1942(昭和17)年6月5日~7日のミッドウェー海戦で日本海軍が敗北しました。
「 開戦以来、進撃を続けていた日本軍は、昭和17年6月にミッドウェー海戦での敗北を境に徐々に後退することとなり、南太平洋上の数々の島嶼にあった基地も奪われることとなりました。」と内閣府の公式HPにもあるように、太平洋戦争のターニングポイントとなった日です。
ミッドウェー海戦については多くの著作やネット記事が存在します。詳細はそれらに譲り、ここでは『百科事典マイペディア』の記述を引用して概要のみ触れておきます。
ミッドウェー海戦【ミッドウェーかいせん】
1942年6月5〜7日,中部太平洋ミッドウェー島攻略に向かった日本海軍機動部隊と,その企図を察知して待ち受けた米国海軍機動部隊との海空戦。日本艦隊は航空母艦4隻,兵員3500,飛行機200余機(全機)を失い,致命的な打撃を受けた。これを機に太平洋戦線の作戦主導権は米国に移り,その後の太平洋戦争の勝敗を決する意義をもった。