な性格としては、天皇の発願(ほつがん)で建てられ、皇室や国家の安泰鎮護の祈願が重んぜられた。ただし蘇我馬子(そがのうまこ)の発願による法興寺(ほうこうじ)(飛鳥寺(あすかでら))が官寺的性格をもつに至るのは特例であるが、古くはほとんどの寺院が官寺であった。

四天王寺は、厩戸王による創建です。

年代については『日本書紀』に依ります。

元年……。

秋九月、改葬橘豐日天皇於河內磯長陵。是歲、始造四天王寺於難波荒陵。是年也、太歲癸丑。

推古天皇元年(593年)、「是歳、始めて四天王寺を難波の荒陵に造る」とありますので、593年に造営が始まったことになります。

しかし、創建年に関する記述はありません。飛鳥寺の例に従えば600年ごろであったと推定されます。

四天王寺では、593年の造営開始をもって「創建」としているようです。そうすると、飛鳥寺創建の596年よりも古いということになります。

飛鳥寺日本最古の本格的仏教寺院

四天王寺日本仏教最初の官寺

という一見矛盾するキャッチコピーは、そうした経緯によります。

 

法隆寺は、斑鳩町関連HPで「世界最古の木造建築」と紹介されています。

日本書紀』には、法隆寺創建に関する記載がありません。

したがって造営開始年は不明ですが、関連する記述があります。

九年春二月、皇太子初興宮室于斑鳩

十三年…。
冬十月、皇太子居斑鳩宮。

皇太子(厩戸王を指す)推古9年(601年)、飛鳥から斑鳩に移ることを決意し、宮室(斑鳩宮)の建造に着手、推古天皇13年(605年)に斑鳩宮に移り住んだということです。

斑鳩宮」はいま「夢殿」がある場所で、法隆寺の東に位置します。

つまり、厩戸王の住居の西隣に建てられたのが法隆寺です。

この造営、転居の年代から、法隆寺の造営開始は600年ごろではないかと推測されます。

創建年に関しては、『法隆寺金堂薬師如来像光背銘』に次のように記されています。

池邊大宮治天下天皇。大御身。勞賜時。歳
次丙午年。召於大王天皇與太子而誓願賜我大
御病太平欲坐故。将造寺薬師像作仕奉詔。然
當時。崩賜造不堪。小治田大宮治天下大王
皇及東宮聖王。大命受賜而歳次丁卯年仕奉

文面は、「用明天皇が病気の時(用明天皇元年(586年))、平癒を念じて寺(法隆寺)と薬師像を作ることを誓われたが、果たされずに崩じた。のち推古天皇聖徳太子が遺詔を奉じ、推古天皇15年(607年)に建立した。」という趣旨の内容です。(「Wikipedia」による)

これにより。創建が607年であることが分かります。

 

 

いずれにしても、法隆寺は3番目の本格的仏教寺院です。

しかし同時に、法隆寺は「世界最古の木造建築」です。

 

3番目の本格的仏教寺院が「世界最古の木造建築」とはどういうことでしょう。

次回に……