7月6日(その3)
ツェルマットでの昼食はフリーになっていましたが、添乗員のOさんに予約してもらってみんなでチーズフォンデュを食べに行きました。
13時過ぎにレストランまで辿り着いた時、たまたま店の表でアルプホルンの演奏が行われていました。少しの時間でありましたが、予定になかった「音楽会」を楽しむことができました。
午後からは完全なフリータイムで、土産物を買ったりしながら過ごしました。
ホテルやレストランの窓辺はどこも皆花が飾られ、それを見ながら歩くだけでも飽きることはありませんでした。
駅前の広場に、マッターホルン初登頂150周年のカウントダウン表示が出ていました。TISSOT時計は、7月14日の「その時」まで「7日20時間20分33秒」だと告げていました。
マッターホルン初登頂150周年と聞いて、ふと“日本のマッターホルン”槍ヶ岳のことを思いました。
播隆上人が槍ヶ岳に初登頂したのは、文政11年(1828年)7月28日(新暦では9月7日)のことです。“本家”マッターホルンよりも37年早い。
ところで、アルプスがスポーツとして登られるようになったのは、1786年のモンブラン初登頂が始まりだと言われています。この時期の日本の登山は狩猟や宗教登山で、明治になっても測量登山でした。「日本山岳会」という日本最初の山岳クラブが作られたのは、1905年(明治38年)のことです。新田次郎の『劔岳《点の記》』の舞台は1906~7年で、山岳会の黎明期が本筋と対の風景として描かれています。スポーツとしての登山の歴史は、“本家”アルプスの方が120年も早いです。山との付き合い方も、それだけ大人ってことです。
夕食は簡単に済まそうと、ちょっと慣れてきたCOOPで調達し、ホテルの部屋で生ハムをかじりながら缶ビールを飲みました。