教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 8月11日

ガンバレの日

 

1936(昭和11)年8月11日、ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で、日本の前畑秀子が地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルを振り切って優勝しました。

 

「雑学ネタ帳」より引用します。

1936年(昭和11年)のこの日、ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で、日本の前畑秀子(まえはた ひでこ、1914~1995年)が地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルを振り切って優勝した。

その様子はNHKラジオで初のオリンピック実況中継が行われ、NHK河西三省(かさい さんせい、本名読み:かさい みつみ、1898~1970年)アナウンサーが「前畑ガンバレ!」を23回、「前畑勝った!」を12回連呼。その実況中継が日本中を沸かせた。この類いまれな熱い思いのこもった放送を後世に伝えるべく生まれた記念日。前畑選手はこのレースで日本女性初の金メダルを獲得した。

前畑秀子

一般社団法人・日本記念日協会のWebサイトによるとこの日は「前畑ガンバレの日」となっている。その記念日は和歌山県橋本市前畑秀子・古川勝顕彰活動委員会が制定。同市出身で日本人女性初のオリンピック金メダリストの前畑秀子の偉業を後世に伝えていくのが目的。「前畑ガンバレの日」は2023年(令和5年)に同協会により認定・登録された。

 

NHK河西三省アナウンサーの実況中継は、国立国会図書館デジタルコレクション「」で聴くことができます。

dl.ndl.go.jp

 

 

「ふるさとチョイス」HPの和歌山県橋本市のページより引用します。

前畑秀子」をご存知ですか?

前畑秀子は1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックで日本人女性初の金メダルを獲得した水泳選手。決勝戦では、克明な実況で知られたNHK河西三省アナが普段の冷静さをかなぐり捨て、「がんばれ」を23回、「勝った」を12回連呼した実況により日本国中が興奮に沸き、「前畑がんばれ」という言葉は当時の日本人の心に深く刻まれました。

1914年(大正3年橋本市豆腐屋に生まれた前畑は3歳のころから両親に連れられて紀ノ川の「妻の浦」へ泳ぎに行き、いつしか泳ぎを覚えてそこまでひとりで通うようになりました。ついには小学3年生にして1000mを泳ぎ切り、新設される水泳部入部資格を手にしました。水泳部で平泳ぎに出会った前畑は、紀ノ川に先生が手作業で設置したプールで練習を重ね、13歳で100m平泳ぎで日本新記録を樹立しました。

15歳になり100m平泳ぎ・200m平泳ぎで日本記録を更新した前畑は、才能を見込まれ、名古屋市の椙山高等女学校(現・椙山女学園)に学費などの支援を受けて編入。しかし、16歳で母と父を同じ脳溢血で相次いで亡くし、一度は実家に戻りましたが兄の結婚や周囲の人々の支援で学校に復帰することができました。

1932年(昭和7年)、18歳の前畑はロサンゼルスオリンピックに出場し、女子200m平泳ぎで1位と0.1秒差ので銀メダルを獲得。しかし、永田秀次郎東京市長をはじめ、銀メダルに終わったことのくやしさの声が祝賀会でも、そして学校へも故郷へも多数届けられ、引退を考えていた前畑はこれに発奮。4年後に向けて無休で朝5時に起きて練習を続けました。温水プールなどなかった時代なので冬は陸上トレーニング。4月になって水泳を開始し、1日2万メートル、25mプール400往復を目標として、オリンピックに備えました。そのたゆまぬ努力と、何事にもめげなかった精神力が、ベルリンオリンピックでの金メダルとして実を結んたのです。


8月11日は「ガンバレの日」その理由は?
前畑秀子ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎで優勝し、日本人女性初の金メダルを獲得した日「1936年8月11日」。
勝戦を実況していた河西三省アナウンサーが、20回以上「前畑ガンバレ」と連呼し、日本中をわかせたことに由来する記念日です。