7月4日(その3)
アンデルマットは、標高1400m余の高地で、これから乗車する氷河特急の中間地点になります。
氷河特急(グレッシャー・エクスプレス)は、標高1775mのサンモリッツを発車すると604mのライヒェナウまで下り、そこから路線中最高地点のオーバーアルプパスヘーエ(2033m)まで上って1435mのアンデルマットにやってきます。ここまでおよそ4時間50分。特急という名は付いていますが、平均時速35kmの列車です。
アンデルマットを出ると、ブリーク(670m)の少し先まで下り、そこから1604mのツェルマットまで上がっていきます。この区間の所要時間が2時間50分。
大雑把に言えば、1000m規模のアップダウンを2回繰り返すわけです。
私たちは、15時08分発の列車に乗りました。
“プチブルジョア”ツアーですから当然1等のパノラマカーです。1車輌に乗っているのは我がパーティーだけで、こんなことが許されるのだろうかと思うほど贅沢。と思っていたのは束の間、異常高温だから陽射しが強すぎて冷房が効かないのです。これには閉口しました。
アンデルマットの近くにあるフルカ峠を源とするローヌ川は、レマン湖へと注ぎます。氷河特急が下り続けるブリークまでの区間は、ローヌ川の川筋にあたります。つまり、ローヌ川の北がユングフラウのあるベルナーアルプスで、南がマッターホルンのあるツェルマットエリアです。私たちは今、エリア移動をしています。
ツェルマットのある地域はヴァリス州で、ヴァリス地方の山々のことをヴァリスアルプスと言います。
私の旅行記の蘊蓄は、旅行中に添乗員のOさんから聞いた記憶をベースに、資料を引いて書いています。
Oさんのデータベースはどうなっているのでしょう。ほとんどカンペのようなものもなく、周囲の景色の移ろいを見ながらリアルタイムに実に深い説明をしてくれます。プロといえど、ベテランといえど、スイスのこのコースを何度も辿っているわけではないのに…。実に感心します。
そんなOさんの真骨頂を見る場面が、このあと突如やってきました。
列車が登りにかかり、あと半時間ほどでツェルマットに到着するという地点までやってきました。
添乗員さんは、19時24分の最終便の予約を18時24分乗車に変更する段取りを始めました。山の上に早く着けば、その分ゆっくりとマッターホルンを愛でられるというわけです。
とその時、列車が止まりました。時計は17時45分を指していました。
5分が過ぎ、10分が過ぎ…、日本のような車内放送の類いはありません。
やがて18時24分を諦め、30分が過ぎても動きませんでした。
動かない列車に最終便乗車の危機を感じたOさんが、動き始めました。
車掌とのやりとりで、単線路を共有する対向車両に何らかのトラブルが起こっていることが分かりました。しかし、原因も復旧のメドも分からないということでした。
Oさんは会社や駅やホテルに電話をかけ、ツェルマットまでバスで入ることを模索しました。ツェルマットはガソリン車を排除しており、小型の電気自動車しか走っていません。大型バスを用意しても1駅手前までしか行けないのです。そうした事情も含めて、クルマを用意しようとしました。
ところが、悪いことは重なるものです。ツェルマットでマラソン大会があって、帰りの人たちで町は大混雑しているらしいのです。
停車から55分が経った頃、車掌がOさんの勢いに圧倒されたか、私たちの機嫌取りにやってきました。ビールやミネラルウォーターを無料で提供すると言うのです。私は素直にビールに釣られました。
1時間が過ぎると、さすがに今宵の宿が心配になってきました。
19時24分の最終電車に乗り遅れると、山上のホテルに辿り着く術がありません。
2つの電車の駅は近いのですが、別々の私鉄ですから、連絡や連携はありません。そこがOさんの交渉力のスゴイところ。次の乗換駅から、列車が着くまで発車を待つという約束を取り付けたのでした。
昨今、危機管理能力などということがどこの職場でも声高に言われますが、この人のそれはスゴイの一言に尽きます。
結局、19時過ぎになって列車は動き出し、19時30分にはツェルマット駅のホームを必死に走っていました。
そうそう、この1件ではツェルマット在住のOさんのご友人にも随分お骨折りいただきました。感謝、感謝。