教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「心の中はさけびたいほど悲しかったにちがいないわ」~忘れ得ぬ子のこと②~

教師面をして子どもの前に立っていると、ときに後ろからハンマーで殴打されたような衝撃を受けることがあります。「しばてん」のまきさんとまさこさんの時もそうでした。

 

32年も前のことです。

5年生のクラスで、田島征三さんの「しばてん」を使って国語の授業をしました。

そのとき、どうしても物語の最後の場面を読み取ることができませんでした。

 

 しかし、しばらくたって、役人が村へ来て、
「長者の倉の米だわらをぬすんだやつはだれだ。」
と、よばわった。
 百しょうたちは、だまっていた。
「長者の米を食ったやつはだれだ。」
 役人が、またどなった。
 みな、ふるえながら考えたのは、しばてんのことだ。
 あいつはばけものだから、やすやすとなわをぬけられるだろう。
 うちくびになっても、にいっとわらって、生きかえるにちがいないと、村びとたちは思った。
「しばてんです。」
「しばてんが全部やりました。」
と、口ぐちに答えた。
 太郎は、あらなわでしばられて、役人にひきたてられていって、そのまま帰ってこなかった。
        
                      
 秋祭りがくるたびに、村びとたちは、いなくなった太郎のことを思いだす。
 自分たちの心に、いつからか住んでいるしばてんのことを思いながら。

 

当時の記録です。

 

Ⅰ.「しばてん」読みの授業

5.授業について  ~読み切れなかったラストシーン~

 この作品のテーマに迫るシーンをぼくらは読み切れなかった。
 人間の思考というのは、自らの経験を価値判断の物差しとして行われる。その「経験」という時、それは実際の生活の中での直接的な経験と読書などを通した間接的な経験とがあると思う。そしてぼくは、教育の営みが子どもの中にこうした価値基準を形作っていくことに、大きな意義を感じている。今回、「しばてん」を教材に選んだのもその辺の理由からである。
 ところが、授業は結果として失敗に終わった。子どもの実情からして若干教材が難しすぎたのかもしれない。考え合うこと、議論することが苦手だという弱さがラストシーンに出た。ぼくらの学級がこの作品を読み切れるほどに高まっていなかったのだとも思う。それは、日頃の生活の中で、なかまの心を思いやった付き合いをしていないという、学級の質の現れでもある。「くやしいけれど、それがぼくらの現実だ。なあ、みんな。いつの日か、きっとこの場面に帰って話し合おう。その時ぼくらのクラスは前に進むのだ。読み切れなかったくやしさと課題を持ち続けて生きよう。」そう総括をして一応授業は終わった。

 

その後、このクラスは「しばてん」の劇化に取り組むことになります。記録の続きです。


Ⅱ.劇「しばてん」
  1.劇をつくろうシナリオ大募集

 4月に学級の年間計画を立てた時、映画づくりか劇をしたいという声が上がっていた。その時点では具体的な計画はなかったのだが、授業が終わる頃からもう一度『しばてん』で勝負してみたいという思いが膨らんできていた。子どもたちに相談したらやってみようということになって11月中旬からシナリオづくりに取りかかった。まず、場面の設定をして、場面ごとにシナリオを募集した。書き込みや授業記録をもとにして書かれてくる子どもたちのシナリオは、その子の人柄が滲み出ているものが多く、興味深かった。わずかに補足した箇所はあるものの、ほぼ子どもたちの原稿を編集することでシナリオは出来ていった。


  2.再びラストシーンへ
 シナリオづくりは、ラストシーンの手前で止まってしまった。読めていないのだから当然のことである。第七幕(ラストシーンの前)までのシナリオの読み合わせをしている間に、子どもたちのラストシーンに対する思いが変わってきた。つまり、役人に引き立てられていく太郎を見送る村人の思いを自分の方に引き寄せられてきたのだろう。そこで、さねとうあきらの『首なしほていどん』の読み聞かせをした。二つの作品には共通点が多いだけでなく、子どもたちが読み切れなかったテーマに迫る村人の心象風景が一層細やかに描出されている。それを受けて、再度ラストシーンの授業に挑んだ。シナリオを作り始めてから1か月、12月10日のことだった。
 「秋祭りがくるたびに、村びとたちは、いなくなった太郎のことを思いだす。自分たちの心にいつからか住んでいるしばてんのことをおもいながら。」このラストシーンで、村人たちが思い出す太郎の事というのは、役人に売り渡した時のことだという点では一致できるようになった。しかし、そこでの村人の呟きとなると、ひたすら懺悔する子、仕方がなかったと居直る子など、さまざまだった。もとより、さまざまあっていいのだが、太郎の思いに迫るものや、どうすればよかったのだろうかと考えるものが出てきたのは収穫だった。「あの日にわしらは太郎にあんなことをしてしまった。その時わしは、太郎の気持ちを考えなかった。太郎はなにも言わなかったけれど、太郎はさけびたいほどかなしかったにちがいない。」と書いたまきさんは、女の子の間のいざこざがあっても、どうしたらいいかわからないと言いながらも決して○○さんから離れていくことのない子だった。
 太郎の心を考えたうえで、それでは役人が来た時村人はどうすればよかったのかということを考え合った。そして、最終的に第八幕のシナリオは、村人役と村の女役の子らが書いた呟きを文末の体裁を整えてそのまま使った。

