教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

人権教育のカリキュラムを創る①

「人権教育のカリキュラムを創る」は、人権教育推進に携わっていた2001年10月にまとめた文章です。人権教育のカリキュラムを作成する際の参考にしていただけるのではと考え、7回に分けて紹介します。

 

人権教育のカリキュラムを創る

第1章 人権教育のカリキュラムづくりにあたって
1.人権教育の概念
 (1)人権教育とは
 (2)同和教育を人権教育として再構築する           以上①で紹介
2.人権教育の構想
 (1)同和教育が拓いた地平と残した課題
 (2)人権教育の「本体」と「土台」
 (3)普遍的アプローチと個別的アプローチ
 (4)人権教育のカリキュラム構想               以上②で紹介
第2章 「人権の基礎」について考える~「セルフエスティーム」に着目して~
1.「人権の基礎」を構成する4つの力
 (1)「人権の基礎」を構成する4つの力
 (2)「人権の基礎」を構成する4つの力の関係         以上③で紹介
2.「セルフエスティーム」について考える
 (1)「風船型」と「いがぐり型」のセルフエスティーム
 (2)「風船型」と「いがぐり型」の関係            以上④で紹介
第3章 「普遍的な視点からのアプローチ」による人権教育について考える
1.「普遍的な視点」=「人権一般」ではない
2.「普遍的な視点」について考える
 (1)普遍的な視点
 (2)ステレオタイプ、偏見、差別               以上⑤で紹介
3.「普遍的な視点」と「個別的な視点」の関係
 (1)部落問題学習でねらってきたこと
 (2)「ねらい」の普遍化
 (3)「ねらい」の個別化                   以上⑥で紹介
第4章 「人権を基盤に据えた総合学習」について
1.総合学習でめざすもの
2.人権を基盤に据えた総合学習とは
3.人権総合学習への期待と限界
 (1)人権総合学習への期待(評価革命から学校革命へ)
 (2)人権総合学習の限界(過度の期待への戒めとして)      以上⑦で紹介

 

 

人権教育のカリキュラムを創る

 

第1章 人権教育のカリキュラムづくりにあたって

 

1.人権教育の概念

 

 (1)人権教育とは

 

 人権教育を論じるに当たり、人権教育とは何かを定義する必要がある。国連は、「人権教育とは、知識とスキルを分かち伝え、態度を育むことを通して、人権の普遍的な文化を形成しようとする教育・訓練・宣伝・情報提供の取り組み」(注1)と定義している。たとえば○○市では、「人権が尊重され擁護される社会を築くため、あらゆる人々が生涯のあらゆる機会を通じ、人権に関する正しい知識を習得するとともに、自分で考え判断し、解決するスキルを培い、これを日常の態度として身に付けるための、また、これらに取り組もうとする雰囲気を醸成するための教育」(注2)と定義している。


 いずれの定義も具体的なイメージが容易に像をなさない。それは、人権教育という日本語の実体を示す教育が存在しないからである。


 「人権教育」は「human rights education」の訳語であるが、その実体というのも一様ではない。例えばイギリスの「ワールド・スタディーズ」は、「多くの文化が存在し、人々が相互に依存し合う世界で、責任ある生き方をするのに不可欠な知識、姿勢、技能を身につけるための学習であり教育」(注3)と定義されている。この教育は、白人至上主義に基づく植民地支配の反省に立ち、人種差別をなくすための教育として開発された。「開発教育」「国際理解のための教育」「多文化教育」「平和のための教育」「個性と社会性の教育」「政治教育」等々、みなそれぞれの事情から生まれた人権教育である。


 結論として言えることは、人権教育とは、それぞれの国(地域)における人権問題に関する教育の総称であり(漠然とした人権教育なるものが存在するのではない)、その内容としては「知識」「スキル」「態度」の3領域からなり、「人権文化」(注4)を世界中に築き上げることを目的とする教育ということができる。

 

