教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 8月28日

民放テレビスタートの日

 

1953(昭和28)年8月28日午前11時20分、日本テレビ民間放送として初のテレビ放送を正式に開始しました。

このとき放送されたのは、日本テレビ放送網の開局式の様子でした。

また、テレビでCMが流れたのもこの日が最初で、「テレビCMの日」という記念日になっています。最初のCMは、服部時計店(現在のセイコー)のものでした。

 

ちなみに、公共放送であるNHKがテレビ放送を開始したのは1953年2月1日です。(「テレビ放送記念日」で紹介します)

 

1953年に国産第一号のテレビがシャープから発売されています。14インチ「TV3-14T型」で、価格が17万5000円でした。

当時の高卒公務員の初任給が5400円だったそうですから、一般家庭にはなかなか普及しませんでした。

盛り場や駅・公園などに設置された街頭テレビに多くの人が集まり、プロレスやプロボクシングなどに熱狂しました。

 

 

 

きょうは何の日 8月25日

即席ラーメン記念日

 

即席ラーメン記念日は、1958年の8月25日、日清食品が世界初のインスタントラーメンとされる「チキンラーメン」を発売したことにちなんで制定されました。

 

以下、「雑学ネタ帳」に依ります。

同社の創業者・安藤百福(あんどう ももふく、1910~2007年)が麺を油で揚げる「瞬間油熱乾燥法」を思い付き、「美味しくて保存が利き、手間がかからず安くて安全」という5つの条件をクリアして、商品化することに成功した。うどん1玉6円だった当時1袋(85g)35円と高価だったが、熱湯をかけて3分後には食べられるという手軽さがうけて、爆発的なヒットとなった。安藤の誕生の地である大阪府池田市には「安藤百福発明記念館 大阪池田」(旧名称:「インスタントラーメン発明記念館」)がある。

 

日清食品のHPに、チキンラーメン誕生の歴史が紹介されています。

安藤百福がインスタントラーメンの開発をはじめる

1957年

インスタントラーメン開発の背景
終戦後の闇市で、一杯のラーメンを求めて屋台に長い行列を作る人々の姿を見た安藤百福は、日本人が麺類好きであることを実感すると同時に、この行列に大きな需要が隠されていることを感じました。それから約10年後、事業に失敗して財産の大半を失った安藤は、無一文の生活から這い上がるため、長い間あたためてきたアイデア「お湯さえあれば家庭ですぐ食べられるラーメン」の開発へ向けて、その一歩を踏み出したのです。

日清食品創業者 安藤 百福

日清食品創業者 安藤 百福

開発中の苦悩~完成まで
自宅の裏庭に建てた小屋で、「お湯さえあれば家庭ですぐ食べられるラーメン」の研究をたった一人で始めた安藤。麺を長期保存するにはどうやって乾燥させればよいのか。また、お湯を注いですぐ食べられるようにするにはどうすればよいのか。この保存性と簡便性の実現こそが、インスタントラーメンの開発における最も高い壁でした。ある日のこと、妻が台所で夕食の準備のためにてんぷらを揚げていました。てんぷら鍋の中で、熱い油の中に入れられた小麦粉の衣が、泡を立てながら水分をはじき出しているのを見た安藤は、「これだ!」とひらめいたのです。早速、麺を油に入れてみると、水分が高温の油ではじき出されました。ほぼ完全に乾燥した状態となった麺は、長期間経っても変質したり腐敗したりしません。また、揚げた麺にお湯を注ぐと、水分が抜けた穴からお湯が吸収されて麺全体に浸透し、元のやわらかい状態に戻りました。こうして、インスタントラーメンの基本となる製造技術「瞬間油熱乾燥法」にたどりついたのです。


即席めん5つの原則
1 おいしいこと

何よりもまず、おいしいことが重要。さらに、「また食べたい」と思えるような飽きのこない味を追求しています。

2 簡単に調理できること

お湯さえあれば簡単に調理できるインスタントラーメンは、またたく間に多くの家庭に受け入れられ、家事にかかる時間と手間を減らしました。この頃、今では当たり前となった数多くのインスタント食品が生まれています。

3 長い間保存できること

「常温で長い間保存できるインスタントラーメン」は、油であげることで水分がほとんどなくなるため、常温で長期保存しても腐らず、味や風味が落ちません。そのため、まだ冷蔵庫が普及していなかった時代にとても重宝されました。

4 手頃な価格であること

品質にこだわりながらも、適正な価格であることが大切です。常に合理化に努め、買い求めやすい価格を維持し続けているインスタントラーメンは、物価の優等生といわれています。

