教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

学級文化と集団づくり

1.学級文化とは何か


(1) はじめに


学級文化と私が呼んでいるものの正体は、その教室に流れている空気のことです。あるいはまた、空気の結晶としての文化活動や芸術のことです。


教室に流れている空気というのは、共有化された価値観と言い換えることもできます。つまり、何に興味・関心を持ち、何を善しとし、何に情熱を注ぐかというクラスの子どもたちの有り様の問題です。


こうした空気・価値観というのは、集団に自然醸成されるものではありません。

いやむしろ、自主性の名の下に子ども任せにされた集団は、子どもの間に層を作り、学級文化を阻害する土壌を作りがちです。私は、そうしたクラスをいくつも見てきました。

学級文化は、教師が種を蒔き、子どもたちを耕し鍛えることで実を結ぶものなのです。子どもの自主性は、そのフィールドの中で発揮されるものだと考えています。

 

(2) なぜ学級文化なのか


単学級でクラス替えのない学年が、その年度によって全く異なる表情を見せることがよくあります。

子どもの発達段階ということもありますが、実のところその時々の担任教師の影響が大きいのです。教師が意識しているか否かに拘わらず、子どもたちは教師の発するメッセージに反応して生きています。1日の大半を担任教師と過ごす小学校において、子どもたちの姿は、良くも悪くも鏡に映った担任教師の姿であると言っていいでしょう。


どんな学級文化を育てるかということは、どんな学級集団を作るのかということと同義です。

担任教師は、例外なくまとまりのあるクラスを作りたいと考えています。問題は、子どもたちを繋ぎ束ねる「ボンド」です。その「ボンド」こそが「学級文化」なのです。

つまり学級文化は、めざす学級集団に近付くための手段であり表現方法であると言えます。

 

 (3) 子どもを引っ張る文化、子どもの背中を押す文化

 

学級文化には、2つの文化があると考えています。

それは、子どもを引っ張る文化と子どもの背中を押す文化です。


自分が勝負どころと決めたものについては、ためらいなく引っ張ります。引っ張るけれども押しつけはしません。選択の幅と、各選択肢における遊びや自由度は必ず確保します。子どもの「主体性」を演出するためです。

このあと紹介する内容は、総じてこの範疇に属します。


一方、子どもに100%任せてしまうこともあります。子どもに支援を求められたら手を貸しますが、それまでは危うく見えても見守ることにしています。タイムリミットだと判断した時に限り、軌道修正の指示を出すこともあります。子どもの背中を押すというのは、そういうことを指しています。

こうした時は、内容的な価値には期待しないことにしています。自分たちでやったという成就感や達成感、一体感を得られればそれでいいと思っています。

 

引っ張る文化と背中を押す文化の兼ね合いは教師次第ですが、経験則として、子どもは鍛えられる中で学び、主体的に活動するためのスキルを獲得していくということは言えます。

 

 

2.学級文化をどう育てるか


(1) プロローグ


この小稿は、2007年度6年生(以下、学級通信のタイトルより“「心の如く」の子ら”と呼ぶ)と2008年度6年生(以下、同様に“「NOBI」の子ら”と呼ぶ)の記録としてまとめるものである。

 

※ 2009年春の執筆当時の文章のまま採録します(そのため文末は常態になっています)。「学級文化」の息づかいが少しでも伝わればいいのですが。

 

(2) 教室を学びの場に


あまりにも当然のことながら、教室は学びの場でなければならない。知的好奇心が掻き立てられる場でなければならない。そういう空気が漂っている教室でありたい。


この2年間で、45分の授業を支える空気作りがカタチを成しつつある。


きっかけは、子どもたちに確かな読みの力を付けるという研究主題にあった。国語科を中心にした主題であるが、可視化された具体的到達点の1つとして、私は算数科の文章題を苦にせず立式できることを掲げた。読みの力は正しいスキルをツールとして操れるようになれば、誰もが一定程度のレベルに達する。文章題に即して言えば、分かることと分からないことにアンダーラインを付し、それを線図に表現する。加える線図、引く線図・違いの線図、1あたり量の線図を文章表現から描き分けられるようになれば、100%立式できる。


K塾プリントと名付けた文章題1問のプリントを、月から木曜日、毎日宿題にした。加えて金曜日には、KSP塾プリントという思考力を育てる宿題を出した。2008年には、K塾おもしろ算数教室というややレベルの高いプリントも登場した。


