教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 8月18日

高校野球記念日

 

1915(大正4)年8月18日、大阪府豊中球場で第1回「全国中等学校優勝野球大会」が開会しました。現在の全国高等学校野球選手権大会にあたります。

地区予選を勝ち抜いた10校が参加し、同年の8月22日に決勝戦が行われました。京都二中と秋田中との対決で、2-1で京都二中が優勝しました。

 

Wikipedia」より引用します。

全国高等学校野球選手権大会は、日本の兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場を主会場として、朝日新聞社日本高等学校野球連盟高野連)が毎年8月に開催している高校野球の大会である。

前身の全国中等学校優勝野球大会は1915年(大正4年)に大阪府豊中球場で第1回が開催され、1948年(昭和23年)より学制改革に伴い現行の名称となった。

大会旗および優勝旗の色は深紅で、特に優勝旗を指して「深紅の大優勝旗」と呼ばれている。「夏の甲子園」「夏の高校野球」「全国甲子園」「甲子園」 「夏」「選手権」「○○回目の夏」などと表現されており、5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施される。

会場
1915年、第1回全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで行われた。豊中グラウンドは1913年(大正2年)に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設・設置したものであるが、規模の小ささなどが問題となっていた。

この当時は遠征費用をすべて出場校が負担していたこともあり、会期を短縮して出場校の費用を軽減することが考慮された結果、複数のグラウンドを設置することも求められた。これに鳴尾運動場を所有していた阪神電気鉄道が応え、場内に野球用グラウンドを2面設置することで1917年の第3回大会から会場が移された。しかし、学生野球が人気になるにつれ観客が増加し、1923年の第9回大会では溢れた観客がグラウンドになだれ込む事件が発生する。さらにグラウンドの水はけの悪さもあって、主催者の大阪朝日新聞は、本格的な野球場の建設を提案した。

鳴尾球場を所有していた阪神電鉄は、鳴尾村に流れていた申川と枝川(武庫川の支流)を廃川としたあとにできた埋め立て地に大規模な沿線開発を行っており、当時阪神電鉄の専務だった三崎省三の構想もあり、旧枝川・旧申川の分流点あたりに野球場を建設する計画を立てていたことから、利害が一致。ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドのポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせるため突貫工事で建設され、1924年8月1日に球場が完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起のいい年であることから、甲子園大運動場と命名された。

 

2024年は甲子園球場の完成から100年の節目にあたります。全国高等学校野球選手権大会は110年目になりますが、106回大会です。4回少ないのは、第二次世界大戦に伴い1942年から1945年まで中断されたためです。なお、2020年の102回大会は、新型コロナウイルス感染症の流行が拡大している影響で中止されました。