教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「こども『家庭』庁」を考える

菅義偉内閣で設立が構想されていた「こども庁」が、岸田文雄内閣のもとで「こども家庭庁」という名称で2023年4月に設置されます。

 

「こども庁」から「こども家庭庁」へ。

この小さな変更に含まれる大きな意味を考えたいと思います。

 

朝日新聞「耕論」(2022.2.22)は、「こども『家庭』庁は映す」と題する特集を組みました。その中の1つ、友野清文さんの記事を紹介します。

「子どもが主体、とは大違い」
                    教育史研究者 友野清文さん


 子どものために「家庭」を国が支援する。違和感を抱く人がいる一方で、「何が悪いの?」と感じる人も多いでしょう。しかしこの意識の差が、日本の家庭政策にまつわる状況を物語っています。
 昨年末の閣議決定で変わったのは、名前だけではありません。例えば、原案に書かれていた「こどもを生み育てる者」への支援は、「こどものある家庭」への支援という文言になりました。他にも、家庭の役割や重要性を強調するような変更がありました。
 家庭の責務を国が強調する流れは、1980年代半ばの臨時教育審議会の答申で「家庭の教育力の低下」という言葉が使われたことで強まりました。 実際にはその根拠となるデータはアンケートぐらいしかありませんが、この言葉は現在まで公文書に頻繁に現れ、家庭教育のあり方が議論されてきました。
 2006年には教育基本法改定で、教育に対する保護者らの「第一義的責任」や、家庭教育支援を規定。その数年後には「親が変われば子も変わる」と親の学びを説く「親学」を推進する議員連盟が、安倍晋三氏を会長に設立されました。 提唱者である高橋史朗氏は今回、自民党の会合で「こども庁」の名称に「家庭」を入れるよう訴えたことを明らかにしています。
 こうした考え方は、並行して広まった各地の「家庭教育支援条例」でも具体化されています。自治体によって名前などは異なりますが、「家庭の教育力の低下」を指摘し、親の責任を自覚すること、親としての成長を求めている点などが共通する内容です。
 個人が「子どもの成長のために自分が変わろう」と思うことは自由です。でも公的機関がメッセージを発すると、家庭のあり方を公に規定することになる。 公の本来の役割は、子育てを親の心の問題にするのではなく、子どもと過ごせるように働き方を整備したり、家庭を持てないような賃金形態を是正したりすることではないでしょうか。
 条例を推進する議員や高橋氏は議会などで、子どもを権利主体と捉えることを「誤った子ども中心主義」といった言葉で否定しています。 子どもの声が大きくなりすぎれば教育などできない、という考え方がそこに見受けられます。 こうした考えは、「こども庁」という子ども中心の名称を否定する姿勢とつながります。
 「家庭」は受け入れやすい言葉です。 しかし、子どもを権利の主体として社会全体で育てようと考えるのか、それとも第一義的責任を持つ者としての親に公が「望ましい家庭」を説くのか。 こうした観点から名前が「こども家庭庁」へ変わった理由を考えれば、たかが名前の問題ではないと分かるはずです。
                          (聞き手・田中聡子)

 

今国会で「こども家庭庁」法案が審議され、その後に具体的施策が決まっていきます。

名称変更の経緯を踏まえ、「こども家庭庁」という「名」が表す「体」を注視していきたいと思います。