5 衛生的で安全であること

衛生的かつ安全であることは、あらゆる食べものの基本です。原材料はもちろんのこと、包装材料、生産工程、流通経路などすべての段階できびしいチェックを行なっています。
※2018年に実施した「世界ラーメンサミット」では、この「5原則」に「環境保全」「栄養と健康」を加えた「7原則」を取り決めました。

 

チキンラーメン60年余の歴史は、「Wikipedia」にまとめられています。

・1958年(昭和33年)8月25日 - 販売開始、85グラム入り35円(当時の物価参考:大卒者初任給13,467円、国鉄初乗り10円、入浴料16円)で販売された。価格が高かったために受け入れられなかったが、大阪市福島区のある問屋がこれはいいと8月25日に納入を決定。安藤は大層喜び、これを記念して8月25日は日本即席食品工業協会により「即席ラーメン記念日」とされている。ちなみに福島区にある日清の看板はそれを記念している。チキンラーメンの発売により、それまでの「支那そば」「中華そば」にかわり、「ラーメン」という呼び名が全国的に広まった。初代キャラクターは「チーちゃん」と「キン坊」。
・1960年(昭和35年)より厚生省の「特殊栄養食品」のマークがパッケージに付けられた。またこの年、初の即席日本そば「千金蕎麦」(チキンそば)を発売。ただし味付きそばではなく、ゆでた麺を冷やして別添のつゆで食べる方式。
・1962年(昭和37年) - 初のノンフライ・冷し中華・スープ別途ラーメン「チキンラーメン ニュータッチ冷麺」を発売。付属の粉末スープを水溶きしてタレにする。
・1966年(昭和41年) - スープ別添・醤油味の「和風チキンラーメン」を発売。
・1967年(昭和42年)より外袋に描かれたキャラクターを「ちびっこ」に変更。
・1970年(昭和45年) - 「チキンラーメンデラックス」を発売。鶏肉とネギのかやく入り]。
・1978年(昭和53年) - 箱入りタイプのチキンラーメン発売。CMは千昌夫を起用。
1984年(昭和59年)に南伸坊を起用したCM「すぐおいしい、すごくおいしい篇」からアレンジを変えつつ使用されているCMソングは鈴木さえ子の曲である。
・1987年(昭和62年)11月 - チキンラーメン5食パック発売。
・1990年(平成2年)より外袋に描かれたキャラクターは「ひよこちゃん」。
・1991年(平成3年) - 丼型の発泡スチロールカップ容器に入ったカップ麺「チキンラーメンどんぶり」(略称チキどん)も発売された。こちらには具としてフリーズドライの鶏ささみほぐし肉と、かき玉子とネギが入っている。同時に、ミニサイズのどんぶり「チキンラーメンどんぶりミニ」も発売。
・1994年(平成6年)3月 - 「チキンラーメンMini」発売。20g入りが3袋セットのパック。丼ではなく、マグカップ等で作ることができる。
・2001年(平成13年)8月 - チキンラーメン初のバケツ型容器を用いた大盛りカップ版「チキンラーメン ダイナカップ 焦がしねぎチャーシュー入り」を発売。
・2003年(平成15年)
○乾燥麺の中央部に、たまごポケットと称するくぼみを付けて卵を載せ易くする改良が加えられた。国分太一仲間由紀恵が出演するCMで宣伝し、売り上げを伸ばした。この「たまごポケット」は2004年8月に「チキンラーメンどんぶり」、2007年9月に「どん兵衛 特盛天ぷらそば」にそれぞれ採用されることとなる(ただし「どん兵衛 特盛天ぷらそば」は2013年のリニューアルでたまごポケットが廃止された)。
NHK連続テレビ小説てるてる家族』で、開発に関する話がドラマ化された。
・2004年(平成16年)8月16日 - チキンラーメンの誕生日(1958年8月25日)に合わせて、チキンラーメン1袋と白いフタ付き丼がセットになった、「チキンラーメン付きどんぶり」を数量限定で販売した。
・2005年(平成17年)
○4月25日 - チキンラーメンMini1パックと、ひよこちゃんの絵入りマグカップ1個がセットになった「チキンラーメンMini付きひよこちゃんフタつきマグカップ」を限定で販売。マグカップは陶器、フタはプラスチックだった。フタの無いセットも販売された模様。
○8月 - フリーズドライのキムチが入った「チキンラーメンどんぶり プラスキムチ」と縦型ラージカップを用いた大盛サイズのカップ麺「チキンラーメン ビッグ」がそれぞれ発売。その後「チキンラーメン ビッグ」は毎年8月に限定で発売されることに。
○11月21日 - チキンラーメン1袋とひよこちゃんの絵入り土鍋がセットになった「チキンラーメン&土鍋セット」を期間限定で販売した。
・2006年(平成18年)10月16日 - チキンラーメン1袋と白いフタ付き丼(たち吉製)がセットになった、「チキンラーメン&どんぶりセット」を数量限定で販売した。
・2007年(平成19年)
○1月5日 - チキンラーメンの生みの親・安藤百福が96歳で逝去。
○2月 - 野菜などの具が追加された「国分太一流鶏だんご鍋風チキンラーメンどんぶり」「仲間由紀恵流野菜チャンプルー風チキンラーメンどんぶり」が発売された。
○4月2日 - 「チキンラーメン&どんぶりセット」の縮小サイズの丼(たち吉製)、がセットになった「チキンラーメンMini & ひよこちゃんミニどんぶりセット」が数量限定で発売された。
