教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

教育の「縦糸」と「横糸」

 ■教育における「縦糸」と「横糸」■

 

「クラスのめあて」を教室に掲示したからといって、何かが変わるわけではありません。大事なのは、めあてに向かっていかに歩を進めるかということです。


織物に縦糸と横糸があるように、教育にも「縦糸」と「横糸」があります。

 

教育における「縦糸」というのは、どんな学級集団を作るのかという理念です。

 

「横糸」というのは、「縦糸」と織りなすことでイメージ通りの絵柄を描くに足りる教育実践です。

 

「縦糸」は理念であり、現実には子どもたちのその時々の姿として私たちの前に現れます。その「縦糸」にマッチする「横糸」を用意し、織り上げていくのが教師の仕事です。私にとっての学級通信は、その際の大事な小道具でした。

 

このように考えると、全教育活動において学級集団づくりがかなりの位置を占めることになります。それに費やす労力は決して小さくありません。

にもかかわらず、なぜ学級集団づくりなのかと問われれば、子どもたちに安心して自己実現できる学びの場を提供したいからだと私は答えます。

読み・書き・計算といった学力が、自分のできなさや間違いを隠し合う学級の中で育つとは考えられないからです。

学級集団づくりは、学級担任である私の生命線だと思っています。

 

 

教科の学習においても同じことが言えます。

教科の本質、単元の目標、本時のねらいが「縦糸」にあたります。そして、どんな教材を使って、どんなしかけを作り、どんな活動を組むかということが「横糸」になります。

 

「縦糸」のない「横糸」だけの教育実践は、あたかも糸の切れた凧のようなものです。ハウツーものを悪く言うつもりはありませんが、ハウツーはあくまでも「横糸」の一つに過ぎません。「横糸」をいくつ束ねても、織物にはならないのです。現実には、そうした実践が溢れているのですが。

 


■教育における「目的」と「手段」■

 

教育における「縦糸」と「横糸」の関係は、「目的」と「手段」と言い換えることもできます。

 

1988年に5年生の学級で取り組んだ「しばてん」を例にお話ししましょう。(文章の「原本」は1989年3月に書いたものです)

 

Ⅰ.「しばてん」読みの授業


 1.この子らに「しばてん」を


詳細は省きますが、出会いから1カ月ほどして一人の女の子が両親の「離婚騒動」を日記に書いてきました。そして、彼女は、日記のおしまいに「みんなにはわたしがいいって言うまで言わないでね」と書いていました。

それは、知られたくないことだけど、本当は自分のことを知ってほしいという思いのあらわれです。彼女が安心して自分の心の内を語れる集団を育てること、それが、私に“すがる”しかなかった彼女に対して、私がしなければならないことだと思いました。


幸いにして、“離婚”の件は数日後の「世界一うれしいこと」という日記によって、表面的には解決しました。

しかし、集団づくりの課題はこの件で一層明確になったように思いました。

 

一見これといった問題のない学級でありましたが、その平静さは、他人のことに無関心に生きることによって生まれる類のものに見えてきました。加えて、そこからくる自治能力の低さが、過度に教師に依存した集団の体質を醸していました。そこには隠然たる力の関係があって、その頂点に位置している児童への慢性的な服従と不満として燻っていました。当然にも、「頂点」にいた児童にも集団への不信と不満がありました。


“なかまとかかわって生きる”ということはなかなかに難しいものです。日記指導とそれを一枚文集で集団に返すことに重点を置いてはいましたが、一朝一夕に進むものではありません。

この子らの心に届くものを、集団を耕し育ててくれる教材をと考えて選んだのが「しばてん」でした。

 

  2.「しばてん」をこう読む


「しばてん」は、作者・田島征三氏の育った土佐で、今でも人々に親しまれている妖怪「しばてん」をモチーフにして、作者が子どもの頃に起こった学級での出来事を思い浮かべながら書かれた作品です。作品は、多くの人間の内に潜む弱い立場にある者を差別しながらしか生きていけない人間のかなしさを問おうとするものです。


