教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「障害者権利条約」と「インクルーシブ教育」⑥

特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について」の真意はどこに

 

「通知」は「インクルーシブ教育を推進するもの」だという永岡文科大臣の主張は、インクルーシブ教育を推進するために「通知」を出したという意味ではありません。「撤回」を求められたものだから、強弁しただけのことでしょう。

 

真意は別にあるはずです。

たとえばお金の問題も決して小さくない理由ではないかと、勘ぐっています。

 

「令和2年度発達障害支援の地域連携に係る全国合同会議」において文部科学省初等中等教育特別支援教育課が示した「特別支援教育行政の現状及び令和3年度事業について」(令和3年2月)に、特別支援学級在籍者数の推移を表したグラフがあります。

 

2020(令和2)年度

  特別支援学級数 66665  在籍者数 302473名

2010(平成22)年度

  特別支援学級数 44010  在籍者数 145431名

 

特別支援教育は2007年度に始まりました。

スタート直後の2010年度からの10年間で、学級数はおよそ1.5倍、在籍児童・生徒数はおよそ2倍に増加しました。1学級あたりの在籍者数も、約3.30人から約4.54人に増えています。

全児童・生徒数の減少とは裏腹に、特別支援学級の在籍者数は増え続けているのです。個に応じた手厚い教育支援への要望は強く、今後も増加傾向は続くと考えられます。

 

大半の時間を通常の学級で学んでいる場合には、学びの場の変更を検討するべきである → 普通学級に転籍

特別支援学級在籍している児童生徒については、原則として週の授業時数の半分以上を目安として特別支援学級において授業を行うこと。

今回の「通知」が厳密に適用されれば、在籍者数は激減するはずです。

 

この「振り分け」基準は正しいのでしょうか。

「転籍」の結果、特別支援学級数は減じるはずです。そして、「転籍」した子は通級指導になる可能性があります。担当教員の負担が大きくなります。

あるいは、手厚い指導の継続を求めて「転籍」を避けるため、特別支援学級で学ぶ時間の増加を選ぶ保護者はないのでしょうか。「分ける教育」の固定化になります。

 

 

特別支援教育はインクルーシブ教育にあらず

そもそも、「特別支援教育」はインクルーシブ教育ではありません。

特別支援教育が始まるまでの歴史については、「障害児教育の系譜」にまとめています。

yosh-k.hatenablog.com

 

yosh-k.hatenablog.com

「障害児教育の系譜②」で触れたように、「特別支援教育」という用語はサラマンカ宣言に出てくる「Special Needs Education」が元になっています。

「Special Needs Education」の訳語は「特別なニーズ教育」ですが、別翻訳が「特別支援教育」という言葉なのです。

 

yosh-k.hatenablog.com

「Special Needs Education」(「特別なニーズ教育」)は、インクルーシブ教育のことを指します。国際的には。

日本においては「Special Needs特別な必要)」に応える教育として曲解し、それまでの分離教育(文科省の言葉では「特殊教育」)を「継承・発展」させるものとして特別支援教育を定義しました。

特別支援教育は生まれたときからインクルーシブ教育とは全く別物だったのです。

 

「経済は1流、人権は3流」……日本を揶揄する言葉です。(今や経済の1流もあやしいですが)

世界において経済(金儲け)で存在感を保つには、人権においても「1流」であることが欠かせません。(中国バッシングがそのことをよく示しています)

「人権も1流」と外向きにはポーズする。ーー「障害者権利条約」は140番目の批准国、「子どもの権利条約」は158番目の批准国、「女性差別撤廃条約」は72番目の批准国。これがわたしたちの国、ニッポンの立ち位置です。

 

インクルーシブ教育という理想と現実の狭間で

障害のある子どもの保護者が手厚くきめ細かい教育」を望むのは、極めて当然のことです。

しかし、そのことは「分ける教育」を希望するということとイコールではないはずです。「分ける教育」の場でしか教育が提供されないので、手厚くきめ細かい教育」のためにはそうするしかないのです。

「分けない教育」の場、つまり普通学校の普通学級で手厚くきめ細かい教育」が提供されるのであれば、そちらを選ぶ人が多くあるはずです。インクルーシブ教育はそれを求めるものです。

 

「障害児教育の系譜③」に出てくる古い文章を再掲します。

1980年代に大阪で「原学級保障」の取り組みが行われていました。それに学びながら私たちがめざしたものの中に、特別支援教育をインクルーシブ教育にしていくヒントがあるように思います。

註:当時の「原学級保障」というのは、障害児学級に在籍する子どもを交流学級である普通学級で教育保障する取り組みを言います。「原学級保障」という言葉の語源となった大阪では二重在籍が認められていた時期があり、交流学級も「原学級」でした。

1986年に書いた文章です。

私たちは、子どもは集団の中でこそ育つのだと考えている。だから、「障害児」が「健常児」と共に普通学級の中で生活しているというところから、すべてのものが始まるのだと考えている。みんなと共に生き、共に学ぶという方向性をきちんと持ち、しかも基本的に「健常児」と共に日常的に生活する場がきちんと保障されていることが原則だとも考えている。

しかし、現実の普通学級や普通教育には、多くの問題点がある。したがって、原学級保障の取り組みというのは、普通教育の「普通性」そのものの中身を問うことでなくてはならない。

それが十分に進められるまでの間、みんなと共に生きるという方向性だけは堅持しながらも、部分的には、その子に応じた場と中身を提供するということも否定できない。障害児学級や障害児学級担任は、原則に近付いていくための“過渡期の矛盾措置”と考えたい。
いずれにせよ、私たちは、なぜ一緒にするのかではなくて、なぜ分けてきたのかということにこだわりつつ、当たり前のことを当たり前にしようとしているのである。原学級保障の営みは、普通教育そのものへの問いかけであり、当然のことながらひとり「障害児」のみならず、学級の底辺に置かれてきたすべての子どもに光を当てる教育の営みである。だから、すべての学級の課題たり得るのだ。

当時の文章には、こうも書いています。

原学級保障などというと、それは「障害」の程度が軽いからできるのだとか、「障害児」が1人しかいないからできるのだとか、あるいはまた低学年だからできるのだとか、小学校だからできるのだとかいった声が聞こえてくる。
「障害」が軽度とか重度とかいう言い方も極めていい加減なものだけれども、なぜ重度になれば「障害児」学級であり、養護学校なのだろうか。その子にあった教育の場所と中身が用意されなければならない、普通学校(普通学級)には必要な設備がないと言われるかも知れない。前の部分については後で触れるとして、教育の条件・設備など 100 年待っても整うものではない。「障害」のあるその子を受け入れるためにどう整備していくのかということが考えられたときに初めて前進するものである。

 

世界の標準は「分けない教育」、文字通りのインクルーシブ教育です。

どこの国だって十分な教育の条件・設備が整っていたわけではないでしょう。それでも理念としてのインクルーシブ教育の実現を目指して歩を進めているのです。

ましてや経済大国日本に条件を整える体力がないなどという話は通用しません。

当事者も保護者も、支援者も教員も、小さな1歩ーしかしそれは大きな未来につながる確かな1歩ーを踏みだすことから日本のインクルーシブ教育は始まる、と私は思います。