(注1)「国連人権教育の10年のための行動計画の準備・事務総長報告」1994年

(注2)「『人権教育のための国連10年』○○市行動計画」2000年 3ページ

(注3)国際理解教育・資料情報センター編訳『WORLD STUDIES』ERIC 1991年 10ページ

(注4)「人権文化」(culture of human rights)という訳語は、日本語として定着しているとは言い難い。人権教育の目的を示す過程で、具体的に定義づける必要がある。

 

 

 (2)同和教育を人権教育として再構築する

 

 「同和教育を人権教育として再構築する」という表現をしばしば見かける。


 「『人権教育のための国連10年』○○市行動計画」は、「具体的な分野の課題や具体的施策について」の第1に「同和問題」を掲げている。そして、「具体的施策の方向」の項で「同和教育」について触れている(注5)。そこで述べられていることは、まさしく「同和教育を人権教育として再構築」した内容になっている。しかし、「外国人」の項と読み比べた時、記述内容に明らかな違いがあることに気づく(注6)。両者の違いは、「外国人」については個別の人権問題として課題が記述されている(ここでは内容の吟味は行わない)のに対し、「同和問題」では個別の課題ではなく人権教育としての課題が記述されていることにある。つまり、「同和教育を人権教育として再構築」する過程で、結果として、「同和問題」の課題は消えたことになる。


 「○○市行動計画」では、同和教育の成果と課題を人権教育に普遍化する(換言すれば、個別の課題を包括する部分に記述する)内容を、「同和問題」の項に「同和教育」として記述している。ここでの「同和教育」は「人権教育」の同義語として使われたことになる。人権教育という枠組みで語る時、「同和教育」は「部落解放教育」の同義語と語意を限定するか、「部落問題学習」と言い換えるべきである。そうしないと、「同和問題」固有の課題が見えてこない。


 「再構築」は、国際的な人権教育の内容と方法に照らして同和教育を整理・補足し、併せて同和教育の成果を他の人権課題に普遍化するという作業過程の全体を示す語として捉えたい。

(注5)学校教育においては、これまでの同和教育の反省をふまえ、この行動計画のもと、グローバルな視点にたって人権教育に生かし自分で考え判断し、話し合って問題を解決する力を育む教育の推進に努めなければなりません。そのためには、基礎基本を大切にしながら、子どもたちが自ら課題をみつけ、自ら学び課題を解決しようとする意欲や態度・実践力を育てる教育を実践していく必要があります。また、一人ひとりの子どもたちが「学びの主体」となる授業を創造し、個性を大切にしながら自尊感情を育てる取り組みを通して、全ての子どもたちの自己実現を支援する方向で進んでいくようにしなくてはなりません。そして、グローバルな視野をもって人権・平和・環境・福祉などの社会の問題を考え、自分自身の生き方として行動していける子どもを育てていくことと、差別に出会ったとき、自らが気づき、人間関係を保ち指摘できるスキルを育てる必要があります。

(注6)「具体的施策の方向」の概要は次の通り。
① 文化・歴史認識についての教育の充実
 学校教育では知識注入型の歴史教育や国際理解教育から、体験を重視した児童・生徒の主体的な学習へとその形態を変えていく取り組みが必要であります。またアジア諸国への侵略の歴史と反戦・平和の観点から正しく理解していけるよう、地域に残る歴史的遺物の調査活動や地域の人々の協力を得ての学習をしていけるよう行政的な支援体制を創っていきます。
③ 日本在住の外国人児童・生徒への教育 の改善・充実
 市内に居住する外国人児童・生徒の教育の保障とともに、生活習慣、言語の違いなどを豊かな出会いの場としてとり入れ国際理解に努めます。

 

(2)同和教育を人権教育として再構築するの記述は、同和教育が定着していなかった地域の方、2000年代になって教職に就かれた方には理解しにくいかと思います。補足の意味で、2014年2月に書いた次の一文を掲載します。