○7月17日 - オイスターソースを隠し味に加え、フライパンで焼きそばにして食べるのに適した「日清焼チキン」が発売された。ソース味ではないので、ラーメンにして食べることも可能。塩分が少ないため、ラーメンとして調理する場合は通常のチキンラーメンより味は若干薄め。
○8月6日 - 袋入りのチキンラーメン2食にフタと丼各2つをまとめて包装した「チキンラーメン ツインズ」がコンビニエンスストア限定で発売された。
○8月13日 - 縦長のカップ入りで、具として炭火焼きの鶏肉、卵、ネギ、赤ピーマンを入れた「炭火焼チキンたっぷりのチキンビッグカップ」が発売された。
○8月20日 - 具としてタマネギ、ニンジン、キャベツ、アスパラガスを加え、カレー風味を加えた「チキンラーメンどんぶり プラス野菜カレー」が発売された。「たまごポケット」未採用。
・2008年(平成20年)
○1月7日 - レトルトパックの餅が入った「チキンラーメンどんぶり プラス杵つきもち」と煮込み専用の「ふわふわたまごの素付き チキンラーメン」が発売された。
○2月12日 - 「日清焼チキン」のカップ焼きそば版「日清焼チキン カップ」発売。調理に使ったお湯は捨てずにスープになる。
○3月 - チキンラーメン発売開始50周年を迎えるのを記念して、日清食品の海外現地法人チキンラーメンの製造を開始。日本以外でチキンラーメンが製造される国は以下の通り(カッコ内は現地での名称)。
アメリカ(Oodles of Noodles)
ブラジル(LAMEN GALINHA)
ハンガリー(CHICKEN RAMEN)
インド(Top Ramen)
インドネシア(CHICKEN RAMEN)
中国・広東省(鶏湯拉麺)
※香港でも販売されるが、日本語の(チキンラーメン)という名称で販売される。
「リフィル」(詰め替え用)発売開始
○5月 - 2003年よりついていたたまごポケットを、白身用、黄身用の2段構成としたWたまごポケットにリニューアル [2]。
○8月25日 - チキンラーメン誕生50周年。「特製金のオイル」付きの50周年記念限定版を袋・カップで発売。
・2009年(平成21年)
○4月27日 - 「チキンラーメン ダイナカップ」以来8年ぶりの採用となるバケツ型容器を用いた大盛りカップ版「日清でかっ! チキンラーメンカップ」を発売。麺の質量は同社のソース焼そばを除く「デカ王」シリーズと同等の120gとなっている。
7月21日 - 幼児向けの2袋入りのミニサイズ袋麺「日清 おやつチキンラーメン」を発売。なお、この商品はデザイナーの中野シロウを中心としたチームによって生まれた手塚プロダクションの監修によるキャラクターブランド「TEZUKA MODERNO」とのコラボレーション商品となっている。
・2010年(平成22年)
○3月1日 - 日清食品の創業者で、インスタントラーメンの発明者である安藤百福の生誕100年にちなみ「チキンラーメン 生誕百年記念パッケージ」を期間限定で発売。発売当時(1958年)の価格35円、5食パック175円(税込・メーカー希望小売価格)で販売される。
○7月28日 - イメージキャラクター「ひよこちゃん」のデザイン変更を発表。新デザインは、「プレイセットプロダクツ」によって製作された。
○8月 - 日清食品が“全麺革命”の一環として進めている太めん製法を取り入れた「チキンラーメン 太めんどんぶり」及び「チキンラーメン 太めんBIGカップ」「焼チキン 太めんカップ」を限定発売。
・2011年(平成23年
○2月28日 - 「日清チキンラーメン&フタつきどんぶりセット」を全国で発売開始。
○8月4日 - 新CMキャラクターに子役の芦田愛菜を起用することを発表。芦田は「ひよこちゃん」の着ぐるみを着て出演する。CMは2011年8月13日から放送が開始された。
・2012年(平成24年
○11月26日 - 日本を代表するフレンチシェフ・坂井宏行監修レシピによる「チキンラーメンどんぶり バター香るクリームスープ仕立て」を限定発売。
・2013年(平成25年)
○春頃 - この年限定であるが、袋が55周年記念パッケージとなる。
○8月 - 55周年記念商品として「KINGチキンラーメン」が発売された。
○11月 - 袋麺のパッケージがアルミ包装に切り替わる[注釈 2]。
・2018年(平成30年)
○8月 - 担々麺風にアレンジし、『出前一丁』のごまラー油を付属させた「チキンラーメン 担々ごまラー油」を発売。蓋にはひよこちゃんの他、『出前一丁』の「出前坊や」が記載された。
○9月 - 講談社の幼児向け雑誌『おともだち』10月号の付録に、「ちゅるちゅる チキンラーメンごっこ」が登場した。
○10月 - 安藤夫婦をモデルにしたNHK連続テレビ小説まんぷく』放送開始。
秋 - サントリービールのビール風新ジャンルアルコール飲料「金麦」とコラボレーション、「金麦」と似合う鍋料理の〆としてチキンラーメンを加え、「〆は、チ金麦鍋」と宣伝。
・2019年(令和元年)
○8月12日 - 期間限定商品として、どんぶり型カップ麺「チキンラーメンどんぶり チキぎゅー」と、縦型カップ麺「チキンラーメンBIGカップ チキとん」を発売。
○8月19日 - 期間限定商品として、牛ガラスープを使った「ビーフラーメン」と、豚骨スープを使った「ポークラーメン」を発売。また、これと同時に3食パック専売の「具入りチキンラーメン アクマのタンタン」を発売。