私は、村人の位置に視点を置きながら読みを進めたいと考えました。

村人の視点とは学級集団の大多数の視点であり、そこから太郎を、或いはまた長者・役人を見据えていきたいと考えたのです。

そうした視点で作品を見た時ポイントの第1は、太郎をえぼし山に追い上げるに至る村人の行為にあります。

第2は、長者の米倉の打ち壊しに至る村人にあります。

第3は、太郎を役人に売り渡す村人にあります。

第1については、貧しい生活の中で米を出し合って太郎を育てるやさしさを持つ村人たちでありながら、一旦「しばてんの生まれ変わりではないか」と疑いを持ち始めると、長者の一声で太郎をえぼし山に追い上げてしまっています。ここに大衆心理や大衆の持つ弱さといったものを見ることができます。これは学級集団がしばしば見せる姿でもあります。この村人の位置に立ちながら、村人によって追い上げられた太郎の気持ちを考えたいと思います。さらには、長者の意図を考えたいと思います。

第2については、まず村人にとって長者の存在は何だったのかということが問題になります。権力者としての冷酷さ、ずるさが、村人の打ち壊しを生んでいくのです。この作品を扱ううえで、身分制度のことがよく問題にされています。確かに時代背景をある程度つかませることは必要です。しかし、士と農工商という身分制度を理解しないと読めないということではありません。本来、力を併せなくてはならない農民の中にあって、長者が「権力者」として村人を支配し、村人はより社会的弱者である太郎を裏切っていく。そこに権力の支配構造を読み取ることのほうが、問題を一層明確にするのではないかと思います。さて、打ち壊しは、村人にとってまさに生死の瀬戸際での選択でした。それは、子どもたちの中にある「盗みは悪いこと」という「公式」では割り切れないものです。この場面は、米「騒動」の思想に通じるものとして読みたいと思います。

第3については、「しばてん」という「非人間的なもの」に転嫁することによって自分の罪の意識を合理化していく村人の姿が問題になります。ここには差別の意識構造があります。そして、それはまた学級集団にあって子どもたちがしばしば見せる姿でもあります。道徳的な善悪の問題ではなく、自分たちのクラスの問題と繋げて読ませたいと思います。一方、村人によって役人に売り渡された太郎の問題です。涙一粒流さず、真実を語ることもしなかった太郎ですが、この場面の太郎の挿絵は、あとがき「しばてんとぼく」にある「あの子のからだの中は、いつも、なみだでいっぱいだった」と符合するものです。ここは深く読み取りたいところです。太郎は、村人の中に同じ被抑圧者としての悲しみを見、村人の行為を許したのでしょうか。それもあるように思うし、それ以上に、結局は繋がり切れなかった村人に対する諦めがあったのではないかと思います。何れにしても悲しい選択です。切羽詰まった村人の行為は理解できますが、それが太郎にどれほど悲しい選択をさせたかという結果は、改めて問われなければなりません。そこから、村人を差別的行為に追いやった権力の仕組みが見えてくるはずです。


当時の時代背景を度外視しても、何が問題の解決になるのかを考えることは、子どもの力からして困難に思います。しかし、なかまと関わって生きる、なかまと繋がって生きるということのできにくいクラスの実態であるからこそ、この作品と深く深く出会わせたいと考えます。

 

 3.授業の進め方 4.授業の記録 (省略)

 

 5.授業について --読み切れなかったラストシーン--


物語のラストシーン、あとがきにあたる「しばてんとぼく」というこの作品のテーマに迫るシーンを私たちは読み切れませんでした。


人間の思考というのは、自らの経験を価値判断の物差しとして行われます。その「経験」という時、それは実際の生活の中での直接的な経験と読書などを通した間接的な経験とがあると思います。そして私は、教育の営みが子どもの中にこうした価値基準を形作っていくことに、大きな意義を感じています。「しばてん」を教材に選んだのもその辺の理由からでした。


ところが、授業は結果として失敗に終わりました。子どもの実情からして若干教材が難しすぎたのかもしれません。考え合うこと、議論することが苦手だという弱さがラストシーンに出ました。学級がこの作品を読み切れるほどに高まっていなかったのだとも思います。それは、日頃の生活の中で、なかまの心を思いやった付き合いをしていないという、学級の質の現れでもあります。「くやしいけれど、それがぼくらの現実だ。なあ、みんな。いつの日か、きっとこの場面に帰って話し合おう。その時ぼくらのクラスは前に進むのだ。読み切れなかったくやしさと課題を持ち続けて生きよう。」そう総括をして一応授業は終わりました。

