教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 7月5日

ビキニスタイルの日

 

1946(昭和21)年7月5日、フランスのデザイナーのルイ・レアール(Louis Réard、1897~1984年)が、世界で初めてビキニ・スタイルの水着を発表しました。

 

「ハフポスト」HPの安藤健二さんの記事(2022年07月05日)に当時の写真が紹介されています。

1946年7月5日、ルイ・レアールが考案した「ビキニ」の水着がメディアに公開された

1946年7月5日、ルイ・レアールが考案した「ビキニ」の水着がメディアに公開された

- via Getty Images

1946年7月5日、ルイ・レアールが考案した「ビキニ」の水着がメディアに公開された

Keystone-France via Getty Images

7月5日は「ビキニスタイルの日」と呼ばれている。フランス人のルイ・レアールが1946年7月5日、露出度の高いツーピースの水着をフランスのパリで発表した。「ビキニ」と命名して世の中に普及したからだ。

このビキニという名前、実は米軍の原爆実験が由来だ。

英紙ガーディアンによると、ビキニの水着が発表される4日前の7月1日、21キロトン級の原爆「エイブル」が、南太平洋にある「ビキニ環礁」で炸裂した。レアールは腹部を露出したツーピースの水着を発案した際に、この原爆の破壊力になぞらえて「ビキニ」と命名したのだった。

 

■高い放射線レベル。76年経っても島民は帰還できず

原爆の爆発後、ビキニ環礁にそびえる巨大なキノコ雲。1946年7月25日に実施されたベーカー実験での写真

原爆の爆発後、ビキニ環礁にそびえる巨大なキノコ雲。1946年7月25日に実施されたベーカー実験での写真

Pictures from History via Getty Images

アトミック・ヘリテージ財団によると、ビキニ環礁では1946年から1958年までに23回の原水爆実験が実施。167人の島民が移住を余儀なくされた。島民はいつか帰還できると約束されていたが、未だにその約束は果たされていない。1969年に一時帰還したものの、残留放射線のレベルが高かったことから1978年に再び避難しているからだ。避難生活は76年にわたっている。