 

 

新自由主義と公教育⑤

続・「効果のある学校」

 

欧米の「効果のある学校」の研究成果を、日本の学力向上の取り組みにどう取り入れていったのでしょうか。

 

今回の引用部分も、『部落解放研究 No.195』(2012.7)所収、志水宏吉さんの「子どもたちの学力水準を下支えしている学校の特徴に関する調査研究」です。

 

私(引用者注:清水宏吉)は、2002年に大阪に戻ってきて、2003年、2004年と日本の「効果のある学校」に関する共同研究をおこなった。50校ぐらいの学校に調査協力してもらい、分析をして効果のある学校を見つけた。その際の「効果のある学校」とは、塾に行ってない子どもたち、あるいは文化階層下位―文化的、教育的に恵まれていないと思われる―の子どもたちの学力テストで設定した点数の通過率を押し上げている学校である。そうした学校7~8校を対象として訪問調査をおこない、日本の「効果のある学校」の特徴をまとめた。今から思うと、大阪の「効果のある学校」であったと感じる。そして「しんどい子に学力をつける7つの法則」を提起した。
 1番目は、「子どもを荒れさせない」。大阪の学校づくりで最初のポイントは、子どもが荒れたら学力保障どころではないので1番目にもってきた。2番目が「子どもをエンパワーする集団づくり」。1~2番とも生徒指導の領域である。子どもと教員がしっかりと関係をつくり絆で結ばれる、そのうえで、子どもたちをつないでいくということが、学校づくりの一番の基盤であると考えて、1番~2番においた。
 3番~4番は教職員の問題であり、「チーム力を大切にする学校運営」「実践志向の積極的な学校文化」である。
 5番は「地域と連携する学校づくり」、6番は「基礎学力定着のためのシステム」
 そして、やはり日本の学校にもリーダーやリーダーシップが要るということで、「リーダーとリーダーシップの存在」を最後にあえてもってきた。ここでいうリーダーは多様でありうるし、リーダーシップのふるい方もトップダウンだけではなくて、いろいろあるということを示した。

 

「しんどい子に学力をつける7つの法則」

1 子どもを荒れさせない 

2 子どもをエンパワーする集団づくり

3 チーム力を大切にする学校運営 

4 実践志向の積極的な学校文化

5 地域と連携する学校づくり

6 実践志向の積極的な学校文化

7 リーダーとリーダーシップの存在

日本版「効果のある学校」とも言える「7つの法則」は、私の肌感覚にしっくり馴染みます。

 

その後、志水さんの「7つの法則」は、「力のある学校」へと発展します。

 

力のある学校

 

 この次に、「スクールバスモデル」(図)というものがある。全国学力テストの1年前(2006年)に、大阪府内の学力実態調査(悉皆)があり、その分析に関わった際に、大阪府教育委員会と相談して「効果のある学校」研究を深めていくこととなった。成果をあげている学校10校(小学校5校、中学校5校)を選定して、翌年2007年に訪問調査を繰り返して、その年度末にまとめたものが、「スクールバスモデル」である。ここでは、先ほど提示した「しんどい子に学力をつける7つの法則」を、ブラッシュアップして、より体系化することをめざした。この結果の概要については、大阪府教育委員会によって、『学校改善のためのガイドライン』として各学校に配布された。われわれ研究者の研究的関心と、委員会の実践的関心を合致させて作ったもので、理屈だけではなくて、選定された10校の実践をまとめあげたものである。

