教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

障害児教育の系譜③ ~特別支援教育を問う~

特別支援教育へのもう一つの事情

 

前回は、障害児教育をめぐる国際的な動向との関係で特殊教育から特別支援教育へと転換していく過程を概観しました。

 

文科省の路線転換には、もう一つの事情がありました。

2007年当時の文科省の資料をご覧ください。

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養護学校等の在籍者が重度・重複化、多様化していました。また、盲、ろう学校の在籍者減と知的障害養護学校の在籍者大幅増による養護学校等在籍者数がアンバランス状況にありました。こうした特殊学校(盲学校、聾学校養護学校)の事情に加え、特殊学級に在籍する児童・生徒数が年々増加傾向にありました。

さらに、従来の特殊教育における障害の種別にないLD・ADHD高機能自閉症の児童・生徒が増えており(6.3%)、学校現場での対応が大きな課題になっていました。

財政が逼迫する中で、特殊教育の枠組みにおいてこれらの課題を解決することは困難でした。

特別支援教育の仕組みは、まさに「魔法の杖」だったのです。

 

 

 

特別支援教育はインクルーシブ教育か

 

今回の本題に移ります。

次の図は、特別支援教育が始まるときに文科省が示したものです。

 

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特別支援教育」という語は、「Special Needs Education」の訳語です。

「Special Needs Education」は、国際的なインクルーシブ教育を指す言葉です。

インクルーシブ教育では、障害の種類と程度によって学ぶ場所を限定しません。つまり障害の有無によって子どもたちを分けないことを前提に構築される教育です。

 

しからば、日本の「特別支援教育」はインクルーシブ教育なのでしょうか。

 

上の図を見ると、特別支援学校で教育を受ける子がいます。普通学校に設置された特別支援学級(特別支援教室)で教育を受ける子がいます。普通学校の普通学級(通常の学級)で教育を受ける子がいます。

特別支援学校や特別支援学級は、明らかに分離です。

教育の中身を横に置けば、特殊学校・特殊学級からの看板の掛け替えではないのかという疑問が生じます。

 

2007年の特別支援教育スタートの前段階を検証すると、そこに答えを見いだすことができます。

 

特別支援教育を推進するための制度の在り方について(答申)

                          2005年12月8日

                                      中央教育審議会

第2章 特別支援教育の理念と基本的な考え方

 

 これまでの「特殊教育」では、障害の種類や程度に応じて盲・聾・養護学校特殊学級といった特別な場で指導を行うことにより、手厚くきめ細かい教育を行うことに重点が置かれてきた

 特別支援教育とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものである。

 また、すでに述べたとおり、現在、小・中学校において通常の学級に在籍するLD・ADHD高機能自閉症等の児童生徒に対する指導及び支援が喫緊の課題となっており、「特別支援教育」においては、特殊教育の対象となっている幼児児童生徒に加え、これらの児童生徒に対しても適切な指導及び必要な支援を行うものである。

……

 このことは、従来の特殊教育が果たしてきた役割や実績を否定するものではなく、むしろ、これを継承・発展させていこうとするものである。したがって、特別支援教育は、これまで特殊教育の枠組みの下で培われてきた教育水準や教員の専門性が維持・向上できるような方向で推進されることが必要である。

 

中教審答申にあるように、特殊教育は「特別な場で指導を行うことにより、手厚くきめ細かい教育を行」ってきました。特別支援教育への移行の際、「特別な場」で学んできた当該児童・生徒の少なからぬ保護者の「手厚くきめ細かい教育」の継続を望む声がありました。当事者の声としては、理解できるものです。

答申の「従来の特殊教育が果たしてきた役割や実績を否定するものではなく、むしろ、これを継承・発展させていこうとするものである」という表明は、そうした声に応えるものでもありました。

 

その一方で、答申はインクルーシブ教育の求めにはついに答えようとはしませんでした。

「内包する(インクルージョン)」とはどういうことでしょう。

インクルーシブ教育は障害の有無で子どもを分けないことが基本です。「分けない」ということの意味は、場所(空間)と時間を共有することで障害児と健常児の双方が育ち合うことにあります。

したがって、インクルーシブ教育の視線は、障害児と健常児の双方に注がれなくてはなりません。「答申」には、障害児に対して「適切な指導及び必要な支援を行う」という文言があるのみで、健常児への眼差し(障害者理解の視点、共生教育の視点)はありません。文科省特別支援教育もまた同様です。

 

日本の「特別支援教育」は、国際的なインクルーシブ教育とは別のものなのです。

 

 

 

特別支援教育をインクルーシブ教育に

 

1980年代に大阪で「原学級保障」の取り組みが行われていました。それに学びながら私たちがめざしたものの中に、特別支援教育をインクルーシブ教育にしていくヒントがあるように思います。

1986年に書いた文章です。

私たちは、子どもは集団の中でこそ育つのだと考えている。だから、「障害児」が「健常児」と共に普通学級の中で生活しているというところから、すべてのものが始まるのだと考えている。みんなと共に生き、共に学ぶという方向性をきちんと持ち、しかも基本的に「健常児」と共に日常的に生活する場がきちんと保障されていることが原則だとも考えている。

しかし、現実の普通学級や普通教育には、多くの問題点がある。したがって、原学級保障の取り組みというのは、普通教育の「普通性」そのものの中身を問うことでなくてはならない。

それが十分に進められるまでの間、みんなと共に生きるという方向性だけは堅持しながらも、部分的には、その子に応じた場と中身を提供するということも否定できない。障害児学級や障害児学級担任は、原則に近付いていくための“過渡期の矛盾措置”と考えたい。
いずれにせよ、私たちは、なぜ一緒にするのかではなくて、なぜ分けてきたのかということにこだわりつつ、当たり前のことを当たり前にしようとしているのである。原学級保障の営みは、普通教育そのものへの問いかけであり、当然のことながらひとり「障害児」のみならず、学級の底辺に置かれてきたすべての子どもに光を当てる教育の営みである。だから、すべての学級の課題たり得るのだ。

 

特別支援教育コーディネーターをインクルーシブ教育推進の中核に据えながら、個々の教育ニーズを積極的に普通教育を変えていく切り口にしていく営みこそが求められているのだと考えます。