朝、登校してきた子どもたちは、教卓にプリントを出す。始業前の教室でマルを付け、朝の会の時間には返す。子どもたちがプリントの意図を理解し、線図をツールとして操作できるようになってくると、教室の空気が変わる。朝の教室で文章題が話題になっていることもあれば、求め方を聞いて納得顔の子もいる。実際ほぼ全ての子ができるようになったのだが、それ以上に空気の変化の効果が大きかったと感じている。


2008年度の2学期、山陽小野市の実践をモデルに「朝モジュール」を採り入れてみた。火・水・木曜日の1時間目の冒頭、音読、100マス計算、漢字プリントをしている。音読には、『枕草子』や『平家物語』などの古典や、「春望」「春暁」などの漢詩を使った。繰り返しているうちに、声を揃えて素読できるようになる。朝の教室に響く朗々とした声は実にいい。100マス計算では、モニタ画面いっぱいに映るストップウォッチを用意し、瞬時にタイムを確認できるようにした。静寂の中に鉛筆の音だけが聞こえる。漢字プリントは、前日に問題を予告することで家庭学習の定着を図った。脳を目覚めさせ学習のスイッチを入れる、集中力を高め学習に向かう準備をさせることがねらいであるが、先行事例のような学力向上があったかどうかは検証できていない。ただ、1時間目への入りがよくなったような感じはしている。


何にしろ、与えられた課題に一生懸命取り組んでくれる子どもたちに育てられて、今ここに立っている。

 

(3) 学級集団の課題を掴む

 

「心の如く」という通信のタイトルは、「恕」という字を分解したもので、「恕」は「おもいやり」という意味である。このクラスにはひどく疎外されている女の子が一人いた。担任が決まった時、この子を学級づくりの核にしようと考えて、通信のタイトルを「心の如く」とした。(この子は家庭の事情で5月末に転居した)


「NOBI」は、「のび」(一人ひとりがのびのび育ってほしい)・「伸び」(友だちと協力し励まし合って、クラス全体が伸びていってほしい)・「野火」(野火のごとく、こつこつと努力を惜しまず、ねばり強く課題を追究する教室にしたい)・「野比」(決して人をいじめない、友だちに対する優しさと思いやりという野比のび太の強さをもってほしい)という学級づくりの4つの柱を託したメッセージである。


学級開きの日に通信の第1号を配り、しばらく後にそれに込めた思いを語る。あわせて、子どもたちが感じているクラスの良さと問題点を集約し、学級の課題を練り上げていく。「心の如く」の子らの場合、「なかまの思いに心を寄せられる人になろう」「一所懸命に頑張れる人になろう」(一生でなく一所としているのは、その日その場所でするべきことを懸命にするという意味から)の2つが学級目標になった。

 

(4) 種を蒔く


総合的な学習の時間の展開と学級文化の問題は、深く関わっている。5月のヒロシマ修学旅行を終える頃、1年間の総合学習の流れが決まってくる。種を蒔き、仕掛けを作る。


「心の如く」の子らの時は、修学旅行のまとめがその時期になる。ヒロシマで聞いた被爆体験が子どもたちの心に深く残ったことが、作文から読み取れた。12月に「平和のとりでを築く」で研究授業を行う予定もあり、「平和」でいこうという漠然とした構想ができた。運良く、8月の初め、ヒロシマで体験談を語ってくれた森本さんが近くで講演をされる機会があった。私はその講演を録音し、テープ起こしをして9月を迎えた。


「NOBI」の子らの年は、洞爺湖サミットで環境問題がクローズアップされていた。「環境」をテーマにしようかという漠とした思いはあったが、4月段階では未だ霧状態のまま、取り敢えずケナフの種子を買い、資料を集めた。5月末に種を蒔いたが、これもまだ時期を逃さないための作業であり、それ以上の構想があったわけではない。その後、子どもは定植と除草をしたが、水やりは教師の仕事になった。そして、成長記録の写真だけは絶やさずに残した。


種を蒔き、仕掛けを作る段階というのは、いつもこんな感じだ。ただ、自分なりの譲れない決まり事はある。1つは学級の課題に迫れるかということ、もう1つは人権教育として展開できるかということだ。見極めを急がず、いつでも捨てる覚悟を持ちつつ、展開のための準備だけはしておくのである。

 

(5) 文化の芽を育てる


1学期の子どもたちの活動を見ながら、私は、フィナーレを思い描く。どんな内容で、どんな方法で勝負すれば、学級文化の花を咲かせ結実させることができるだろうか。この悩み苦しみは、例年、夏休み明けまで続く。


