教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

安倍教育改革の遺したもの(その7)

教員免許更新制の導入③

 

教員免許更新制導入は、一体なんのために導入されたのでしょう。

 

 

2007年6月27日に教育職員免許法が改正され、2009年4月1日から教員免許更新制が導入されました。

 

免許更新に必要な30時間の研修は、2010年度中に55歳、45歳、35歳を迎える教員を対象にスタートしました。

 

私はその対象者で、私の免許状が2010年度末で失効するのに1つ年上の人たちは「永久免許」であることが解せませんでした。

 

それでも仕方ないですから、2009年と2010年の間に30時間の研修を履修しました。

 

2019年度で最後の対象者の更新が終わり、これで35歳以上の管理職等を除く教員は1回ずつ更新したことになります。

 

 

みんなが更新講習を受けたところで、制度の意義・有効性を改めて考えたいと思います。

 

文科省の教員免許更新制のページを見ると、「目的 教員免許更新制は、その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。」とあって、そのあとにわざわざ「※ 不適格教員の排除を目的としたものではありません。」と付記しています。

 

法律ができるまでの過程で議論があったために付記したのでしょうが、このことはもはや更新制とは切り離された問題です。(「不適格教員」への対応は別の制度で行われています)

 

問題は、更新講習を受講することによって、「定期的に最新の知識技能を身に付ける」ることができて「その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持され」されているか、受講したことで「自信と誇りを持って教壇に立」てているかということです。

 

講座内容はさまざまですし、受け止め方も人それぞれですから一概には言えませんが、私の経験から言うと大いに疑問符がつきます。

 

仮に有効性があるとしても、それは「免許更新制」を伴わない「義務研修」でも達成できることではないのでしょうか。

 

そもそも、30時間の講習を受けただけで認定されるほど、教員の「自信と誇り」、社会の「尊敬と信頼」というのは軽薄なものなのでしょうか。

 

教員免許更新制の目的は、 不適格教員の排除ではありません。

「資質向上のための更新制」というのも大いに怪しいです。

とすれば、みんなはいったい何のために貴重な時間とお金を使って講習を受けているのでしょう。

 

羽山健一さんという方が「愛知高法研ニュース 第103号」(2007年9月)に書かれた「矛盾だらけの教員免許更新制」という文章が示唆に富んでいます。

同文の「おわりに」の部分を掲載させていただきます。

 今回の更新制導入の目的は、名目的には、①教員の資質の保持向上と、②不適格教員の排除であるといえるが、政府が更新制を導入する実質的な目的、換言すれば、真の狙いはこのどちらでもないと考えられる。なぜならば、更新制はこのどちらにも十分に役立ちそうもないからである。それでは、更新制導入の真の狙いは何か、それは教員統制の強化にあると考えられるのである。つまり、教育行政を批判せず、従順で命令されたとおりに動く教員の育成が目指されているのである。これまでに、初任者研修、10年経験者研修、指導力不足教員の人事管理システム、教員評価システムなどが導入され、今回の法改正では、副校長、主幹教諭、指導教諭の職が設けられた。これらの改正はすべて教員統制に結びつく。今回の更新制の導入は、教員統制システムの完成ともいえる


 昨年(2006年)教育基本法が改正され、前文や第2条(教育の目標)のなかに、公共の精神、伝統の継承、国を愛する態度など多くの徳目が挿入された。さらに今回の法改正により、これらが学校教育法にも盛り込まれた。これらを根拠にして、政府の望む教育内容を学習指導要領に定めて、その教育の実施を全国の学校現場に迫ることができるようになった。つまり、教育内容についての行政権限が強化され、教育内容統制が可能となる条件が整ったといえる。行政による教育内容統制に抗して、最後まで異議を唱え、反発する可能性のあった教員も、今回の更新制の導入で行政の意向に抵抗しづらくなるとすれば、教育内容についての行政の意志決定が学校現場に貫徹されることになり、上意下達の教育が完成することになる。


 教育行政と同様に、政治サイドが教育内容を握ろうとする意欲はきわめて旺盛である。彼らにとって教育は最も強力な世論操作のツールなのである。政治家が教育内容に介入する具体的な発言をすることも珍しくない。たとえば、「自衛隊は平和的に貢献するんです。なぜ軍隊が必要か、先生がもっと生徒に教えるべきです」 小泉純一郎首相(当時)、朝日新聞2004年2月3日 、「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。」 西村真悟衆議院議員(当時)、朝日新聞2004年2月26日] などというもの。また、教科書検定においては、首相の靖国神社参拝に「福岡地裁違憲判断」という記述から「違憲」という文言を削らせ、領土問題に関しては「日本固有の領土」という文言の明示を徹底させ 朝日新聞2006年3月30日沖縄戦の集団自決に対する日本軍の強制を消し去ろうとしており 朝日新聞2007年3月30日 、もう既に、やりたい放題で「何でもあり」の介入がまかり通る状態である。これに加え、徳育を教科に格上げすることが目論まれており、教育内容統制はいっそう加速するものとみられる。
 今回の更新制の導入にあたり、政府は国民の教員に対する不満や不信をうまく利用し、また、国民に教育が良くなるような幻想を与え、その結果、世論の後押しを受けて、その実現を果たしたものである。政府の真の狙いが明らかにされないまま導入されたこの更新制によって、政府の教員統制、教育内容統制が学校現場において確実に進行し、気がつけば、国民が望まないような教育が堂々と教室で子どもたちに対して行われるようになっていた、という心配はけっして杞憂ではなかろう。

 

 「更新制導入の真の狙いは教員統制の強化」、つまり「教育行政を批判せず、従順で命令されたとおりに動く教員の育成」とはなんと露骨な。

しかし、初任者研修が制度化され(1988年導入)、10年経験者研修が制度化され(2003年導入)、教員統制の強化が確実に進んでいたのは事実です。

そして更新制の導入。

更新制の当初の目的が「不適格教員」の排除にあって、それは単に「指導力不足教員」だけではなく教育行政に都合の悪い教員を対象に想定していたと思われることからしても、説得力があります。

 

まあそうであるとしても、動き出した歯車は容易に止まりません。

私の更新研修では、Q-Uと出あえたことが唯一の収穫で、これはその後の教育活動に大いに役立ちました。

絡め取られぬ気構えを持ちつつ、費用と時間の投資に見合う収穫を模索するしかないのかなあ、と思っています。