 

こうしてできあがった第8幕のシナリオが次のものです。

 

8幕

【ナレ】何年もの月日が過ぎた。


(祭りばやしが聞こえてくる。幕が開く。子どもたちがワイワイと言いながら現れ、やがて去っていく)


【ナレ】秋祭り。かつてそれは、収かくを祝う最もはれやかな日であった。しかし、村人たちは、あの日以来、腹の底から笑い、心の底から喜ぶということがなくなった。かつて楽しかった日であればあるほど、心のどこかにつかえているものが、むっくりと起き上がってきて顔をのぞかせるのだった。


(ナレーションの途中から、村人と村の女が舞台に出てくる。ゆっくりとした足どりで思い思いの場所に立ち、一点を見つめたまま静止する)


【村人⑩】太郎にはひどいことをしてしもうたのう。ふり返ってみれば、あの時のわしは、頭がくるってどうかしとったのかのう。あの時、わしは、自分さえ助かったらあとはかまわんと思ったのかもなあ。みなもそう思ったのかもしれん。あの時、本当のことを言っていればよかった。太郎をえぼし山に追い上げたり、役人にうったり、悪いことしてしもうた。本当に悪いことしてしもうた。


【村人②】おら、しばてんがやりましたと言うしかなかっただ。あいつは捨て子だから、村にひがいを与えないし、谷底へ落としても死なないくらいだから、うち首になっても帰ってくると思うがのう。おらも死ぬのはいやじゃった。


【村人⑨】わしゃあ、太郎の責任にしとうはなかった。でも、本当のことを言やあ村のもんみんながうち首になったんじゃ。ほんまにすまんかった。


【村人⑥】太郎ひとりとおらたち、いや、村のもんみんなと太郎ひとりじゃ、ああするしか仕方なかったんじゃ


【村人⑤】おらあ、ほんとのことを言えばよかったと思ってる。でも、太郎は身寄りがないから、死ぬのは一人ですむしな。自分が一番大事だとずうっと思っていたけど、命を助けてくれたヤツに罪を全部きせてしまって、おらあ、晴れ晴れとした気分にはなれねえよ。


【村人⑦】太郎はあのときどう思ってたんだろう。役人が来た時、みんなでやったと言ってたら、みんなうち首になったかもしれねえけど、長者の事を話して、食べたわけを言うんだった。それを太郎一人のせいにして、おれは二回も太郎をうらぎって、つらいめにあわせてしまった。


【村人①】おら、太郎の責任にしたくはなかった。でも、自分が生きるには、ああするしかなかったんじゃ。役人が、いや、ばつがあんなにきつくなければ、はっきり言えたかもしれんのじゃが。おら、ずるい人間じゃ。いいや、おら人間ではない。太郎こそが人間じゃ。

 

【村人③】太郎にはほんとにすまないことをした。わたしらは太郎をうら切った。あの時のわたしらは、太郎の気持ちを考えなかったのよ。あの太郎の悲しそうな目が、心にやきついてはなれやしない。太郎は、なにも言わなかったけど、心の中はさけびたいほど悲しかったにちがいないわ。 

 

【村人④】わたしら、太郎を自分の都合のええようにばっかりしとったなあ。でも太郎はもんく一つ言わずに、わたしらを助けてくれた。長者さまの米倉を打ちこわしに行った時も、役人が来た時も……。役人が来た時、長者さまがどれほどひどい人だったかをきちんと言っとれば、あるいは……。役人に連れて行かれる時、きっと太郎は、わたしらのことあきらめていたんだわ。だから、「この村の人たち、みんなが米を食べたんだ」とは言わなかったのねぇ。

 

村人たちのつぶやきは、どれもこれも教師である私を十分に満足させるものでした。この時点で私は高みにいて、私の「ものさし」で子どもの読みを評価しています。村人①の「成長」なんぞはうれしくて仕方ありません。

 

そんな私を後ろからハンマーで殴打したのが、村人③と村人④でした。

 

村人③のまきさんは言います。

太郎は、なにも言わなかったけど、心の中はさけびたいほど悲しかったにちがいないわ。 

村人④のまさこさんは言います。

役人に連れて行かれる時、きっと太郎は、わたしらのことあきらめていたんだわ。だから、『この村の人たち、みんなが米を食べたんだ』とは言わなかったのねぇ。

 

なんという読みができるのでしょう。私には彼女たちの読みを評価することはできませんでした。なぜなら、彼女たちの読みは私の読み、言い換えれば私の「ものさし」をはるかに超えていたのですから。しばし絶句。そして、ただただ「すごい」というしかありませんでした。

 

教えることを通して教えられる。またひとつ、宝ものが増えました。

 

教師は教えることが仕事ですが、そうだからこそ子どもに対して謙虚でなければならないと思うのです。

教師の立ち位置、目線の高さ、言葉の端々にそれは滲み出るものです。

 

それから14年後、私はまきさんとまさこさんの残してくれた言葉を演じることで感じとってほしくて、5年生のクラスで「しばてん」の映画を作りました。