 そこで成果の要因として出てきたものが、8項目であった。教員が子どもたちを目的地に連れて行くバスであるというイメージでまとめてみた。2項目ずつペアにして、4つの部分に当てはめている。
 第1の部分が、「エンジン」と「ハンドル(アクセル・ブレーキ)」である。私たちが大事と感じるのがエンジンに相当する部分で、「気持ちのそろった教職員集団」である。すべての子どもの学力を保障する学校をつくる一番の肝は、大人としての教職員の気持ちがそろうことであると思った。それは、われわれが訪問した学校が、いずれもそういう学校であったからである。教職員のベクトルがそろっている学校は、ひじょうにすばらしい成果を上げているということがわかった。2番目は、「戦略的で柔軟な学校経営」ということで、リーダー、ミドルリーダーのハンドルさばきであったり、ブレーキングということである。
 そして第2の部分は、2つの前輪で、1つは教育指導になる。即ち、3番目が「豊かなつながりを生み出す生徒指導」で、これは「しんどい子に学力をつける7つの法則」の1番、2番に相当する項目である。4番目は「すべての子どもの学びを支える学習指導」である。これは、7つの法則の6番の項目(「基礎学力定着のためのシステム」)に加えて、「多様な学びを促進する授業づくり」という新規項目をサブカテゴリーに付け加えた。7つの法則では、授業づくりの工夫については言及していなかったが、改めて授業づくりや授業改善が必要だと考え補強した。これが学校を駆動させる大事な前輪となる。
 第3の部分は、2つの後輪で、外部連携のタイヤと位置づけた。5番「ともに育つ地域・校種間連携」、6番「双方向的な家庭とのかかわり」である。これらは、欧米の議論ではあまり強調されない部分だが、大阪ではつとに強調されていた。特に条件が厳しい場合には、これらの要素がなければ、学校が成果を上げることはむずかしい。自動車でいうと、前輪駆動だけではなく、四輪駆動で地面をしっかりとグリップして走っていかないと無理だというニュアンスを出すために、後輪に持ってきた次第である。
 最後の第4の部分は、バスのインテリア(内装)、ボディ(外観)である。7番「安心して学べる学校環境」は、7つの法則ではまったくふれていない部分であるが、欧米では強調されている部分であり、われわれも学校環境の大切さということを訪問調査のなかで感じた。居心地のよい学校づくりとか、子どもの学習を刺激するような展示・掲示など、いろいろな要素が含まれる。8番「前向きで活動的な学校文化」は、外に向かってアピールできる部分である。部活が強いとか、行事がすばらしいとか、人権教育を大事にしているとか、見えるものと見えないものとがある。学校のシンボルであったり、学校のアイデンティティの基盤であったり、その学校独自の持っているものということである。

 こういう要素を兼ね備えた学校をつくってほしいということが、この「スクールバスモデル」のメッセージである。このような全面的、総合的な学校づくりの努力なくして、すべての子どもの学力を支えることは無理であるというのが、われわれの結論である。

 

「スクールバスモデル」

第1の部分 「エンジン」と「ハンドル(アクセル・ブレーキ)」

①気持ちのそろった教職員集団

・チーム力を引き出すリーダーシップ

・信頼感にもとづくチームワーク

・学び合い育ち合う同僚性

②戦略的で柔軟な学校経営

・ビジョンと目標の共有

・柔軟で機動性に富んだ組織力

第2の部分 2つの前輪

③豊かなつながりを生み出す生徒指導

・一致した方針のもとできめ細かな指導

・子どもをエンパワーする集団づくり

④すべての子どもの学びを支える学習指導

・多様な学びを促進する授業づくり

・基礎学力定着のためのシステム

第3の部分 2つの後輪〈外部連携〉

⑤ともに育つ地域・校種間連携

・多彩な資源を生かした地域連携

・明確な目的をもった校種間連携

⑥双方向的な家庭とのかかわり

・家庭とのパートナーシップの推進

・学習習慣の形成を促す働きかけ

第4の部分 バスのインテリア(内装)、ボディ(外観)

⑦安心して学べる学校環境

・安全で規律ある雰囲気

・学ぶ意欲を引き出す学習環境

⑧前向きで活動的な学校文化

・誇りと責任感にねざす学校風土

・可能性をのばす幅広い教育活動

(各項目の詳細に解説は、清水宏吉『公立学校の底力』の巻末を参照のこと)

