私が初めて6年生を担任したのは1981年です。
その年、広島では被爆体験を子どもたちに語ってくださる現職の先生がおられました。
戦後36年、20歳で「あの日」を迎えた人が56歳でした。
今年は戦後75年の節目の年ということで、テレビの報道番組も例年以上に力を入れていたようです。
戦後75年。
1981年に56歳だった人は、今年95歳ということになります。生きておられれば……。
原爆被爆者に限らず、いま、「大人」の戦争体験を聞こうとすれば、それは95歳以上の人でなければなりません。いくらか確かな記憶が残っている年齢を10歳としても、今年で85歳です。
私が教師であった時代、年々年を取っていかれる姿に接しながら戦争中の話を聞いてきました。「戦後50年」の頃からは、漠然とではありますが、残された時間は多くないなと感じるようになりました。
最期に6年生を担任したのは、戦後69年の年でした。その年にお世話になった方は、今春90歳でお亡くなりになりました。それよりも以前にお世話になった方たちも、ほとんどがすでに故人です。
戦後75年の夏、ふと思います。
「戦後80年」の2025年に、戦争体験を聞くことはできるでしょうか。
終戦時に「大人」であった人の話を聞くことは、ほぼ無理でしょう。
終戦時に10歳であった人の話を聞くことも、相当難しいでしょう。
つまり、戦時中を生きてきた「一次体験者」の話を聞くことはほとんど叶わなくなるということです。
残された時間は、あとほんのわずかです。
それぞれの地域に埋もれている「戦争」を記録することに最大限の力を注いでほしいと切に願います。できれば子どもたちとともに…。
「もはや戦後は終わった」とは政治家の言ですが、もはや「戦後」は終わってしまうのでしょうか。
「一次体験者」がいなくなるという意味では、終わるということになるでしょう。
しかし、それは戦争体験が消えてなくなるということでは決してありません。
「一次体験者」がいなくなれば、「一次体験者」の話を聞いた人間がそれを語り継げばいいのです。ーーかりに「二次体験者」としましょう。
ただ、「二次体験者」の語る戦争体験は、所詮は「伝聞」です。リアリティーのない体験談はやがて風化します。「一次体験者」のリアリティーをいかに継ぐかが最大の課題になります。
困難はいつだって付きものですが、そこには希望の光があります。
教室の取り組みを文字に紡ぎ、映像に記録することで、「一次体験者」の「物語」は「二次体験者」のなかに生き続けることになります。そうして継がれた「いのち」は、リアリティーをもって「三次体験者」にバトンを渡すことも可能だと思うのです。
「戦後80年」に向けて、戦争体験を紡ぎ、そして受け継いでいく。ーーその覚悟を確認し合いたいものです。
しばらくの間、私が受け継いだ「一次体験者」の「物語」を紹介したいと思います。