教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

校種間「連携」を問う

 

前稿で保幼小連携に触れましたので、この機会に学校とそれを取り巻く人たちとの繋がりについて考えたいと思います。

 

今回は、同じ中学校区の校園所との繋がり、つまり「校種間連携」についてです。その中で小学校と中学校の繋がりが「小中連携」、小学校と幼児教育との繋がりが「保幼小連携」です。

 

 

 

そもそも「連携」ってどんな意味のコトバなのでしょう。それらに近いコトバである「協力」「協働」を含めて、辞書には次のようにあります。

 

協力…力を合わせて事にあたること。(デジタル大辞泉)


連携…互いに連絡をとり協力して物事を行うこと。(デジタル大辞泉)
       連絡を密に取り合って、一つの目的のために一緒に物事をすること。
                                                                      (大辞林 第三版)


協働…同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くこと。(デジタル大辞泉)
   同じ目的のために、協力して働くこと。(大辞林 第三版)


いずれも力を合わせることに相違ないのですが、繋がりの密度から言うと「協力<連携<協働」ということになるでしょう。

 

 

 

小学校を卒業した児童が中学校に入学する際に、送り出す側と迎え入れる側の担当者が児童の「教育課題」を引き継ぎます。

同様に、幼児教育の卒園者が小学校に入学する際にも同様の会がもたれます。

それらは「連絡会」と呼ばれるところもありますし、「連携会議」と呼ばれているところもあります。さてその内実は「連携」なのでしょうか。

「教育課題の引き継ぎ」は、単なる「連絡」に過ぎません。引き継ぎによってその子の課題が共有され、2つの校種が課題解決のために協力して取り組んだときに「連携」になるのです。

大事なのは「連絡」することではなく、「連絡」を出発点とした同一目的のための協力した活動です。私はそれをうまく組織している取り組みも知ってはいますが、極めて希な例です。

そう考えると、これは校種間「協力」の第一歩といったところでしょうか。

 

 

 

またしても、そもそも論になります。

小中にしろ保幼小にしろ、校種間連携はなぜ必要なのでしょう。

 

それは端的に言えば、子どもが感じている校種間の段差を低くするためです。

「段差」は「小1プロブレム」や「中1ギャップ」などの姿で顕在化してきました。その「段差」をできる限り取り除き、子どもの育ちを支える取り組みが校種間「連携」です。

 

 

私が校種間連携に意識的に取り組んだのは、今から四半世紀も前のことでした。

当時(40歳前後ごろ)、私は校内研修をリードしプロデュースする任にありました。

 

大切にしたことが2つあります。

1つは、幼稚園・保育所や中学校の先生たちと仲良くなることです。そしてもう1つは、共同企画の事業を成功させることです。

 

まず、仲良くなること。

建前はともかく、校種間の縄張り意識は案外根深くて子どもの「課題」を相手の責任にする空気がありました。

指導者間に不信感があるようでは、「連携」など到底あり得ません。

第一段階は、茶話会でもレクリエーションでもいいです。お互いに顔と名前が一致して、気軽に話しかけられる関係作りから始めます。

きわめて人間的な関係作りからスタートして、同じ校区の子どもを育てている仲間として意識できるところまでもっていきたいものです。

相互信頼は「連携」の前提条件です。

 

信頼関係は、一緒に1つのことに取り組むことで育っていくという側面もあります。

 

保幼小連携の中心課題は、話しことばの世界と書きことばの世界のスムーズな接続と設定しました。

小学校低学年の教師が幼稚園・保育所に出向き、粘土遊びや紙細工を「指導」する場を設定しました。幼稚園・保育所の先生と小学校の先生が仲良く話している姿は、子どもたちの安心・安定につながったようです。子どもたちは小学校の先生の訪問を楽しみ、小学校に進む日を心待ちにするようになりました。

幼稚園・保育所で担任していた先生に1年生の教室に入ってもらい、ひながらを一緒に「指導」するという場面を作りました。子どもたちは大はしゃぎです。

指導者がお互いの現場に立つことで自分たちの課題が明確になる……などというのは立案者の「助平根性」ですが。

 

中学校の先生には小学校6年生の子どもたちに「授業」をしてもらいました。

楽しい授業をリクエストすると、「中学校の授業をそんなものと認識されると困る」といった声もありました。それでも子どもが感じている「カベ」を取り除くためと説得して、「おどろきのりのり実験室(理科)」「ちょっと駅前留学(英語)」「数のマジック(数学)」「国って何だ!(社会)」の4授業が設定できました。子どもたちは自分の選んだ授業を受けました。

今では何でもないことですが、当時は出前授業がめずらしくて新聞に載るほどでした。その記事は、「自分たちの校区の中学校の先生の授業を一足早く受けることで『中学の授業に対する不安がなくなった』『中学生になるのが楽しみ』と、子どもたちは目を輝かせていた」と結ばれていました。

 

 

それから20余年が経ちました。

 

最近、「小中一貫教育」なるものが流行っているようです。

これはかつての「小中連携教育」の発展形ですから、中身は当然「連携」以上のものであるはずです。カリキュラムの一体化、授業の持ち合いなどなど。

しかしその実態は、「仏作って魂入れず」。私の耳目の及ぶ範囲においては、「小中一貫」などという言葉を口にするのも恥ずかしい、「連携」の緒にも就かないものがほとんどです。

言葉をもてあそんではなりません。

言葉遊びは、自己陶酔の世界を作り、真実の鏡を曇らせるばかりです。

 

子どもたちの健やかな育ちを支えるために、真の校種間「連携」が進むことを願ってやみません。