教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「かえり道がとおくなったと思ったことが60回くらいありました」~忘れ得ぬ子のこと①~

「忘れ得ぬ子」と言うとき、そこには2つの意味合いがあります。

1つは「忘れられない子」であり、もう1つは「忘れてはならない子」です。

「忘れてはならない子」というのは、その出会いから多くを学ばせてもらった子であり、その後の私の生き方に大きな影響を与えてくれた子です。

 

 

まさき(仮名)くんと出会ったのは、いまから34年前。

その年は障害児学級の担任をしていて、在籍児の交流学級である3年生のクラスにまさきくんがいました。

 

私はそのクラスで国語の授業を担当させてもらっていました。

 

当時書き残した記録(4月28日、学年教師向け通信)にこんな一節があります。

 

  『島ひきおに』をしようかな

秋も深まったころに『島ひきおに』の授業をしたいと思っていました。

秋も深まったころにというのは、ある程度集団ができたころにという思いがあったからでした。ある程度できてきた集団の質をより高める出会いにしたいという思いがあったからでした。

 この10日あまり学年の様子を見ていて、何かただならぬものを感じます。ぼくらの手がさしのべられてくるのをじっと待ち続けている子が、何人も何人もいるように思えてなりません。こんな状況の時にこそ、子どもの心の奥ひだにしみ通るような教材をぶつけてみたいと思うのです。

 1組にまさきくんという子がいます。行動の遅さやいくつかの点でみんなと違うという感じをまわりに与えている子です。友だちも少なそうです。その彼がいじめられ、あばれることでそれに抗議します。それを情緒面に障害があるかのように言ってきたのは、教師です。先日、「はまべのいす」の授業で一番好きな場面を視写するように言ったら、彼はじっとしているのです。「好きな場面なんかない」と言って…。あの作品のふんわりとしたものは、彼には届かなかったようです。その彼が仕方なしに、魚つりの場面を写していました。「つり好きか」と聞いてみたら、「うん」と言ってました。ひとりでつり糸をたれてるんでしょうかね。彼には、鬼のさびしさやくやしさがわかるように思えるのです。

家庭や学校でさまざまな問題や課題を持たされている彼ら、彼女らの心にこの作品を届けたいと思います。

 

こうして『島ひきおに』(山下明生・作)の授業が始まりました。

 

作品の冒頭場面です。

 

 ……

 ひろいうみのまんなかに、ちょこんと小さな島があって、ひとりぼっちでおにがすんでいたそうな。

 ……

 たまたま、空をわたるとりをみると、

「おーい、こっちゃきてあそんでいけ!」

 たまたま、おきをとおるふねをねると、

「おーい、こっちゃきてあそんでいけ!」

 なみがうなるように、よんでおった。

 だが、おにのいる島になんぞ、だれもよりつきはせん。

 おには、まいにちまいにちひとりぼっちでさびしかった。

 

まさきくんは寡黙で、学校で彼の声を聞くことは稀です。その彼の

「おーい、こっちゃきてあそんでいけ!」

の音読は、まさに絶品でした。哀愁があって、それでいて凜とした張りがあって…。

 

 

まさきくんが4年生になった年、私はそのクラスの担任になりました。その年の記録です。

 

 9月になって間もなく、ぼくは『五年四組のイカダ』(高科正信著)を読み始めた。最初の章を読んでいる時、まさきくんがこう書いた。

ぼくも石本章くん(本の中の登場人物)とおなじように、かえり道がとおくなったと思ったことが60回くらいありました。いやなことがあったり、なぐられたりしたときです。ぼくもとてももんくをいわれたり、いじめられたことがあるから、石本章君のきもちがいたいくらいわかります。(まさき)

  まさきくんは、自己表現することが極度にできない状態にある。原稿用紙を前にして、1時間かかって名前さえも書いてないということもまれではなかった。そのまさきくんが、自分の思いを一気に書き上げた。彼の輝きを見たいと思って取り組んだ「島ひきおに」の授業の時と同じまぶしさを、ぼくは感じた。

 彼の文章は子ども達にも少なからず衝撃的であった。かつて、彼をからかい、はやしたて、笑っていたのだ。あるいは、見て見ぬふりをしてきたのだ。

 

 翌日、まさきくんの母親から手紙が届いた。

  …………………。

 最近こういう事もありました。舗装工事の為、通学路が変更になった時、同じ違う道を歩いていた子に、「この道を通ってはいけない」と言ってなぐられたと、□□駅からずっと大きな声で泣きながら帰ってきました。「なぐり返せばいいのに……」と言うと、「E君がぼくをなぐる間、T君がぼくの手を押さえつけていた」というのです。そのT君とは、いじめられっ子の2年生の時もただ1人家に遊びに来てくれていたまさきの唯一の友達です。毎日の様に我が家に遊びに来ている子でも、「やっぱり強い子の味方なのか……」と、とても腹が立ちました。

 ………………。

 3年・4年と徐々にですが立ちなおっていってくれていると思います。だいぶ遠回りだったかもしれません。でも人間には、一生に何度か試練がある。その1つとしてまさきが立ち向かってくれているのならば、よい勉強だと思います。そして、文章にあるように、「人の痛さがわかる人間」になれたのならすばらしい学習だと思います。…………………。

 

 私は、まさきくんにとって「いい先生」にはなれませんでした。出会いから2年、彼を取り巻く現実を変えることはできませんでした。

 

 一方、まさきくんは私に多くのことを残してくれました。

 

 「かえり道がとおくなったと思ったことが60回くらいありました」「(いじめられている子の)きもちがいたいくらいわかります」と、めったに自己表現しないまさきくんが書いたのです。

 

 本当に伝えたいと思うものを正面からぶつけた時、重く閉ざされている心の扉が開きました。これは教育とは何かという根幹にかかわる教訓を残してくれました。

 

 「60回くらい」「いたいくらい」というまさきくんの叫びは、深く心に突き刺さりました。不器用に鉛筆を持ちこれらの言葉を綴る彼の姿を思うと、いたたまれない気持ちになりました。それよりなにより、こうした言葉を書かせたのは私を含む教師の無力の結果なのです。2度とこんな言葉を綴らせてはならない。そんな決意を残してくれました。