 


Ⅱ.劇「しばてん」


 1.劇をつくろう  --シナリオ大募集--


4月に学級の年間計画を立てた時、映画づくりか劇をしたいという声が上がっていました。その時点では具体的な計画はなかったのですが、授業が終わる頃からもう一度『しばてん』で勝負してみたいという思いが膨らんできていました。

子どもたちに相談したらやってみようということになって11月中旬からシナリオづくりに取りかかりました。まず、場面の設定をして、場面ごとにシナリオを募集しました。書き込みや授業記録をもとにして書かれてくる子どもたちのシナリオは、その子の人柄が滲み出ているものが多く、興味深いものでした。わずかに補足した箇所はあるものの、ほぼ子どもたちの原稿を編集することでシナリオは出来ていきました。

 

  2.再びラストシーンへ


シナリオづくりは、ラストシーンの手前で止まってしまいました。読めていないのだから当然のことです。

第七幕(ラストシーンの前)までのシナリオの読み合わせをしている間に、子どもたちのラストシーンに対する思いが変わってきました。つまり、役人に引き立てられていく太郎を見送る村人の思いを自分の方に引き寄せられてきたのでしょう。

そこで、さねとうあきらの『首なしほていどん』の読み聞かせをしました。二つの作品には共通点が多いだけでなく、子どもたちが読み切れなかったテーマに迫る村人の心象風景が一層細やかに描出されています。

それを受けて、再度ラストシーンの授業に挑みました。シナリオを作り始めてから1か月、12月10日のことだでした。


「秋祭りがくるたびに、村びとたちは、いなくなった太郎のことを思いだす。自分たちの心にいつからか住んでいるしばてんのことをおもいながら。」

このラストシーンで、村人たちが思い出す太郎の事というのは、役人に売り渡した時のことだという点では一致できるようになりました。

しかし、そこでの村人の呟きとなると、ひたすら懺悔する子、仕方がなかったと居直る子など、さまざまでした。もとより、さまざまあっていいのですが、太郎の思いに迫るものや、どうすればよかったのだろうかと考えるものが出てきたのは収穫でした。

 

「あの日にわしらは太郎にあんなことをしてしまった。その時わしは、太郎の気持ちを考えなかった。太郎はなにも言わなかったけれど、太郎はさけびたいほどかなしかったにちがいない。」と書いた子は、女の子の間のいざこざがあっても、どうしたらいいかわからないと言いながらも決して問題の中心にいた子から離れていくことのない子でした。


太郎の心を考えたうえで、それでは役人が来た時村人はどうすればよかったのかということを考え合いました。

そして、最終的に第八幕のシナリオは、村人役と村の女役の子らが書いた呟きをほぼそのまま使いました。


村人②「おら、しばてんがやりましたと言うしかなかっただ。あいつは捨て子だから、村にひがいを与えないし、谷底へ落としても死なないくらいだから、うち首になっても帰ってくると思うがのう。おらも死ぬのはいやじゃった。」


村の女③「太郎にはほんとにすまないことをした。わたしらは、太郎をうら切った。あの時のわたしらは、太郎の気持ちを考えなかったのよ。あの太郎の悲しそうな目が、心にやきついてはなれやしない。太郎は、なにも言わなかったけど、心の中はさけびたいほど悲しかったにちがいないわ。」


村の女④「わたしら、太郎を自分らの都合のええようにばっかりしとったなあ。でも、太郎はもんく一つ言わずに、わしらを助けてくれた。長者さまの倉を打ちこわしに行った時も、役人が来た時も……。役人が来た時、長者さまがどれほどひどい人だったかをきちんと言っとれば、あるいは……。役人に連れて行かれる時、きっと太郎は、わたしらのことあきらめていたんだわ。だから、『この村の人たち、みんなが米を食べたんだ。』とは、言わなかったのねぇ。」

 

 3.シナリオ --心の中はさけびたいほど悲しかったにちがいないわ--(省略)