 

「力のある学校」とは、英語に置き換えるなら「empoweriig school」となり、「子どもたちをエンパワーする学校」のことを言います。(清水宏吉『学力を育てる』2005年)

そして、「力のある学校」の具体像が、「スクールバスモデル」ということになります。(清水宏吉『公立学校の底力』2008年)

『学力を育てる』では学力の捉え方と育て方が論じられ、『公立学校の底力』では公立12校が「力のある学校」の具体として紹介されています。

 

なお、志水さんのその後の著書には『「つながり格差」が学力格差を生む』(2014年)、『学力格差を克服する』(2020年)、『二極化する学校——公立校の「格差」に向き合う』(2021年)などの関連書があります。(『ペアレントクラシー』につながる著作となりますが、私は未読です)

 

ここまで、「効果のある学校」・「力のある学校」について紹介してきました。

その出発点は、親の学歴や収入などに左右されずに子どもに力をつけるという課題意識にありました。

1990年代のそれは、同和地区児童の低学力傾向克服が主題でした。そのときの課題意識と、ペアレントクラシーが進行する現今の課題は多くの共通点を有しています。

もちろん、ペアレントクラシーの問題には、社会のあり方など大きな課題はあります。しかし、学校現場の課題に限っていえば、公教育のなすべきは「力のある学校」を具体化する営みだと、私は考えます。

 

教育のあり方は、決して1つではありません。

しかし、教員に限らず子どもの学びに心を寄せる人たちの間で、せめて教育の現在地が共有できればと願います。

                                   (了)

 

 

 

 

 

 

新自由主義と公教育④

私は、公教育の使命はとりわけしんどい立場にある子どもを適切に支えることだと信じて教育活動をしてきました。

 

しかし、現実にはしんどい立場にある子どもが学力低位に置かれる実態が存在しました。その顕著なものが、被差別部落の子どもたちの低学力傾向でした。私が経験した学力向上の取り組みも、被差別部落の子どもたちの低学力傾向克服の一環として位置づけられたものでした。

 

1980年代後半から90年代に数多く行われた実践において、大阪の大学研究者が多くの示唆と教訓をのこしています。

そして、その示唆と教訓が、ペアレントクラシーが進行するなかにおける公教育の「処方箋」になると私は感じています。

 

効果のある学校

1990年代前半、若き日の鍋島祥郎さんを通して「効果のある学校」論にであいました。

「効果のある学校」というのは、社会経済的な状況や家庭環境に左右されずに子どもに学力をつけている学校です。

 

『部落解放研究 No.195』(2012.7)に、志水宏吉さんの「子どもたちの学力水準を下支えしている学校の特徴に関する調査研究」という文章があります。(以下の引用部分はすべて同論文の一部です)

 アメリカでは、1960年代後半から70年代前半にかけて、コールマンレポート(1966)やジェンクスの『不平等』(1972)という報告・著作が発表され、「学校無力論」の議論が高まった。学力向上のために学校はがんばってはいるが、社会経済的な状況、家庭の影響の方が大きくて、学校の力は小さいという主張が強まった。しかし教育学者のなかに、「学校の力はあるのではないか」ということで勃興してきたのが「効果のある学校」研究であった。

部落差別の結果としての経済的低位が子どもの学力保障を阻害し、その結果としての就労・収入の不安定さが次代の子どもの学力保障を阻害するーーこうした「負の連鎖」をいかに断ち切り、子どもたちに確かな学力をつけることができるかというのが、学力向上の取り組みの課題でした。

「差別の結果として……」と強調すれば、コールマンレポートのいう「学校無力論」に陥りがちです。

「親の学力や社会的地位や経済力に左右されることなく子どもに力を付けている学校」というフレーズは、とても刺激的でした。

 

その(引用者注:「効果のある学校」研究の)代表格であるエドモンズ(1986)は、ニューヨーク州の数百の小学校の調査結果を分析し、黒人の子どもたちの学力水準を白人に近づけている、あるいは同等にしている学校を見いだして、そこに調査に入り、それらの学校に共通する特徴として以下の5点を導き出した。
 まず、欧米の学校なので、「校長のリーダーシップ」が一番大事な項目としてピックアップされている。日本も、新自由主義の高まりとともに、校長のリーダーシップ、トップダウンで学校が動くようにという志向性が強まっているが、欧米では元々そうであった。しかし、それだけではなくて、2番目に「教員集団の意志一致」が大事であることも同時に指摘されている。3番目に「安全で静かな学習環境」の重要性が指摘されている。4番目に「公平で積極的な教員の姿勢」が言われている。これは当たり前のことのように思われるかもしれないが、当時の教育社会学の研究では、教員が黒人に対しいかに不平等でネガティブであるかが指摘されていた。例えば、黒人の子どもに、アメリカの白人教員はほとんど期待しないという事実があった。しかし効果のある学校では、公平に子どもを扱い、すべての子どもに積極的に働きかけることができている。5番目は「学力測定とのその活用」で、子どもたちの学力の状況をしっかり把握して対応していくという点である。

