教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

教師は一番の人権教育テキスト

教科担任制を採用していない小学校では、1日の大半を担任教師と過ごします。そうしたクラスでは、担任に気に入られるように生きることが、子どもにとっての「生きる力」になります。子どもの年齢が低ければ低いほど、その傾向は顕著です。物言いまで伝染します。


事例を1つ。
かつて私の職場に、

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と発音する教師がいました。その教師の生まれ育った土地のイントネーションのようです。1年が過ぎると、この物言いは子どもたちに例外なく100%定着していました。

次の年に私はそのクラスを担任しました。オーソドックスな言い方に戻そうとしましたが、こちらが匙を投げ出したくなるほど根気のいる作業でした。

ことほど左様に(などという時代がかった大仰な表現を用いたくなるほどに)、担任の影響力はスゴイのです。

 

 

あなたは、朝の会の時間、子どもたちにどんな話をしていますか。

職員朝の会の連絡でしょうか、昨日の大きなニュースでしょうか、ちょっとした季節の移ろいでしょうか、それとも宿題をしてこなかった子への叱責でしょうか。


あなたは、どんな時、子どもたちに本気で怒りますか。

友だちをバカにするような言動をした時でしょうか、宿題を続けてしてこなかった時でしょうか、それともあなたの言うことを聞かなかった時でしょうか。


あなたは、どんな時、子どもたちを褒めていますか。


あなたは、どんな時、子どもたちの話をじっくりと聞いていますか。


あなたは、…

 

 

子どもたちは、じっとあなたを見ています。

 

子どもたちは、担任であるあなたが朝の会で話す話題で「世界」をつくります。担任であるあなたが何に怒り、何を褒め、何に耳を傾けてくれるかを「ものさし」にして生きています。

 


忘れ物の多い子って、どこのクラスにもいるものです。

それをなんとかしようと、「忘れ物調べ」なるものも結構一般的にやられています。私が廊下から他所様のことを知り得るのは、表にして掲示している学級があるからです。

この表にも個人累積型とグループ集計型の2種類があります。

個人累積型は、忘れ物が一定数に達するとペナルティーを科されることが多いようです。

グループ集計型は、班で励まし合って忘れ物ゼロをめざすもので、達成班が賞賛されることが多いようです。

 

--ここでは、あえて取り組みの評価は行いません。

考えたいのは、取り組みが発する意図しないメッセージについてです。

 

個人累積型の取り組みが、Aくんの自覚を促すという本来の目的を離れて、「Aくんはダメな子」といった類いのマイナスレッテルを周りの子たちに植え付けてはいないでしょうか。

グループ集計型の取り組みが、Aくんを励ましつつ集団を高めるという本来の目的を離れて、「Aくんは迷惑な子、困った子」といった類いのマイナスレッテルを周りの子たちに植え付けてはいないでしょうか。

 

あなたは善意の指導者でしょう。

しかし、もしもあなたの指導によって、あなたの意図しないメッセージが子どもたちに伝わっているとしたら、どうでしょう。

あなたの影響力は、絶大です。

 

 

教師の人権感覚について考える時、自らへの戒めとしている文章があります。

それは、田島征三さんが『しばてん』の“あとがき”として書かれた「しばてんとぼく」という一文です。入手困難と思われますので、掲載させていただきます。

 

