教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

人権教育のカリキュラムを創る②

人権教育のカリキュラムを創る

 

第1章 人権教育のカリキュラムづくりにあたって

 

1.人権教育の概念
 (1)人権教育とは
 (2)同和教育を人権教育として再構築する           以上①で紹介

 

2.人権教育の構想

 

 (1)同和教育が拓いた地平と残した課題

 

 同和教育の成果と課題を考える際に、奥田均氏が提示された「部落差別の現状認識の5領域(図1)」が参考になる。

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 従来、部落差別の実態把握は、「部落内」の「実態的差別」(A領域)、「部落外」の「心理的差別」(B領域)、両者の結合部分である「差別事件」(C領域)という3領域を対象としてきた。それらは、「部落の生活実態調査」「市民の人権意識調査」「差別事件の集約」によって検証されてきた。同和教育実践もまた、概ねこれら3領域を対象として展開されてきたと言える。「低学力傾向」克服の取り組み、格差是正・解消の営みの教材化(以上、主としてA領域)、差別意識を払拭するための「正しい部落問題」の教材化(B領域)、反差別の生き方を培うための差別事件の教材化(C領域)などがそれに該当する。


 注目したいのは、「図1」における欠落部分、すなわち「部落の側における心理的差別」の実態(D領域)、および「部落外」の「実態的加差別」の実態(E領域)についてである。


 「D領域」は、部落差別の実態が部落の人々にどのような心理的影響を与えているかという問題の領域である。「不安」「しまい込み」「自己制御」「気苦労」「遠慮」といった被差別の側の心理的状況を、差別の実態の副産物としてではなく、それ自体を部落差別の実態として受けとめるべきだと、奥田氏は指摘する。「自尊感情」や「エンパワーメント」は、まさにこの領域に応える教育実践だと言える。


 「E領域」は、「被差別の実態」と対をなして「部落差別の実態」を構成する「加差別の実態」の領域である。例えば「身元調査」や「釣書」など、それ自体は部落差別でなくても、結果として差別意識の拡大や被差別の実態の再生産に結びついているといった問題である。「私と部落差別」「私にとっての部落問題」というアプローチが、この領域に応える実践になる。


 従来のもの(A・B・C領域)に一層の磨きをかけ、同時にこれまでの同和教育〔部落問題学習〕の弱点(D・E領域)を補う。これが、人権教育に「再構築」する際の「同和問題」の課題である。

 

 (2)人権教育の「本体」と「土台」

 

 人権教育を「本体」と「土台」の総体として捉えたいと思う(図2)

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 同和教育は、部落問題学習を出発点として、「障害者(児)」問題や在日外国人問題など、さまざまな人権の課題に取り組んできた。ここでは、さまざまな人権の課題に迫る取り組みを、仮に「本体」とよぶ。これについては次項で詳述する。


 さらに同和教育は、部落問題学習が成立する土台の取り組みとして、足繁く家庭訪問を繰り返し、子どもの背景に迫り、親や子どもの声に学んできた。そして、子どもたちをつなぐ集団づくりに取り組んできた。生活綴り方や一枚文集は、その有効な手段であった。感性を育てる文学の授業もここに入る。この取り組みを、仮に「土台」とよぶ。


 人権教育の枠組みを考える際に、同和教育における「本体」と「土台」を丸ごと移転し、とりわけ「土台」の営みについてはていねいに継承したい。自尊感情、コミュニケーションの力、アサーティブネスの力を育てる取り組みは、これからの「土台」部分の重要な要素となる。


 人権教育における「本体」と「土台」の関係は、しばしば畑における「土」と「作物」の関係にたとえられる。良い「土」を作らなければ良い「作物」は育たないという戒めとして、その通りである。しかし、「土」はどこまでも「土」であり、「作物」に転じることはない。「土台」は、耕す過程で「本体」の芽を育て、時には「本体」の一部をなす。畑の「土」にも増して、人権教育の「土台」は重要である。

 