 

■人権教育への道 ~同和教育の歩み~■

 

第1章 同和教育の歩み

 

 1 同和教育の歴史

 全国同和教育研究会(全同教)は、1953年に大阪で結成されている。

 

 ……。背景には、被差別部落の子どもたちの長欠・不就学問題があった。その深刻な実態の上に立って、部落問題の解決を図ることを目的として同和教育はスタートした。「部落差別の現実に深く学び…」というのが、同和教育運動の立脚点である。


 1965年には「同和対策審議会(同対審)答申」が出され、それを受けて1969年に「同和対策事業特別措置法」(以下、「特措法」)が公布された。同和教育推進教員の配置や同和教育補充学級の開設など、すべてこの法律によって実現したものである。

 

 「特措法」は10年間の時限立法で、1979年に3年延長された。


 3年後の1982年、「地域改善対策特別措置法」(以下、「地対法」)が公示される。名称変更と共に内容も薄められていくのだが、5年間の法的措置が延長された。


 そして1987年、「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(以下、「地対財特法」)が制定施行された。「地対財特法」は5年の時限法で、1992年に5年間延長された。


 1996年、地域改善対策協議会(地対協)は意見具申を行い、特別対策は2002年3月末で終了し基本的には一般対策に移行、教育啓発に関しては人権教育・人権啓発に再構成することを求めた。


 1997年、政府は最終の特別法として「地対財特法」を一部改正した。


 2002年3月31日をもって、「特措法」「地対法」「地対財特法」の33年間続いた財政措置が終了し、今日に至っている。

 

 2 「専門店」から「デパート」へ

 同和教育研究会組織結成の経緯からも明らかにように、同和教育は部落問題の解決をめざす教育である。つまり、同和教育は部落問題を扱う「専門店」なのだ。少なくとも、結成当時はそうであった。

 

 「差別の現実に深く学ぶ」という同和教育の手法は、実践者である教師の目を、例えば日本で暮らす朝鮮人に対する差別の問題や障害者に対する差別の問題など、部落差別以外の人権問題にも向けさせていった。


 ……。

 こうして、部落問題の「専門店」として出発した同和教育は、1980年代から90年代前半にかけて、在日外国人問題や障害者問題、男女共生問題などの人権問題を扱う「総合デパート」へと発展していった。

 

 

第2章 人権教育への道

 

 1 世界の人権教育

 1996年に地域改善対策協議会が出した意見具申において、同和対策は2002年3月末で終了し、同和教育を人権教育に再構成するという方向性が示された。同和教育が人権教育と呼ばれるようになったのも、同和教育研究会が人権教育研究会と名称変更したのも、すべてこの流れの中で起こったものだ。

 

 「同和教育から人権教育へ」ということを論じるにあたり、そもそも人権教育とは何かを整理しておこう。

 

 結論から言うと、「人権教育」という人権教育はない。

 

 「開発教育」という人権教育がある。これは、南北問題や国際協力を理解するための教育で、1960年代に欧米で始まった。ESD(持続可能な開発のための教育)はその発展形だ。


 「グローバル教育」という人権教育は、地球的課題の理解と解決のための教育で、1970年代にアメリカで始まった。ベトナム戦争の敗北を受け、アメリカ中心主義を見直し、国際社会全体の中で教育を考えようという運動として発展した。


 「多文化教育」という人権教育は、アメリカの公民権運動を起源として発展してきた。

 

 つまり、「○○教育」という人権教育プログラムは、アフリカ系移民に対する差別問題や黒人に対する差別問題など、その国が抱える人権問題の解決を目的として作られたものなのである。

 

 2 同和教育から人権教育へ

 上記の文脈で「同和教育を人権教育に再構成する」という問題を考えた時、どんな人権教育像が浮かんでくるだろうか。同和教育(部落問題教育)、外国人教育、障害児教育、平和教育などなど、人権課題ごとの教育プログラムが用意され、それら「専門店」の集合体(「商店街」のイメージ)を「人権教育」と呼ぶ。というのが、最もスッキリしている。