 

「効果のある学校」の共通点

1 校長のリーダーシップ

2 教員集団の意志一致 

3 安全で静かな学習環境

4 公平で積極的な教員の姿勢

5 学力測定とのその活用

 

一番大事な項目として「校長のリーダーシップ」が挙げられています。アメリカの校長は人事権も持っていますから、日本とは事情が違います。校長のトップダウンというのも職場の空気に合いません。そんなこともあって、刺激は受けたもののその当時は消化不良に終わった気がします。

 

「効果のある学校」のその後です。

 

 その後、「効果のある学校」研究は積み重ねられていき、イギリスの研究者(White &Barber, 1997)が20年間の効果のある学校研究を総合してリストをつくった。欧米版効果のある学校の決定版のようなものである。いろいろ指摘されてきた要因が11項目にまとめられている。エドモンズと重複する項目もあるが、新しい項目もある。
 ここでも、1番目に「校長のリーダーシップ」が挙げられている。2番目は「ビジョンと目標の共有」。3番~6番、8番(「学習を促進する環境」「学習と教授への専心」「目的意識に富んだ教え方」「子どもたちへの高い期待」、「学習の進歩のモニタリング」)ぐらいまでは、ほぼ学習指導、教科指導の関連になっている。欧米の効果のある学校は、効果のある授業ができている学校であると、ほぼ言ってよい。7番や9番(「動機づけにつながる積極的評価」、「生徒の権利と責任の尊重」)は、生徒指導の領域である。まず学習指導があって、生徒指導がきているということに注目してほしい。10、11番(「家庭との良好な関係づくり」「学び続ける組織」)は下のほうに位置づけられている。私の推測では、元々アメリカやイギリスの学校には、これらの伝統がなく、学校のなか、授業のなかだけで勝負をするのが基本だった。しかし1980年代以降、日本の学校に、家庭訪問の習慣や校内研修を学んだりしたという経緯があり、比較的最近になって強調された項目が、10、11番ではないかと思う。

 

White &Barberによる「効果のある学校」の11要因

1 校長のリーダーシップ

2 ビジョンと目標の共有

3 学習を促進する環境

4 学習と教授への専心

5 目的意識に富んだ教え方

6 子どもたちへの高い期待

7 動機づけにつながる積極的評価

8 学習の進歩のモニタリング

9 生徒の権利と責任の尊重

10 家庭との良好な関係づくり

11 学び続ける組織

 

こうした欧米の研究成果を日本の学力向上の取り組みにどう取り入れていったのか。次回に続きます。

 

きょうは何の日 8月22日

チンチン電車の日

 

1903(明治36)年の8月22日、東京電車鉄道の路面電車が新橋~品川で営業を開始し、東京で初めて路面電車チンチン電車)が走りました。
路面電車」の通称である「チンチン電車」の呼び名は、運転士から車掌への合図で鳴らすベルの音もしくは警笛にちなむものです。

 

1903年 日比谷界隈

 

以下、「雑学ネタ帳」の記事より引用します。

日本で初めて路面電車が走ったのは1890年(明治23年)5月4日に上野公園で開催されていた第3回 内国勧業博覧会の会場内だった。また、日本で最初の一般道路を走る路面電車は1895年(明治28年)2月1日に開業した塩小路東洞院~伏見京橋の京都電気鉄道であった。

この日は別に、「ろ(6)でん(10)」(路電)と読む語呂合わせで6月10日が「路面電車の日」となっている。これは1995年(平成7年)に全国の路面電車を持つ自治体が広島市で開催した「第2回路面電車サミット」で制定された記念日である。

 

 

新自由主義と公教育③

志水宏吉さんは、『ペアレントクラシー』のなかで、「新自由主義的教育政策とは、市場原理(より具体的にいうなら、選択の自由、あるいは競争原理や成果主義)を教育の場に持ち込もうという明確な意図を備えた一連の政策」のことを指すと述ています。

そして、具体的な政策として次のものを挙げています。

学校選択制の導入

・民間人校長の採用

・全国学力テストの導入

中等教育学校義務教育学校の創出

・学校運営協議会を伴うコミュニティスクールの法制化

詳細は同書に譲りますが、新自由主義共依存の関係にあるペアレントクラシーの進行が、これらの教育政策を受け入れる土壌になっていると志水さんは言います。

 

 