 

 4.演じるということ


   (1) 米は盗むんじゃねえ、奪い返すんじゃ  ~村人②のこと~


10月に学級で“事件”が起こりました。

村人②役の子を頂点として数人の男の子たちが「やくざ組」なるものを作りました。その中にも上下関係があって(力の関係を反映したもの)、一番「下」の子を鍛えてやると言って「組」に入っていない子ら(「力」の弱い子らがほとんど)に「果たし状」を突きつけました。突きつけられた子どもたちは、葛藤の末にそれに応じ、屋上に続く階段のところで「決闘」になりました。「決闘」は、その一番「下」の子が泣いてしまって、やや「上」の子が仕返しをしたところで、村人②の一声があって幕となりました。

-- 翌日、学級で話し合う中で見えてきたものがあります。

「組」は村人②が遊び仲間との冗談から作ったものでした。ところがそれが冗談の域を超えそうになった時、多くの子が「組」から出たいと思いましたが、村人②が「こわい」から言えなかったというのです。

一方、「果たし状」を貰った子どもたちは、けんかの弱い子が多かったし負けるのが分かっているのだから、困ったことになったと思いましたが、言うことを聞かないと何をされるか分からないから応じることにしたと言うのです。

ところが、クラスの中に、過去に村人②から実際に「何か」をされたという子は、だれもいませんでした。わずかに一人だけ、2年生の時にけんかをしたという子がいましたが、その時は村人②が負けています。

確かに彼はクラスで一番体躯が大きく、存在感もあります。顎で人を使っている面も実際にあります。しかし、回りの子どもたちの彼を見る目が、彼を「こわい」存在にしてしまっている側面も大きいのです。さらには、彼の陰に隠れて自分の行動を正当化している子どもたちの課題はもっと大きいです。あるいはまた、この問題に限らず、その「前兆」として起こっていたいくつかの小さな問題を見過ごしてきた女子も含めた集団の課題も大きいです。


第1幕のシナリオが出来た時点で、配役を決めました。

所謂「弱い」と言われている子どもたちが長者の倉の番人や役人という村人をやっつける側の役を選んだのは、偶然ではないように思います。言うまでもなくこの劇の主役は村人たちですが、

件(くだん)の彼は村人②になりました。村人②は、村一番相撲の強い青年です。

10人の村人のせりふや行動は、彼らの日常と相当に重なっています。そんな中で特別に思いを込めて書いたのが、第4幕・「打ちこわし」の相談の場面での村人②のせりふです。

相談がほぼまとまったところで村人⑦が言います。

「あのう、打ちこわし言うても、しょせんはどろぼうぜよ。おら、ぬすんだ米で腹を大きいはできん。」

それに対する村人②の言葉。

「いいや、それはちがう。長者の倉につまっている米を作ったのは、おらたち百しょうだ。それを長者が年ぐじゃと言うてとりあげたんじゃないか。おらたちは、おらたちの作った米を、長者からうばいかえすんじゃ。」

これは、米「騒動」の思想に通じ、更には解放の思想に通じるものです。小学生の彼にどれほど理解できるかは難しい問題ですが、演じ切ることによって自分のものにしてくれたらと願いました。

 

  (2) ややこを助けとうせ おちちがでんきに ~村の女①のこと~


1学期の個人懇談の時でした。

娘(村の女①役の子)を連れてこられていたお母さんは、私に話すと言うよりも我が娘に語り聞かせるように話し出されました。

「小学校に入った頃、小さい弟の世話をせんとあかんかって、学校へ行けへんかった。たまに行ったら字わからへんし、それを家で教えてもろたら、いやみ言うていじめられて……。」

村の女①は、また始まったという顔をしました。私には、お母さんが何を言いたくて自分の子どものころの話を始められたのかがよく分かりました。同時に、その思いが娘に届き切っていないことも分かりました。

「学校時代のくやしさを生きるバネにしてきた。仕事だけは誰にも負けるものかと、人の2倍も3倍も働いてきた。」

このときの言葉が耳についていました。

 

