教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

基礎・基本と「応用」 ~アクティブ・ラーニング考~ ②

基礎的・基本的な知識及び技能の習得」に著しい課題が存する場合、「主体的・対話的で深い学び」の扱いはどうすればいいのでしょう。

 

今回は、「基礎・基本」と「応用」の扱いについて考えます。

 

A 「基礎・基本」ができれば「応用」に進む

もっともありがちな選択肢です。

一見、至極常識的な対応に思えます。

実際問題として、計算の基礎ができていない子に文章題の応用問題は解けません。

文章読解の基礎ができていない子に筆者の文章を評価することなどできません。

だから、まずは「基礎・基本」の定着……。

 

 

ところで、「基礎・基本」ができるようになれば「応用」に進むというもっともな選択に、「応用」がくる日はあるのでしょうか。

すべての子が「基礎・基本」が満足できるレベルに到達する学級ってどれほどあるのでしょう。

この選択肢をとった場合、「応用」に進むことはほとんど望めません。

 

ここで、悩ましい問題に直面します。

このままでは、「応用」が未習に終わってしまいます。

「応用」が「学習内容」に関するものの場合、未習はいかにもまずい。多くの教師は、理解できない子が相当数いようとも一応教えた体を繕います。

「応用」が「学習方法」に関するものの場合、管見によればスルーされていることが結構あったように思います。

 

主体的・対話的で深い学び」は、「教育方法」に属する「応用」です。

 

主体的・対話的で深い学び」は、仕方なくスルーされていくことも致し方ないのでしょうか。

 

 

B とりあえず「応用」に取り組む

学習指導要領で「応用」を扱えと書いていれば、原則として扱わなければなりません。だから子どもの実態とかはともかくとして、とりあえず取り組むという選択肢です。

 

やれと書いてあるんだからとりあえず取り組むというのは、良く言えば「アクティブ・ティーチング」と言えそうです。しかし冷静に考えれば、それは「砂上の楼閣」でしかありません。

学級の上位層の子たちには学びであっても、下位僧の子たちは完全な「お客さん」になってしまう恐れがあります。つまり、学級集団としての学びが成立しません。 

 

「学習方法」に属する「応用」が強く求められるようになったのは、2002年に始まった総合学習(総合的な学習の時間)からだと思います。そして、PISA学力が重要視されるようになって、その占める位置は一段と大きくなりました。

それらはすべて、「アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)」を形成する具体です。

 

Bの選択肢が有効なのは、「基礎・基本」が概ね満足できるレベルに達しているクラスに限られます。

「基礎・基本」に課題をもったままのクラスでは、「○○もどき」「なんちゃって○○」が蔓延しました。

 

「なんちゃって」が問題なのは、指導している教師が「なんちゃって」を自覚していないことです。

「なんちゃって」を「真っ当」と思い違いした教師のクラスでは、「基礎・基本」も「応用」も低レベルなまま……そんなクラスをいくつも目にしました。

 

「なんちゃってアクティブ・ラーニング」が大きな顔をして闊歩するのだけは避けたいものです。

 

 

C Aでもない、Bでもない、第3の道

Aでもない、Bでもない、第3の道=Cって何でしょう。

基礎的・基本的な知識及び技能の習得」して、「応用」に取り組むという学習指導要領が求める選択肢です。

とは言え、「基礎・基本」に著しい課題が存するわけですから、それなりの「戦略」と「戦術」が要ります。文科省用語ではこれを「カリキュラム・マネジメント」と言います。

 

第3の道は、 「基礎・基本」の定着を図りつつ、同時に「応用」にも取り組みます。

「学び」というのは、ゼロか100かの世界ではありません。らせん階段を行きつ戻りつしながら、少しずつ高度を上げていくものです。階段1段の高さを低くすれば、上昇はそれだけスムーズになります。

「カリキュラム・マネジメント」のキーワードは2つ。

スモール・ステップスパイラル

 

スモール・ステップ

「学習内容」であれ、「学習方法」であれ、その「応用」力の卒業時に付けておきたい到達点を定めます。(大抵は学習指導要領にあります)

そこに至るステップを細分化し、各学年・各単元の指導計画に落とし込みます。

そして、その学年のその時点で持てる力を使って取り組むことが可能なレベルの「応用」を課すのです。

指導者が1つ前のステップ、1つ先のステップ、さらには卒業時の到達点を認識しながら「今」を指導していることが重要なのです。

 

スパイラル

子どもの学びは、決して直線的なものではありません。学びが行きつ戻りつを繰り返しながら螺旋状に進むのであれば、指導もまたそうでなければなりません。

単に何年生だから、何々単元だからというのではなく、子どものその時点での手持ちの力と相談しつつ、1つ先のステップをめざす設定を繰り返します。

 

スモール・ステップスパイラルが、1担任の取り組みで終わるなら、長い目で見ればそれはほとんど意味がありません。「カリキュラム・マネジメント」は、教師集団が共有し、実践し、交流することで初めて成立します。

 

私にはもう実践の機会はありませんが、どうか、「アクティブ・ラーニング」のいいスタートが切れますように。