 (3)普遍的アプローチと個別的アプローチ

 

 人権教育の「本体」は、「普遍的な視点からのアプローチ」と「個別的な視点からのアプローチ」で構成される(図3)

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 同和教育は、部落問題という個別的視点一つの教育としてスタートした。そして、「障害児」問題や在日外国人問題など複数の個別的視点を獲得しながら拡大してきた。つまり、今日の同和教育は「個別的アプローチ」=「本体」と「土台」で構成されている。「○○市行動計画」で採り上げられている「同和問題、女性、子ども、高齢者、障害者問題、外国人、あらゆる感染症の患者とその家族、アイヌの人々等、刑を終えて出所した人、環境問題」の10項目が、個別の課題に該当する。


 「普遍的なアプローチ」は、今日までの同和教育になかった視点である。「権利とは何か」「偏見やステレオタイプ」「権利と責任」などが、そこで扱われる内容である。多くは外国で開発されたプログラムのアクティビティーとして紹介されている。


 「個別」と「普遍」は、「両者があいまって」(注7)推進されなければならないことは、言うまでもない。

(注7)「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について」(1996年5月 通称「地対協意見具申」)

 教育の手法には、法の下の平等、個人の尊重といった普遍的な視点からアプローチしてそれぞれの差別問題の解決につなげていく手法と、それぞれの差別問題の解決という個別的な視点からアプローチしてあらゆる差別の解消につなげていく手法があるが、この両者は対立するものではなく、その両者があいまって人権意識の高揚が図られ、様々な差別問題も解消されていくものと考えられる。

 

 (4)人権教育のカリキュラム構想

 

 従来の同和教育のカリキュラムは、横軸(縦軸)に「集団」「部落問題」「『障害者』問題」「在日外国人問題」「平和」といった課題を並記し、縦軸(横軸)に実施月をとる形式が一般的であった。


 人権教育のカリキュラム作成の際に、課題を並記してきた軸のとり方をどうするか。まず、「人権の基礎」(「土台」部分をここでは「人権の基礎」と表記する)、「普遍的視点」、「個別的視点」の3つの柱を設ける(図4)

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 「人権の基礎」は、「セルフエスティーム(自尊感情)」「コミュニケーション能力」「アサーティブネス」「人間関係づくり」(図5)で構成される(「図4」で示した「AB…」の欄にこれらが入る。)。


 「普遍的視点」は、「基本的人権」「個人の権利」「葛藤・対立」「偏見・ステレオタイプ」「差別」「権利と責任」等の柱立てが考えられる。


 「個別的視点」は、「○○市行動計画」に示された10項目と「平和」で構成される。「部落問題」「共生の課題」「環境・平和」といった柱立ても考えられる。その際、「共生の課題」は“違い”を認め合い共に生きるということがテーマになる。これに対して、「部落問題」は“違い”を認め合うものではないので、その点において独立した課題とすべきだと考える。


 次に3つの柱のバランスについて考えたい。小学校低学年では、基本的に「人権の基礎」がカリキュラムの大半を占める。そして、学年が上がるにしたがって「普遍」「個別」の比重を増していくことになる。「個別の課題」については、子どもや地域の実態に照らして扱う時期や頻度を検討することになる。およその目安としては、小学校の6年間に1回以上、中学校の3年間に1回以上、個別の各課題に出会うようにしたいと思う。


 さらに、カリキュラム作成において、各教材の「ねらい」を明確にする必要がある。従前の同和教育がややもすれば知識注入型になりがちであった反省に立ち、「知識」「態度」「技能(スキル)」のバランスに十分配慮したい。その際、子ども主体の学びを保障するために、中心的な学習の形態についても考慮したい。聞き取り、フィールドワーク、劇化等、同和教育が培ってきた手法に加え、ロールプレイ、ディベート、シミュレーション、ゲーム、フォトランゲージ、ブレーンストーミング、ランキング等、世界の人権教育の中で生み出されてきた手法についても積極的に学ぶ必要がある。