9月初め、お母さんの話を聞かせてもらいにお宅へお邪魔しました。私が聞きたかったからなのですが、同時にこの母親の人生をきちんと伝えることが、娘・村の女①をシャンと生きさせることになると思いました。私は、村の女①にお母さんの歩みを聞き取りするように伝えて、その日は帰りました。
聞き取りの中にこういうくだりがあります。

「お母さんは生まれて間もない弟や妹のめんどうを見ていました。お母さんの兄弟が多くて、弟をおんぶして友だちとまりつきや、お手玉や、ゴムとびや、ペッタンとか、なわとびなどで遊びました。おばあちゃんは体がわるかったので、おちちが出なかったので、ごはんのおも湯をとって、さとうをいれておちちのかわりとしてのませてあげた。」


彼女は、村の女①の役を演じます。

日照り続きで村に食べ物がなく、長者のところにもの請いにいった時、村の女①は言います。

「ややこを助けととうせ。おちちが出んきに。」

-- 村の女①は彼女の祖母であり、幼き日の母の姿であります。おばあちゃんはなぜ体が弱かったのか。おじいちゃんになぜ決まった仕事がなかったのか。おばあちゃんはなぜ内職をしなければならなかったのか。……それらの結果として、おばあちゃんはお乳が出ず、お母さんは弟におも湯を飲ませ子守りをし、あまり学校へ行くことが出来なかったのです。

彼女がこのいくつかの「なぜ」に答えを出していくこと、そして、今なお朝早くから夜遅くまで時間と戦いながら仕事を続ける母親の生きざまに触れることが、「お乳が出んきに」という台詞に血を通わせることになるのだと思います。彼女が村の女を演じ切った時、彼女自身が一つ前に進むのだと思います。

 

  (3) 演じるということ


演じるということは、自分が役に近づくことであり、同時に役を自分の方に引き寄せてくることでもあります。読みの中で何となく理解していた太郎の思いや村人の思いを、演じることを通して理解を超えた実感として自分のものにできたように思います。

 わたしは、「しばてん」のげきをして、国語の時間に読んだ時にはぜんぜん気が付かなかったことが、わかったことがたくさんありました。8まくの所の太郎の気持ちや、3まくのうちこわしの相談のところです。うちこわしのことは、はじめ、失敗すればうち首になるという村人の気持ちにはなってなかったけど、げきをしてよくわかりました。今日のげきではとってもきんちょうして寒いのもわすれてしまいそうでした。
                                                               -劇後の感想より-

 


Ⅲ.版画集「しばてん」 一彫り一彫りに我が思いを


劇の本番を間近に控えて、役をつかませたいという思いから、自分の一番気に入っている台詞或いは気になっている台詞に込める思いを書かせました。

そして、劇が終わってからの図工の時間、自分がその台詞を言っている場面を絵に描いて、木版画にしました。子どもたちは、一彫り一彫りに台詞に込めた我が思いを刻み込んでいきました。刷り上がった版画の下に台詞を書き込んで、1冊の版画集「しばてん」が出来上がりました。

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Ⅳ.「しばてん」が残したもの


縦糸に学級集団づくり、横糸に授業実践という、一連の「しばてん」の取り組みは、版画集をもって一応終わりました。9月22日に読みの授業の第1時“題名読み”をしてから、5か月が過ぎていました。

 

横糸の授業実践の総括ということになると、総括の視点が難しいのですが非常に雑な言い方をすれば、「しばてん」を契機に子どもの読みが深くなったこと、劇や版画に対してこれまでになく意欲的に取り組んだことをプラス面の総括としたいと思います。

 

私にとっては横糸の個々の総括よりも総体としての縦糸の総括こそが重要に思えるので、学級集団づくりの視点から検証しておきたいと思います。


学級には、子どもたちが制定した学級憲法がありました。
①私たちは、明るく楽しいクラスをつくります
②私たちは、男子と女子が力を合わせる仲のよいクラスをつくります
③私たちは、よく話し合います
④私たちは、なかまはずれや差別をゆるしません
⑤私たちは、人の気持ちを考えられる子どもになります


集団を総括する検証軸は、この学級憲法にあります。

 ■ぼくは、この1年間で全体的な力の関係がなくなってきたと思う。でもそれは一時的なものかもしれない。なぜなら、まだ一部分に力の関係が残っているからだ。それをぼくは6年になったら完全になくしていきたい。これは5年1組の目標だと、ぼくは思っている。


