教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

人権教育は畑に雨水が浸み入るが如く

教育課程のなかに「人権教育の時間」というのはありません。

 

文科省はどう考えているのでしょう。

 

人権教育については、このような「生きる力」を育む教育活動の基盤として、各教科、道徳、特別活動及び総合的な学習の時間(以下「各教科等」という)や、教科外活動等のそれぞれの特質を踏まえつつ、教育活動全体を通じてこれを推進することが大切である

 

「人権教育は教育活動全体を通じて推進することが大切」だというのが、文科省が2008年に出した公式立場です。(これについては別稿で詳述します)

 

「教育活動」は、文科省方式で「各教科等」と「教科外活動等」に分けることができます。

 

「各教科等」には「総合」を除いて教科書があり、それに基づくカリキュラムがあります。そこに人権教育をどう位置づけていくかは別稿に譲ります。

 

「教科外活動等」には、朝の会、帰りの会、給食、掃除、休み時間などがあります。この稿で扱うのは、これら「教科外活動等」の人権教育です。

 

私は、教師は一番の人権教育テキスト のなかで次のように書きました。

 

もうおわかりですね。人権教育にとってまず大事なのは、立派な年間計画でも優れた教材でもありません。教師の息づかい、存在そのものなのです。「教師は一番の人権教育テキスト」なのです。教育(子育て)において教師は一番のテキストだと言っても過言ではないでしょう。 

こうしてみてくると、決定的に大事なのは、教師の人権感覚ということになります。その人権感覚なるものは、磨くことによって輝きを増し、怠惰によって鈍ります。感性のアンテナには幾らか感度の違いはあるでしょうが、磨くことで鋭くなります。

どうやって磨くか。それは、自己研鑽を重ねるしか方法はありません。などと言うと重たく感じる向きもありましょうが、教育の「必要条件」を整えているのです。
教師にとっての人権教育は自分磨きの過程です。その結果として、子どもにとっては、教師が一番の人権教育テキストになるのです。

 

 

「各教科等」の人権教育と「教科外活動等」の人権教育を車の両輪に例えるなら、「教科外活動等」の人権教育はエンジンをも同時に担っていると言えるでしょう。

 

朝の会の時間、あなたは子どもたちにどんな話をしているでしょうか。

もろもろの連絡は別として、世の中や歴史につながることがらを話題にしているでしょうか。

そのなかに、たとえば沖縄慰霊の日や沖縄返還の日、東京大空襲の日などがあるでしょうか。

 

帰りの会の時間はどうでしょうか。

たとえば1分スピーチをしているクラスでは、話をした子の自己肯定感を高めたり、友だちの良さに気づくようなコメントに努めているでしょうか。

 

朝の会、帰りの会の時間は、いわば「0時間目」と「7時間目」。わずかな時間ではありますが、毎日の積み重ねは大きな時間になります。

「0時間目」と「7時間目」の人権教育には年間計画も教科書もありません。まさに教師であるあなたが、テキストそのものです。

「0時間目」と「7時間目」の人権教育は、畑に雨水が浸み入るが如くです。

 

 

とは言っても、私はそれほど意志の強い方ではありません。日常に流されがちです。そんな私は、襟を正す機会として自分のなかで1つの約束ごとをつくっていました。

それは、差別をなくす強調月間の7月と世界人権デーの12月には人権をテーマにした学級通信の特集を発行することです。

具体的ななかみは、「7時間目の人権学習」として稿を起こします。