「心の如く」の子らの場合、2学期の始業式の日から5回、学級通信で講演録を紹介した。そして、その最終号を「森本さんは、1928年7月2日生まれです。17才で被爆しました。そして戦後62年の今夏、79才になられました。森本さんは生き残った者の『責任』として、ヒロシマを語り続けておられます。お元気な方ではありますが、講演活動がいつまでも続くわけではありません。お話を聞きながら、聞いた者の『責任』ということを考えました。そのことを一緒に考えたくて、修学旅行でお話を聞いたみなさんに再度紹介したというわけです。」と結んだ。子どもに球を投げた瞬間である。


子どもたちの目は、投げられた玉を受け止めた。森本さんの体験談を多くの人に知ってもらおうということで話はまとまった。問題は表現方法である。劇や映画にしようという意見が出る一方で、それは無理だという意見も出る。予定調和の話し合いはいやらしい限りだが、ビデオ紙芝居という方法もあることを伝えると、それで一件落着となった。講演録をもとにシナリオを作り、シナリオに合わせて絵のカットを決め、配役を決める頃には、子どもたちはすっかり森本さんモードになっている。


「NOBI」の子らの場合は、2学期の始業式の日、学級園でケナフの観察をして、「発見」したことをカードに書かせた。葉の形の違いに気付かせたかったのである。そして、これを機に課題を設定しての調べ学習に入った。「ケナフって?」「葉の形が違うのは?」「地球温暖化にマル」「森林破壊にマル」「食糧不足にマル」「ケナフを食べよう」「ケナフで紙を作ろう」の7グループに分かれて調べ、まとめた。その中で、ちょっとしたケナフ博士が何人も誕生していった。

 

(6) 花を咲かせ、結実させる


勝負を懸けた学級文化は、絶対に成功させなければならない。子どもたちが、自分たちの咲かせた花・結ばせた実に感動するものに仕上げなければならない。そうでなければ、しない方がいい。まさに、勝負なのだ。


「花」や「実」の見せ方はさまざまであっていい。子どもが、ついでに保護者も、「花」や「実」を実感できればそれでいい。舞台発表をしたこともある。映画制作をしたこともある。そして今回は、紙芝居や発表をDVDにまとめていくという手法をとった。ここ数年、映像処理を多用しているのは、自分の特技とコンピューターの性能向上に依るもので、これを薦めるつもりは毛頭ない。自分が勝負できるフィールドで仕掛けることだ。


「心の如く」の子らの「花」と「実」については、DVD上映会となった最後の参観日に発行した保護者向け通信を引きたい。 

おうちの方へ特集号
  「ぴいす めっせえじ」上映会へようこそ!!


 日曜日に『母べえ』という映画を見ました。太平洋戦争前夜から戦中戦後を描いた作品です。吉永小百合さん演ずる母べえ(べえは、それぞれの呼び名の後に夫が付けたちょっとしたユーモア)を中心に展開する、ありふれた市井の生活が映されています。父べえは危険思想の持ち主という嫌疑で逮捕され、やがて獄死します。残された母子を支えた父べえの妹は、郷里の広島で原爆に遭い死にます。もう1人の支えであった父べえの教え子は、南方で戦死します。母べえは必死で2人の娘を育て上げ、年老いて死期を迎えます。最期のときの病床で、娘が「天国で父べえに会えるね。」と言います。母べえは聞き取れぬ声でこう答えました。「天国でなんか会いたくない。生きている父べえに会いたい。」と。--声高に戦争反対を訴える作品ではありません。しかし、最後の場面でのこの一言に山田洋次監督の「ピース・メッセージ」が込められているように思います。映画を見終わった観客は、誰一人として一言もしゃべらず会場を去っていきました。


 長々と映画評論家みたいなことを書いてしまいました。山田監督は、この映画の企画発表で、「嵐が唸り声をあげて吹きすさぶようなつらい時代を、家族をひしと抱きかかえて生き抜いた優しいお母さんたちへの、あの時代を知っている世代のぼくからのオマージュ(賛辞)としてこの作品を作りたい」と話しておられました。


 山田監督は、あの時代を知っている世代の人間として「ピース・メッセージ」を作品にされました。それに対して、今日ご覧いただくDVD「ぴいす めっせえじ」は、あの時代を知らない世代の人間が今自分たちにできることをかたちにしたものです。


