教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

自己肯定感はほめれば育つってもんじゃない

朝日新聞に「多事奏論」というコラム欄がある。その筆者の一人である岡崎明子さん(くらし報道部・科学みらい部次長)の直近の記事の一部を抜粋して紹介する。

 

2024.3.30 朝日新聞「多事奏論」

自己肯定感も自己愛も
「ほめて育てる」親は不適切?
              くらし報道部・科学みらい部次長 岡崎 明子

 

 ……。

 世代でくくることへの違和感はあるが、Z世代の60%以上が上司に「人前でほめられたくない」と考えているという調査結果もある。……金沢大の金間大介教授の著書「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」では、自己肯定感の低さが背後にはあると指摘している。
 ……。
 心理学者の榎本博明さんは「ほめるだけでは、自己肯定感は育たない」と喝破する。今の時代の子育ては、自分の思い通りにならないとすぐ心が折れる、注意されると「自分が否定された」と過剰反応するような子どもを量産しているという。「自己肯定感は、厳しい状況を自分の力で乗り越えたときに高まるもの。 特に頑張っていないのにほめられても高まらないし、自己評価を他者に依存させてしまうことにつながるんです」
 ほめ言葉は子どものやる気と自己肯定感を上げると、露ほども疑ってこなかった。……。

 「ほめて育てる」の発祥の地、米国でも、ほめすぎが自己愛を肥大させるという負の側面が問題になっているそうだ。サンディエゴ州立大のジーン・トウェンギ教授によると2000年代以降、自愛性人格が強い大学生が急激に増えているという。そしてその価値観を植え付けたのは、多くがその親だと指摘する。
 その指摘に再びハッとして、グッときた。子どもをできるだけ叱らず、ほめて育てたいという考えの裏には、「子どもに嫌われたくない」という親自身の自己愛も潜んでいるのではないか。
 「ほめて育てる」が広がったのは、昭和の終わりころだ。でもそれが、子どもの自己肯定感を下げ、親と子どもの自己愛を増長させているとしたら――。それは、不適切にもほどがある。
 令和の子育てはどうあるべきか。私自身も価値観の転換を迫られている。

 

「ほめて育てる」教育が言われるようになったのは1980年代のこと。「ほめる」ことと対をなして、「みんなの中では叱らない」ことも言われた。

私は、教師としても親としても、ほめることが苦手で下手だった。教師としての私は、ほめることはあまりしなかったけれど、評価し認めることはしてきたと思う。それも子ども個々よりも、学級集団が対象であることが多かった。学習集団であれ仲間集団であれ、集団の成長を評価し認めることはあっても、同時にさらに高次の次の目標を与えることが常だった。

「自己肯定感」という言葉は、1990年代に外国の人権教育プログラムが紹介されるなかで出会った。人権教育を推進する任務に就いていたこともあり、自己肯定感を育てることには積極的に取り組んだ。

 

Z世代は、「ほめほめことば」に始まり“ほめほめシャワー“を浴び続けて育った世代である。何が起こっているのだろう。

 

「人前でほめられたくない」……自己肯定感の低さが背後にはある

 

「ほめるだけでは、自己肯定感は育たない」

「自己肯定感は、厳しい状況を自分の力で乗り越えたときに高まるもの。 特に頑張っていないのにほめられても高まらないし、自己評価を他者に依存させてしまうことにつながるんです」

 

「ほめて育てる」  ほめすぎが自己愛を肥大させるという負の側面

子どもをできるだけ叱らず、ほめて育てたいという考えの裏には、「子どもに嫌われたくない」という親自身の自己愛も潜んでいるのではないか。

「ほめて育てる」が子どもの自己肯定感を下げ、親と子どもの自己愛を増長させているとしたら――。

 

確認しましょう。

ほめる ≠ 自己肯定感が育つ

つまり、

自己肯定感は、厳しい状況を自分の力で乗り越えたときに高まるもの。

特に頑張っていないのにほめられても高まらないし、自己評価を他者に依存させてしまうことにつながる。

 

まずは、親も教師も、自分の足でしっかりと立つことではないだろうか。