 しかし、これでは多くの支持を得られそうもない。なにせ、日本は人権後進国なのだ。現実的には、人権教育という「デパート」の1階を総合フロアとし(ここでは、自己肯定感を高めたり、なかまづくりをしたりする)、2階から上に「部落問題教育」「外国人教育」などの「専門店」を配置するというのが賢明だろう。■人権教育のカリキュラムを創る■(2001年)も、そうした考えに基づいている。

 

 今日の人権教育に大きく影響している審議会の答申や法律は、次のようなものである。膨大な紙数ゆえタイトルのみ記しておくので、興味があればインターネットで検索してほしい。
1996年 地域改善対策協議会(地対協)意見具申
     「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について」
1996年 同和問題の早期解決に向けた今後の方策について
1997年 「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画
2000年 人権教育及び人権啓発の推進に関する法律
2002年 人権教育・啓発に関する基本計画
2004年 人権教育の指導方法等の在り方について【第一次とりまとめ】
2006年 人権教育の指導方法等の在り方について【第二次とりまとめ】
2008年 人権教育の指導方法等の在り方について【第三次とりまとめ】


 最新の指針は2008年の「第三次とりまとめ」なのだが、その考え方は一貫して1996年地対協意見具申にある。


 ここでは、2002年3月15日に閣議決定された人権教育・啓発に関する基本計画の内容を紹介する。言うまでもなく、これは2000年に成立した人権教育及び人権啓発の推進に関する法律に基づいて策定されたものである。まず、人権教育とは人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動と定義し、「人権一般の普遍的な視点からの取組」と「各人権課題に対する取組」に分けて方策を述べている。そして、各人権課題として、「女性」「子ども」「高齢者」「障害者」「同和問題」「アイヌの人々」「外国人」「HIV感染者・ハンセン病患者等」「刑を終えて出所した人」「犯罪被害者等」「インターネットによる人権侵害」「その他(同性愛者への差別等新たに生起する人権問題)」を列挙している。


 「同和問題」については、1996年に閣議決定された「同和問題の早期解決に向けた今後の方策について」に基づいて推進すると書かれている。そして「96年方策」には、差別意識の解消が課題だとして、これまでの同和教育の手法への評価を踏まえ、すべての人の基本的人権を尊重していくための人権教育として発展的に再構築すべきだと述べる。具体的には、人権教育に再構成して、進学意欲と学力の向上を推進する内容をも含むものにするとあるのみである。


 ■人権教育のカリキュラムを創る■の「同和教育を人権教育として再構築する」においても同様の論を展開しているのだが、そこでも「外国人」を「同和問題」との対比項目にしているので、「2002年基本計画」の「外国人」の項を見てみよう。ここでは文科省の取り組みとして、「学校においては、国際化の著しい進展を踏まえ、各教科、道徳、特別活動、総合的な学習の時間といった学校教育活動全体を通じて、広い視野を持ち、異文化を尊重する態度や異なる習慣・文化を持った人々と共に生きていく態度を育成するための教育の充実を図る。」と明示している。


 「外国人」の記述に比して、「同和問題」の記述をどう評価するか。同和教育を人権教育として再構築するというなら、同和教育の普遍性の部分と個別課題の部分を整理した上で、「外国人」のように具体的な課題を記述すべきだ。1996年以降の「政府系」文書には、一貫してそれがない。なぜか。私は、そこに政治的な意図を感じている。

 

 この文書は、2002年の法切れから10年が経過した現状を踏まえ、人権教育とは何かを明らかにすることを目的に書いている。


 私は私なりに同和教育を人権教育に再構築しようとしてきた。しかし、それは「政府系」の再構築とは、部落問題の扱いにおいて最も大きく異なっている。そして、それは最近の人権教育の流れに対する違和感と共通する感覚である。