 2学期後半に、「平和のとりでを築く」という国語教材を学習しました。原爆ドームをテーマにした教材文を読み取った後、調べたことをもとに平和について自分の意見を書くという内容です。学習の中で、何人もの子どもが、「私たちは過去の事実を知らなければならない」「知ったことを次の世代に伝えなければならない」と書いていました。


 DVDは、子どもたちの思いの具体的なかたちです。DVDの第1部は修学旅行で体験談を聞いた森本さんの紙芝居、第2部は平和についての意見文の要約です。時間的順序から言うと、この学習より先に、10月から紙芝居作りが始まっていました。子どもの学びを予見していたわけではありませんが、そこは長年のカンということで…。


 紙芝居は、グループに分かれて40枚ほどの絵を描きました。そして、配役を決めてセリフやナレーションを録音しました。子どもたちにとって、描くことや演じることが被爆体験の追体験になりました。修学旅行で聞いた時とは一歩深いところでの出会い直しにもなりました。そして、知った事実をこうした形で伝え広めることの大切さを体感してくれたと思います。


 子どもたちが生出演している第2部は、時間の制約で短いものになっています。ぜひとも、2学期末に発行しています「わたし発、ピースメッセージ」の原文をお読みいただきたいと思います。子どもたちの学びが驚くほどに高度なのです。一人ひとりの子どもがテーマを決め、本やインターネットで資料を集めました。そして、資料を効果的に使って-決して資料の丸写しをしていないのがスゴイ!-、自分なりの論理を展開しています。 

 

 DVD『ぴいす めっせえじ』は、第1部「ヒロシマからのメッセージ」と第2部「わたし発、ピースメッセージ」で終わっていますが、実は第3部があるのです。青空広場で制作中の壁画「PEACE」がそれです。自分たちが訪れたヒロシマを描くこと、そしてそれを多くの人に見てもらうことが、子どもたちのピースメッセージなのです。テーマに沿って、描写からマンガっぽさを排したことへの賛否は分かれると思います。そこは趣旨をくんでいただき、お帰りの際に第3部として見ていただきたいと思います。

 

絵を描き、セリフやナレーションを演じることが、子どもの学びを深めるとともに確かなものにしている。ここに取り組みのカギがある。紙芝居には効果音やBGMが入っていて、それなりに迫力がある。子どもと保護者の反応を1つずつ紹介したい。

■ 今日、小学校生活最後の参観があった。今日は総合で「ぴいす・めっせえじ」を見た。「ヒロシマからのメッセージ」は、見るのが初めてだったから、少し緊張した。でも、どんな感じに仕上がっているか気になっていた。私が思っていたよりも、いい作品になっていたと思う。がんばって絵をかいたりしてよかったと思った。「わたし発、ピースメッセージ」は、一回見たから大体分かっていた。なんか、あっと言う間に終わってしまった。「ぴいす・めっせえじ」がいい作品にできていて、とてもよかった。小学校生活最後の参観は、楽だったけど緊張した。


■ DVD『ぴいす・めっせえじ』を見て、とても驚きました。それは、セリフやナレーション、そして絵までもがみんなで作り上げたものだったからです。特に紙芝居の絵は、すごく上手に描かれていて、ところどころの場面では思わず目を覆いたくなるほどのリアルさでした。第2部の「わたし発、ピースメッセージ」は、一人ひとりがよく調べて、自分の考えを持っていることに感心しました。自分の6年生のころを一生懸命思い出してみても、そんな世界の平和なんて考えていなかったな…。ほんと、みんなはすごいなと思いました。そして、青空広場の壁画。「すごい!!うまい!!」ただ、ただ感動しました。今でも目を閉じると、はっきりと浮かんできます。そして、寒い中頑張ったみんなは本当にすごいと思います。いつかその壁画が消えてしまうと思うと、残念でたまりません。これまで、すごいとしか表現できない自分が恥ずかしいですが、いいものを見させていただきました。6年生のみんな、□□先生、本当にありがとうございました。

 


「NOBI」の子らの「花」と「実」についても、同様に参観日に発行した保護者向け通信を引きたい。

 

おうちの方へ特集号
        ようこそ、最後の授業参観へ


 早いものですね。卒業式までちょうど1ヶ月になりました。


 明日は、小学校生活最後の参観日です。この1年間の集大成、子どもたちのすべてを公開します。授業の開始からお帰りの間際まで、たっぷりとご覧いただきたいと思います。


 授業開始のチャイムとともに、「朝モジュール」の一部を見ていただきます。『枕草子』『平家物語』『春望』の素読をします。古典や漢詩を朗々と読み合う光景は、圧巻ですよ。(3分程で終わります)