■力の関係が減っていくにしたがって、男子と女子が話したりする事が多くなってきたと思う。これは、学級憲法第2条が多少実行されていることになると思う。それに近ごろは第4条の「私たちは、なかまはずれや差別をゆるしません」がきっちり守れているような気がする。


■でも第5条は、あまり守られていない。近ごろは1組でいじめがなくなったが、それは人の気持ちが完全にわかったわけでなく、単にいじめるのをやめただけではないだろうかと思っている ぼくは、人の気持ちを考えられるようになるには、やはりあのしばてんのラストシーンの意味と「しばてんとぼく」の所の意味を読み通さなくてはいけないと思う。(Sくん)


「道しるべ5年生」として書いた綴り方の中に、「しばてん」の劇に触れたものが多数ありました。それも、単に思い出としてではなく、学級集団を見つめたものが相当ありました。それらは一様に男子と女子の仲が良くなったことなどの成果を認めつつ、Sくんと同様の課題を感じている子も数人いました。

確かに集団は変わってきていますが、もし学級憲法にゴールがあるとすれば、今やっとスタートラインに並んだところだと思います。

憲法の①と②ができて「なかよし」、③④⑤ができてやっと「なかま」になれるんだと思います。スタートラインに並ぶのに1年近く掛かったことになりますが、集団をきちんと見据える子どもが育ってきたことを、一番の成果としたいと思います。いよいよこれからが勝負です。

 

 

読みの授業のはじめに、次のように書いています。

 

一見これといった問題のない学級でありましたが、その平静さは、他人のことに無関心に生きることによって生まれる類のものに見えてきました。加えて、そこからくる自治能力の低さが、過度に教師に依存した集団の体質を醸していました。そこには隠然たる力の関係があって、その頂点に位置している児童への慢性的な服従と不満として燻っていました。当然にも、「頂点」にいた児童にも集団への不信と不満がありました。


“なかまとかかわって生きる”ということはなかなかに難しいものです。日記指導とそれを一枚文集で集団に返すことに重点を置いてはいましたが、一朝一夕に進むものではありません。

この子らの心に届くものを、集団を耕し育ててくれる教材をと考えて選んだのが「しばてん」でした。


外部に出した文章なので抽象的な表現になっていますが、それが学級の実態でした。

そうした実態を踏まえて、「この子らの心に届くものを、集団を耕し育ててくれる教材をと考えて選んだのが「しばてん」でした。 」というわけです。

 

「子らの心に届く」「集団を耕す」ことが、「縦糸」であり、「目的」にあたります。「しばてん」は、「縦糸」と織りなすことでイメージ通りの絵柄を描くに足りる教材だと、私は考えました。そして、具体的展開部分の「文学の読み」「劇化」「版画集」は、「横糸」=「手段」にあたります。

 

上の場面において、劇であればなんでもいいわけではなく、「しばてん」の劇であることに意味があるのです。演劇活動を行うことが重要なのではありません。演劇を通して(演劇を「手段」として)、集団を耕すことが「目的」なのです。


繰り返しになりますが、教師にとっては、劇化は「目的」に迫るための「手段」です。子どもにとっては、劇を上手くやることが「目的」そのものです。ここを混同してはなりません。


したがって、教師にとっての評価規準(検証軸)は、劇の出来栄えが何点かではなく、劇に取り組む中で集団がどう変容したかということでなければならないのです。

 

劇の例で言えば、取り組みに熱が入るほどに、教師にとっても劇が「目的」そのものになっていくことがあります。やがて次の機会には、劇であればなんでもいいから上手くやれればいいと考えてしまいます。

--私は、これを「手段の目的化」とよんで戒めています。

 

「手段の目的化」現象は、毎日の授業の中で頻発しています。

 

国語の研究授業で、要点の指導をする場面を考えてみましょう。


授業の「ねらい」(「目的」)は、「段落の要点をまとめることができる」です。

授業者は、そのねらいを達成する「手段」として、中心文を見つける、サイドラインを引く、ワークシートにまとめるなどの活動を考えました。ワークシートにも工夫を凝らし、キーワードをつないでいけば要点がまとめられるようにしました。


