教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

人権教育のカリキュラムを創る③

人権教育のカリキュラムを創る

 

第1章 人権教育のカリキュラムづくりにあたって
1.人権教育の概念
 (1)人権教育とは
 (2)同和教育を人権教育として再構築する           以上①で紹介
2.人権教育の構想
 (1)同和教育が拓いた地平と残した課題
 (2)人権教育の「本体」と「土台」
 (3)普遍的アプローチと個別的アプローチ
 (4)人権教育のカリキュラム構想               以上②で紹介


第2章 「人権の基礎」について考える

      ~「セルフエスティーム」に着目して~


1.「人権の基礎」を構成する4つの力

 

 (1)「人権の基礎」を構成する4つの力

 

 「人権教育のカリキュラムづくりにあたって」において、人権教育の「本体」(「普遍的アプローチ」と「個別的アプローチ」)と「土台」(人権の基礎)について述べた。ここでは、セルフエスティームに着目しつつ「人権の基礎」について論じたいと思う。


 「人権の基礎」を構成する力については、前掲の稿で「セルフエスティーム」「コミュニケーション力」「アサーティブネスの力」「人間関係づくり」の4つに整理した。これらの言葉は近年しばしば目にするが、その概念については必ずしもコンセンサスができているわけではない。少し具体的に論じてみたい。

 

 「セルフエスティーム」は、一般的に「自尊感情」と訳される。同和教育においては、学力との関係で1980年代の終わりに池田寛さん(大阪大学)がこの概念を紹介されたのが最初であった。その後、90年代になって参加型の人権教育が紹介され、「セルフエスティーム」が注目されるようになった。ただこの概念は個人の主体性を重んじる文化の中で育ったもので、日本語に訳すとどこかしらずれを感じてしまう。「矜持」という日本語が近いそうだが、日常的に使われる言葉ではない。「自己肯定感」と訳すのが最もわかりやすいように思える。

 

 概念の内容をはっきりさせるために、セルフエスティームが損なわれた問題状況を思い浮かべてみよう。セルフエスティームに限らず、人間の心に関わる概念は、多くの場合、何らかの問題状況を出発点として形成されている。だから、その概念が発生する出発点となった問題状況に立ち戻れば、その概念の意味するところを考えやすくなる。


 まわりから見ると、うらやましいような状態の人がいたとする。仕事も家庭も友人関係も順調に見える。才能にあふれ、個性豊かだとまわりの多くの人に評価されている。ところが本人自身は現状に対して安心感を抱いておらず、何かで失敗するのではないかとか、何かの事故にみまわれないかとか、いつも不安を抱えている。自己評価が低く、「こんなにうまくいくはずがない」とどこかで運命におびえているところがある。ときには自分は早死にするのではないかと勝手に思いこんでいることさえある。セルフエスティームが問題になる典型的な状況はこれである。つまり、客観的状況から言えば自信にあふれていてよいはずなのに、本人は何かしらそれを否定的にとらえているという状況である。そんな場合、問題はその人の捉え方にあるということになる。


 あるいは、まわりから見ていると力があると見えるのに、何かに取り組むといつも同じような人間関係の問題でつまずいてしまう。はじめのうちは世話してくれていた人が次第にその人を疎んじるようになって、最後には突き放されてしまったりする。その人の人生にはいつも同じようなシナリオが待っているようにさえ感じられてしまう。同じような失敗が繰り返されるため、本人自身も自分の運命を呪うようになる。そして、自己評価が低くなってしまうのである。


 そのような意識が生まれる原因を探ると、何かしらの経験に行き当たることが多い。たとえば幼いころに虐待を受け、その記憶が心の傷となってその人の心を不安に陥れているという事例がある。心の傷をいやさなければ、その人の不安や自己評価の低さは解消されない。また、知らず知らずのうちに形成されてしまった心の構えが、その人の人間関係の作り方を微妙なところで鋳型にはめてしまっているという事例がある。この場合も、心の構えを形成するもととなった体験をとらえ直すことが重要な意味をもつ。


 セルフエスティームが高いと、何事にも積極的にチャレンジする姿勢が生まれやすい。新しい人やものと出会ったときにも、好奇心旺盛に近づいていくことになる。こうしてセルフエスティームは雪だるま式に膨れ上がっていく。セルフエスティームが低く、自己肯定感をもてていないと、自分のからに引きこもることになりやすい。

 

(『人間関係づくりとネットワーク』〈明治図書、1997年〉森実「個と集団をめぐる新たな争点」p.26~27)

 

  長い引用になったが、「セルフエスティーム」の概念のイメージを共有することが、すべての前提である。内要については後述する。

 