 K塾シリーズ・朝モジュールと、この1年で子どもたちを鍛える形が出来上がってきました。ぼくは教えることを生業としているのですが、教師は子どもに育てられると実感しています。31年にもなる“老兵”をなお前に進ませてくれる子らに感謝して、その1コマをご覧いただこうという算段です。


 今回のメインは、DVD「GIFT」の上映です。(37分23秒)


 オープニングは、5月末の種まきから10月末の刈り取りまでのケナフ栽培記録です。バックにはテーマ曲「GIFT」(ミスチル)が流れます。


 2部構成からなる作品の第1部は、ケナフについて調べたことの発表会です。「ケナフって?」「葉の形が違うのは?」「地球温暖化にマル」「森林破壊にマル」「食糧不足にマル」「ケナフを食べよう」「ケナフで紙を作ろう」の7グループに分かれて発表しています。資料選びやまとめ方に工夫のあとが見られます。表形式の資料を見やすいエクセルグラフに作り替える子もいて、さすが6年生と思わせる内容になっています。


 第2部は、ケナフパルプで紙すきをして作ったハガキの作品集です。ケナフハガキに薄墨で字をしたため、その字にまつわるスピーチをしています。書いた文字の内容と姿形に個性があって、それぞれの子の今を映し出しているようです。中には書く文字に窮して、苦し紛れに苗字を書き、スピーチで難儀した子もいましたが、それもまたご愛敬ということで…。


 「GIFT」というタイトルについて触れておきましょう。これには2つの意味を込めています。1つは、ケナフが地球環境を考えるきっかけを与えてくれる「贈り物」だということです。もう1つは、そこにこそぼくの真意があるのですが、ケナフを題材に取り組むことで仲間と繋がり、一人ひとりを成長させてくれる「贈り物」になってほしいという願いです。ぼくが担任になれば映画作りと期待していた子どもたちにとって、ケナフがどれほどの「贈り物」になり得たか心許ないのですが、思いの深さは映画に勝るということでご容赦いただきたいと思います。

 

 参観日の後、保護者からメッセージをいただいた。届いたと感じられれば、作り上げるまでの労など些末なことだ。

■ DVDを見せていただき、子ども一人一人が成長し、いよいよ中学校入学だという実感がわいてきました。
 保育園から一緒だという子も多く、小さかった頃の顔を思い浮かべ、見ていました。このクラスの子は、男の子・女の子の仲が良く、楽しくまとまりのあるクラスだと思います。
 ケナフの発表も、何度も撮り直したけれど楽しかったと、子どもも話してくれました。家でも育てていましたが、家族の者も勉強になりました。一つのことをみんなで調べていくことで、みんなの気持ちも一つになれたと思います。
 また、好きな言葉をケナフハガキに書いたということも、子ども一人一人の宝物になったように思います。すごくうれしそうな顔をして持って帰ってきました。
 DVDでは、なるほどと感心させられました。大人も子どもに負けていてはいけないなと思いました。すてきなプレゼント、ありがとうございました。

 

 

(7) エピローグ

 

■ 私は、このクラスの一員になれてよかった。いつも笑ってられるし、楽しく勉強ができるから。なんかいやなことがあっても、友達がはげましてくれたり、笑わせてくれたりするから、くじけずに卒業まで学校に来れたと思う。私は、学校に勉強しに来てるのもあるけど、友達と会っておしゃべりしに来てるのもあるし、学校の授業がおもしろくて来てるのもある。まあ、全部含めて、学校は楽しい。だから6年間、学校が楽しいと思えてきて、学校まで毎日歩いてこれたと思う。今まで、転校していった人や、転入してきた人もいっぱいいた。いろんな人が入って来たり、出て行ったりした。別れを言わず転校していった人もいた。今どうしてるかなあ、とたびたび考える。そんな人達も含め、同じクラスになってくれて、ありがとう。


先ごろ卒業していった子どもが、卒業前に書き残した一文である。前年度の卒業生も含め、「このクラスでよかった」「みんな、ありがとう」という文言をいくつもいくつも目にした。「同じクラスになってくれて、ありがとう」などとぼくは綴ったことがないし、そんな思いを持った記憶もない。こんなきらきらとした子どもたちと一緒の時間と空間を過ごせたことが、幸せでならない。人権教育としての深まりは十分とは言えない。だが、「ボンド」の役目は果たせたかなと胸を撫で下ろし、ふと上げた目線の先に、春の空と桜の蕾の膨らみが映った。