学校選択制の導入

・全国学力テストの導入

「学力の二極化」が言われるようになって久しいです。ペアレントクラシーの進行は、学力格差を確実に増大させています。

そこに加えて、学校選択制の導入です。

そこでは「学校の二極化」が進行しているというのです。

 

私は、公教育の使命はとりわけしんどい立場にある子どもを適切に支えることだと信じて教育活動をしてきました。

いまは、一人ひとりの力を向上させることが強調されます。耳障りのいいフレーズですが、教師の持つチカラが100を超えることはありません。限られたチカラの力点はいずれの層の子どもに置かれているのでしょう。

たとえば学校の平均点と教育予算がリンクされるような政策がとられたら……。

 

・民間人校長の採用

教員社会は、基本的に水平社会です。

管理職はチームリーダーとしての役割が強く、その下にミドルリーダー(ヒラ教員を束ねるリーダー)がいて、教員仲間がいます。お互いはタテの指示命令関係ではなく、基本的にフラットな関係です。

本の学校現場というのは概ねそうしたもので、だからこそ管理職を目指さない私にとっても生きる場があったのだと感じます。

 

民間人校長は、基本的にタテ社会で生きてきた人です。

タテ社会の善し悪しではなく、水平社会を壊すことを目的としたタテ社会リーダーの導入という視点で問題を捉えることが必要です。

競争原理や成果主義に基づく政策は、「主幹教諭の新設」「優秀教職員表彰」「自己評価制度」「給与体系の見直し」等、いくつもあります。

 

「チーム○○学校」というスローガンが大はやりです。

しかし現実の教員社会は真逆で、管理統制が強化され教員仲間の分断が進んでいます。

 

中等教育学校義務教育学校の創出

・学校運営協議会を伴うコミュニティスクールの法制化

この2つの項目については、私には問題が見えていません。

中等教育学校」も「義務教育学校」も、その存在については認識しています。しかしそれが新自由主義とどう関係し、どんな問題を孕んでいるのかは分かりません。

コミュニティスクールについても同様です。

私自身、地元の小学校と中学校の学校運営協議会に名を連ねています。校区に何人もおられる校長経験者を差し置いて「学識経験者」という肩書きで参加していることを気にかけていましたが、どうやらそんなレベルの問題ではなさそうです。まずは問題の本質を知らなければならないし、次第によっては身の処し方を考えなければなりません。

 

『ペアレントクラシー』は2022年7月30日発行の新刊です。本文の引用は極力控えました。教育や子育てに関心のある方はぜひご一読を。

 

さて、公教育はどうする?

                             (次回に続く)

新自由主義と公教育②

新自由主義政策は「市場での自由競争により、富が増大し、社会全体に行き渡」らせるはずでした。

しかし実際は、「再配分よりも富の集中や蓄積・世襲化が進み、貧富の差を広げる」のではという懸念が現実化し、「格差社会」が進行しています。

 

こうした社会背景のもとで、教育はいま「第3の波」を迎えていると言います。(志水宏吉『ペアレントクラシー』)

「第1の波」は、明治維新から第2次世界大戦終戦までの期間です。「アリストクラシーからの転換」、つまり身分社会から「メリトクラシー」(個人のメリット(業績)に応じて、彼・彼女の人生が切り拓かれていく社会)に向かう波です。

「第2の波」は、第2次世界大戦後から現在に至る期間で、「メリトクラシー」の波です。

「第1の波」と「第2の波」は、「富国強兵」と「経済成長」というように目標は異なるものの、その鍵となる「人づくり」という点で共通していました。

「業績(Merit)=能力(IQ)+努力(Efforts)」という公式が成り立つ、つまり個人の能力と努力が重視される社会です。

「第3の波」は、「ペアレントクラシー」の波です。

「親の影響力がきわめて強い社会」である「ペアレントクラシー」は、これまでの2つの波とは異質です。

「業績(Merit)=能力(IQ)+努力(Efforts)」という公式は、ここでは通用しません。ペアレントクラシーは次のように定式化されます。
「選択(Choice)=富(Wealth)+願望(Wishes)」

人々の人生は選択に基礎づけられたものとなっていて、その選択に決定的な役割を有するのが親(家庭)が所有している種々の「富」と、子どもの教育と人生に寄せる「願望」だといいます。

 

高学歴の親ほど子どもの教育と人生に寄せる「願望」が高いこと、そしてそのことが低学力の連鎖の要因になっていることは、30年以上も前に低学力傾向克服に取り組んだ時代から明らかです。

格差社会が進行するなかで、「富」と「願望」が子どもの人生を「選択」していくというのです。

 

「第3の波」は、学校の現場にどんなカタチで現れてきているのでしょう。

                              (次回に続く)