 「コミュニケーション力」は、人の話や気持ちを聞いたり、情報を吸収したり、質問したりする力である。そして、自分の気持ちや意見をはっきりと、相手への配慮を忘れずに表現する力である。こうした力を、スキルとして育てていくことだ。

 

 「アサーティブネスの力」は、「非攻撃的自己主張」と訳されている。アサーションとは「自分も相手も大切にした自己表現」である。「相手は大切にするが、自分を大切にしない表現」、すなわち「自分の意見や気持ちを率直に表現しなかったり、し損なったりすること」を非主張的(ノンアサーティブ)、逆に「自分は大切にするが、相手は大切にしない表現」、すなわち「相手の気持ちや言い分を無視あるいは軽視して、自分を押しつけること」を攻撃的(アグレッシブ)と呼ぶ。


 アサーティブネスであるということは「相手も大切にする」ことであるから「相手の意見も尊重する」「相手の話も聞いてみる」という姿勢が必要である。そこでお互いの意見を出し合い、譲ったり、譲られたりしながら、お互いの納得のいくところで折り合いをつけようとする。こうしたプロセスを大切にすることがアサーションの精神である。アサーティブネスに自分を表現するということは、そこに何らかの葛藤が生ずることを覚悟することであり、それを面倒がらずに引き受けていこうとする姿勢でもある。

 

 アサーティブな言い方を考える方法にDESC(デスク)法がある。


 ①D(Describe=記述する)…最初に、おたがいに共通の土俵に乗るために、ここで取り上げたい事柄をだれが見ても納得できる客観的で具体的な事実として述べる。


 ②E(Express'Explain'Empathize=表現する、説明する、共感する)…次にそのことに対する自分の気持ちを冷静に、しかも明確に述べる。ただし、これは相手を非難するためのものではない。他、追要に応じて、相手への共感を示す。


 ③S(Specify=特定の提案をする)…ここでは相手にしてほしいこと、変えてほしいことを具体的に提案をする。今すぐできそうな小さな行動変容とし、しかも提案であって命令ではないことに注意する。


 ④C(Choose=選択する)…相手はこちらの提案に対して肯定的に反応する可能性(Yes)と否定的に反応する可能性(No)がある。だから両方の可能性を考えて、次の対応を考えておく。相手がこちらの提案を了解してくれたときは素直に感謝すればよい。了解してもらえないときは次の選択肢を考えて、提案する。


○このDESC法を用いるときに注意することがある。一つはDとEの区別をきちんとすることである。Dは客観的な事実、Eは自分の主観的な気持ちであるが、我々はときどき、この二つを混同してしまう。混同したままの状態では話し合いはスムーズに進まない。


 ※「そのうるさい音楽はやめなさい」と叱ったとする。「うるさい」というのはこちら側の主観である。この部分をDとEに分けてもっと正確に言えば、「大きな音で音楽を聞いていると(D)、わたしにはうるさく感じられるので(E)」ということである。(わたしメッセージ)

 

沢崎達夫「アサーションとは」(『児童心理』№744〈2001年1月〉)

 

 
 「人間関係づくり」は、同和教育の中で培われてきた「集団づくり」を発展させていく概念である。「教育における集団主義」は、「教育の場において弱い立場にある者が立ち上がり、周りの者がそれを受け止めるというイメージ」であり、取り組みの中で「個々人の願いを集団の願いと結んでいく手だて」が数多く開発されてきた(『人間関係づくりとネットワーク』〈明治図書、1997年〉p.204要約)。森実さん(大阪教育大学)は、そう総括した上で、「差別を見抜き、差別を許さず、差別と闘う」といった言葉に象徴される集団観を「個性豊かな一人ひとりが対等平等に豊かにつながることを支援する」方向へ変えていくために、集団づくりにグローバルな視点を導入すること、人間関係のスキルに注目すること、心のケアや癒しに関わる理論や実践に学ぶことが重要だと指摘する(前掲書p.208)。

 

 (2)「人権の基礎」を構成する4つの力の関係

 

 「図1」に示したように、「人権の基礎」のベースには「セルフエスティーム」が位置づけられる。したがって、「セルフエスティーム」が高ければ高いほど、確かな「人権の基礎」力が育つことになる。

f:id:yosh-k:20200527120343j:plain



 「セルフエスティーム」を土台にして、「コミュニケーション」と「アサーティブネス」の力を育てていくことになる。そして、両者の重なりの部分が、他者理解や問題解決等を内容とする「人間関係づくり」になる。「人間関係づくり」を両者の重なりよりも大きな楕円にしているのは、同和教育の中で大切にしてきた上記内容に加えて、「力を合わせれば何でもできる」といった、より積極的な「人間関係づくり」をその内容に加えたいと考えるからである。
 こうした「アサーティブネス」や「人間関係」が、より高次の「セルフエスティーム」を育むというという相互作用については言うまでもない。