そうして迎えた当日。

授業はワークシートを仕上げたことをゴールとして終わりました。


計画段階では、ワークシートは要点のまとめ方をマスターするための「手段」でした。しかし、実際の授業では、ワークシートを埋めることが「目的」に変わっていたのです。

--「手段の目的化」とは、そういうことです。

 


■「釈迦の掌」と「孫悟空」■

 

ドラえもんの映画に、「のび太のパラレル西遊記」(1988年)という作品があります。

その冒頭場面。

のび太の扮する孫悟空が、如意棒と筋斗雲を手に入れ、世界を自由に飛び回っています。やがて、アップでのび太を映していたカメラがスーッと引いていきます。

のび太が自由に飛び回っていた世界はドラえもんの拳で、それを見つめるドラえもんが映し出されます。

釈迦の掌で踊る孫悟空の図です。

 

この1シーンは、実に象徴的です。

 

総合的な学習の時間では、子どもの興味・関心で課題を設定したり、子どもが課題解決の方法を選択したりと、殊の外自主性や自由が強調されます。

ここで言う子どもの「自由」や「自主性」とは、どういうものでしょう。額面通りに解釈したとして、一体どれほどの教室で学びが成立するのでしょうか。


私は、子どもの「自由」や「自主性」は、基本的に先の映画ののび太の姿でいいと考えています。

教師が舞台を用意し、しかけを作ります。すぐれた舞台・しかけは、子どもに作為を感じさせずに学びの世界に連れて行きます。そして、学びの主体として振る舞わせます。「釈迦の掌」はあくまでも黒子ですが、演出家の腕の見せ所です。

 

「地域遺産」(2010年度)に取り組んだ子どもが、学年末に綴った文章を紹介します。

取り組みについては別の機会に取り上げる予定ですが、ここでは子どもの達成感、自己効力感といった視点で読んでください。実を言うと、教師が引っ張りすぎた取り組みだったのですが…。

■私がこの1年間でがんばったこと、良くなった所は、人に伝えるということです。良くなったきっかけは、DVDです。DVDでは、校区の地域遺産を自分たちが決め、しょうかいをしたり、皆ががんばって作った映画が内容になっています。地域遺産も映画もどちらもがんばったこと、気を付けたことがあります。それは、「人に伝える」ということです。これは、私にとって大きな試練だったと思います。理由は、人に伝えるのが苦手だからです。上手く伝えることができないからです。地域遺産では話してそれを録音するだけなのでまちがえなければいいですが、映画とくれば、演技で人に伝えなければいけないのでむずかしいと思いました。ですが、思いっきり役になりきろうと思いました。すると上手にできました。DVDは、今では150枚の注文が来ているそうです。私は、人に伝えられたかなと思いました。
                                           
■私がこの1年間でがんばったこと、良くなったことは、地域遺産のDVDを作ったことです。そのDVDは、私たちが住む地域のことがたくさんつまったDVDです。スズランのことや、サンショウウオなど、たくさんの人にインタビューをしたり、実際に見に行って、写真におさめた物もDVDの中に入れました。場面に合った台本を自分たちで考えたりもしました。私は、そこががんばったところだと思います。
 それに、映画も作りました。これが一番大変でした。なぜなら、映画なので台本を覚えなくてはならないので、苦労しました。あと、演技も上手くなくてはならないので、私は悪戦苦闘しました。昔の人のようなしゃべり方がすごくむずかしかったです。何度も失敗を重ねながら、いい演技になっていきました。完成した作品を見ると、すごくいい作品になっていました。たくさんの人から注文が来て、私もうれしかったです。

 

 子どもの綴った文章が、一人称の文章になっています。取り組みの中で子ども一人ひとりが活動の主人公になり、達成感・成就感を伴いながら自信を深めていっていることが分かります。演出家としての私にとって、何より嬉しい瞬間です。

 

「釈迦の掌と孫悟空」の喩えは、総合以外の時間にも当然有効です。

いやむしろ、日常的にこうした学びを作れたらどんなにステキだろうと思います。