7月4日(その2)
「アルプスの山たちを訪ねて 2」の舞台は、マッターホルンのあるヴァリスエリア です。
まずはその行程を。
【地図説明】
4日朝、グリンデルワルトからバスでルツェルンへ。(地図上の茶線部分)
ルツェルン市内観光の後、バスでアンデルマットへ。(薄茶線)
アンデルマットから氷河特急でツェルマットへ。(赤線)
ツェルマットから登山電車でゴルナーグラードへ。(紫線)
(以下、ツェルマット地区の地図へ)
7日、ツェルマットからエッシネン湖(地図の⑦)を経由して、モンブラン地区へ移動。
グリンデルワルトを9時に発ったバスは、10時半前にルツェルンに着きました。
ここで、スイスの歴史に触れておきましょう。
ドイツが神聖ローマ帝国を治めていた頃、ドイツからローマへの最短ルートはアルプスを縦断するゴッタルド峠越えでした。私たちは、この後そのルートを通って峠手前のアンデルマットまで行きます。
つまり、ルツェルン周辺は峠のすぐ北という位置から、関所や宿場町として栄えました。
この地域で力を振るったハプスブルク家の強権に対抗して、1291年8月1日、ウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3地域の代表が湖畔のリュトリに集まって「永久同盟」を結びましだ。これをスイスの「原初3州」といい、建国の礎となりました。ウィリアム・テルの話が登場するのも、この頃です。
「永久同盟」誓約後、数回にわたってのハプスブルク家の攻撃を何とかしのぎ、1332年にはルツェルン、1351年にはチューリヒ、1353年にベルンなどが加わり「8州同盟」となります。最終的には現在の26州になるのですが、建国時の中心はここルツェルン周辺であり、当地が首都のこともありました。
ルツェルンはフィアヴァルトシュテッター湖の西端にあります。この長い名前の湖は、「4つの森の国の湖」という意味で、単にルツェルン湖と呼んでも差し支えないようです。
中世の色合いを今に残す旧市街を1時間あまり散策しました。
まず、ライオン記念碑を訪れました。今は精密機械や観光で所得も物価も高いスイスですが、近世以前のスイスは貧しかったようです。傭兵が貴重な“輸出品”で、1792年のフランス革命では、民衆からルイ16世とマリー・アントワネットを守ろうとして786名のスイス兵が命を落としています。この傭兵たちの死を悼んで造られたのが、ライオン記念碑(瀕死のライオン像)です。
湖畔に戻り、カペル橋から旧市街の中心部を歩きました。
カペル橋は、湖に架かるヨーロッパ最古の屋根付き木橋です。1333年の完成といいますから、「永久同盟」直後の歴史の証人です。この橋が東の砦、少し先にあるシュプロイヤー橋が西の砦で、まさにここがスイスの防衛戦だったわけです。
カペル橋の周辺にはイエズス教会、フランシスコ教会、ホーフ教会、ザンクト・ペータース教会と4つの教会があり、デザインはそれぞれ異なりますが、すべてカトリック教会です。宗教改革当時、反改革派の中心だったルツェルンならではの光景だそうです。その辺のことには正直暗いです。
再びバスに乗り、アンデルマットに向かいます。
高速道の途中から、土曜日の混雑を避けるために迂回し、急な渓谷の道を一気に上がり、13時頃、駅に近いレストランに到着しました。