2019年度、地元の中学校の1年生を対象に行った元小学校教員による小中連携授業の記録です。
ゲストティーチャーという位置づけで、総合的な学習の時間のコマを使って年間15回の「授業」を行いました。
第8回 学ぶということ
第8回は10月上旬、後期の初回として実施しました。
「授業」では、私が撮影した槍ヶ岳の写真スライドを9枚用意しました。
私は槍ヶ岳が大好きで、きれいな槍ヶ岳を見たくて山に登ります。
(上段左)
槍ヶ岳を東側から見た写真です。撮影地は蝶ヶ岳で、これが「正面」の写真になります。槍の錐の左が槍の肩で、このサイズでは見にくいですがここに山小屋(槍ヶ岳山荘)があります。
(上段中)
同じく蝶ヶ岳から見た写真です。右端のピークが槍ヶ岳で、真ん中のくぼみ(大キレット)の左に穂高連峰が続いています。
(上段右)
蝶ヶ岳のすぐ北にある常念岳から見た槍ヶ岳です。東側からという点では同じですが、時間によって山の見え方が違います。これは日の出のころの写真で、山が赤く染まっています(モルゲンロート)。
(中段左)
槍ヶ岳を西側から見た写真です。撮影地は双六岳に向かう途中の鏡平で、上段の写真とは真逆の構図です。槍の錐の右に槍の肩があって、ここに小屋があります。
東側からが「正面」ならば、こちらは「裏面」の景色です。同じ山であっても、見る位置が変われば見える世界も変わります。
赤く染まっているのは夕日によるもので、アーベントロートといいます。
(中段中)
槍ヶ岳を西側の双六岳から見た写真です。真ん中のピークが槍ヶ岳で、その右にキレットがあって穂高連峰が続いています。(上段中)の写真を裏返しにした構図です。
表を見た時に裏はどうなっているのだろうと想像するのが「好奇心」で、好奇心は探究のエネルギー源です。
(中段右)
南東方向から見た早朝の槍ヶ岳で、撮影地は南アルプスの仙丈ヶ岳です。右端が槍ヶ岳でそこから左に大喰岳、中岳、南岳と続き、左の切れ落ちたところが大キレットです。この方角からだと、南岳から大喰岳の稜線がクローズアップされ、槍ヶ岳の錐がそれほどアピールしてきません。
(下段左)
南東方向の仙丈ヶ岳から見た槍・穂高連峰。槍から南岳の稜線よりも、南に位置する穂高の稜線のほうがボリュームがあります。
(下段中)
北北西の方向から見た早朝の槍ヶ岳で、撮影地は立山です。小屋が右側に位置するのは双六岳からの眺めと同様ですが、槍の錐が一層強調され、背後の南岳への稜線が圧縮されて見えます。
(下段右)
北北西の方向から見た槍・穂高連峰。槍ヶ岳が大きくクローズアップされ、穂高連峰までの稜線がウンと圧縮されています。
このように、同じ山でも見る位置、見る時刻、見るときの気象が違えば、見え方も違ってきます。「正面」からの眺め(これは一般的に「常識」と置き換えてもよい)に固執すれば、違った位置からの眺めを同じ山として認識できないかもしれません。柔らかい頭が求められます。
それよりなにより「正面」を見た時に「裏面」や「斜めの面」を見てみたいと欲しなければ、新たな気づきは生まれません。この「見てみたい」と欲する心が「知的好奇心」です。
つづいて、「環日本海・東アジア諸国図」という地図のスライドを示しました。日本列島が「逆立ち」に描かれている地図です。
この地図は富山県が作ったもので、私は富山市内で購入しました。著作権の問題がありますのでここには掲載しません。(次のスライドに縮小したものが出てきますので、それで雰囲気を感じとってください)
学ぶということは、単に知識を習得することではありません。
習得した知識を出発点として、自ら問いを立て、探究し続ける営みが「学び」なのです。
今回のテーマは、放課後学習教室で2017年9月に配ったプリントがベースになっています。
好奇心の扉は開いているか
富山県に、「環日本海・東アジア諸国図」という地図があります。
(地図省略)
地図は北が上という決まりごとのせいもありますが、私たちはいつしか太平洋側に立って日本や世界を見る「習慣」が身についてしまっています。富山県から日本列島を見るとどうでしょう。あるいは、朝鮮半島や中国大陸から日本を見るとどうでしょう。今までの「常識」が音を立てて崩れるほどに新鮮な世界が広がっていませんか。
「コペルニクス的転回」という言葉があります。「発想や考えを逆転して根本から変えること、また、変えたことによって新たな道が見出されること」という意味で使われます(もともとの意味は自分で調べてください)。「環日本海・東アジア諸国図」という“視点”は、まさに「コペルニクス的転回」です。
150年以上の昔、坂本龍馬は海援隊という海運会社を作って、今で言う貿易商社を興そうとしました。「環日本海・東アジア諸国図」の世界を自由に生きることを夢見た、「コペルニクス的転回」発想の持ち主です。
龍馬ファンの私は、龍馬Tシャツは持っていても、龍馬の発想の柔らかさはありません。幸いにして、きみたちの脳細胞はまだ若い。知的好奇心の扉は開いているでしょうか。どうかありふれた「常識」に縛られることなく、学びと人生の幅を広げていってほしいものです。コペルニクスを友として、「馬肥える秋」に!