              「しばてん」とぼく
 「しばてん」とは、むかし、土佐の国(いまの高知県)に住んでいたと、言い伝えられているおばけのなかまです。
  ぼくが、子どものころ、高知県にいたので、よく「しばてん」の話を、おじいさんやおばあさんから聞きました。
  ぼくの聞いた「しばてん」の話は、すもうが強かったり、カッパににていたりというようなことだけで、ひとつもまとまった話ではありませんでした。おとなになってから、ぼくが、こんな「しばてん」の話をつくったのは、つぎのような思い出があったからなのです。
  四年生か五年生かの年、ぼくたちのクラスに、けんかばかり強い男の子がいました。その子の家は、たいへんまずしいようで、いつもつぎのあたった服を着て、たいていはだしで登校していました。
 なぜか、その子は、毎日のように先生にしかられるのでした。
 先生は、その子を教だんの所へ立たせて、両方のほほをかわるがわる平手で打つのです。びっくりするほど、いせいのよい音がして、たいていの場合、あっさりとその子はひっくりかえるのです。ときには、黒坂にその子の頭をこすりつけたり、ごつごつぶっつけたりもしました。
 ぼくは、むねがつぶれそうになりながら、先生がその子にすることを見ていました。しかし、いつのまにか、なれてしまって、なんにも感じなくなっていました。
 ふしぎなことに、一度もその子は泣きませんでした。
 ほかの子は、先生にしかられると、だいたい泣くか、なみだが出るちょっとまえのところでがまんしているような顔になって、下をむいているかです。とくに、お金持ちの家の子で、優等生などは、少し注意されただけで、両の日からなみだがこぼれそうになるし、ときには、つぎの日、学校を休んでしまったり、母親つきそいでやって来たりするのです。
 けれども、その子だけは、はらがたつほど平気な顔をしていました。ぼくは、その子をたのもしく思ったこともあるくらいです。
 とくに、ある日の事件をわすれることはできません。学級の図書が数さつやぶれたり、しわになったりしているのを先生が見つけたときです。犯人は、ぼくをふくめて数人のなかまでした。ぼくたちは、しかられるのがこわく、だまっていました。そうしたら、いつのまにか、犯人は、その子ひとりだということになってしまったのです。
 くわしいことはわすれました。その子白身、犯人のひとりだったかどうかも、いまは、はっきりおぼえていません。しかし、その子がひとことも言わずに、なみだひとつぶもこぼさずに、黒板に何度も何度も頭をぶっつけられていた婆は、目にやきついてわすれられないのです。
 そのとき、ぼくたちは、心の中で、あいつならいつもやられているから、平気でいられるにちがいない、と思っていました。ちょうど「しばてん」のなかで、村びとたちが、太郎のことをそう思ったように。
 いま、おとなになったぼくは考えます。
 どんな目にあわされても、一度も泣かなかった、あの子のからだの中は、いつも、なみだでいっぱいだったということを。
 いま、ぼくは、あのときの自分をにくみます。
 そして、あの子を、ひどい目にあわせた先生をにくみます。あの先生が、おそろしい先生でなかったら、ぼくたちは、すなおに自分たちがやったことを話せたはずでした。

 

田島さんの学級の先生が、「その子」を貶めてやろうといった“悪意”を持った人だったとは思えません。やり方はともかくも、「その子」を“教育”しようという“熱意”の持ち主だったと信じたいです。そうであるとしてもなお、先生の毎日の「その子」に対する立ち居振る舞いが、「ぼく」を作ったのです。それが、先生の背中が示した教育だったのです。


田島さんが「しばてん」を書くまでに、どれくらいの時間が経ったのでしょう。20年ほどの時を経て、「いま、ぼくは、あのときの自分をにくみます。」と書かせた「背中の教育」は何だったのでしょう。私は、教え子にこんな思いを背負わせていることに、同じ職にあったものとして胸が痛みます。

 

 

もうおわかりですね。人権教育にとってまず大事なのは、立派な年間計画でも優れた教材でもありません。教師の息づかい、存在そのものなのです。「教師は一番の人権教育テキスト」なのです。教育(子育て)において教師は一番のテキストだと言っても過言ではないでしょう。

 

 

こうしてみてくると、決定的に大事なのは、教師の人権感覚ということになります。その人権感覚なるものは、磨くことによって輝きを増し、怠惰によって鈍ります。感性のアンテナには幾らか感度の違いはあるでしょうが、磨くことで鋭くなります。


どうやって磨くか。それは、自己研鑽を重ねるしか方法はありません。などと言うと重たく感じる向きもありましょうが、教育の「必要条件」を整えているのです。
教師にとっての人権教育は自分磨きの過程です。その結果として、子どもにとっては、教師が一番の人権教育テキストになるのです。