教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

Repost: 教師入門① ~教壇に立つ前に~

2021年1月23日、ブログ「教育逍遙」は開設から満1年を迎えました。

この間、週5回の投稿を基本に265本の記事を公開してきました。

今は幾人もの方に読んでいただいていますが、開設当初はほとんど認知されることはありませんでした。その一方で、開設に至った「思い」は初期のブログに凝縮されていました。

開設から1年を機に、初期の記事を再掲し、これから教壇に立つ方や教壇に立ってまだ日の浅い方にお届けしたいと思います。

 

 

アンドロイド漱石先生 VS 人間教師

 

二松学舎大のアンドロイド夏目漱石が公開されたとき、ふと考えました。

めざましい進化を続けるAI(人工知能)が、近い将来教壇に立ち、教師に取って代わって授業をするようになるのだろうかと。


教師の職にある人もそうでない人も、「そんなことはあり得ない」と答えるでしょう。私も、そう思います。人間教師にしかできない教育の「機微」というものがあるのだよ、漱石くん。


にもかかわらず、一方で私は、AI教師の登場を心待ちにしているのです。なぜでしょう。


答えははっきりしています。

AI教師によって救われる子どもが数多いると思えるからです。

理由は大きく2つあります。


1つ。

AI教師は、ポイントをきちんと押さえた授業をすることが期待できるからです。

教育内容はすべてプログラミングされているわけだから、ハズレの授業はなくなるはずです。子どもたちとの対話により授業の難易度を調節するくらいは、進化を続けるAIにはさほど難しいことではないでしょう。

 

2つ。

AI教師は、子どもを公平に扱い、冷静に指導することが期待できるからです。

少しクールすぎるかもしれなませんが、「一人ひとりの子に寄り添って」などと過度な期待をしなければ十分OKでしょう。

 

 

近年、教師力と総体としての学校力の低下振りは、目を覆いたくなるほどにヒドイです。少なくとも私にはそう映っています。

ピントのずれたハズレ授業が溢れています。

依怙贔屓と脅しで子どもたちを支配する教師、自分の感情を抑えられずその日の気分で怒鳴り散らす教師がいっぱいいます。

教室には、教師の顔色を窺いながら、苦役の45分に耐えている子どもが少なからずいます。


そして、一概には言えませんが、ベテラン教師の中に上のような傾向が強いように感じます。そんな職場で、若い教師は、どこを見て何を学べばいいのでしょう。

 

 

21世紀末になっても、教育は人間教師によって行われるべきです。

そのためには、子どもにとって教師は尊敬と敬愛の対象でなくてはなりません。


退職前の2年間、私は若い人たちに向けて「教育の森」というメルマガを発信していました。若い人たちへのメッセージのつもりだったのですが、実際には中堅からベテランの域に達した人たちに反響がありました。


教師の職を離れ、もはや完全に外(そと)の人になりました。今さら口出しなどすれば、「年よりの冷や水」と疎ましがられるのがオチだと知っています。それでも敢えて筆を執ろうと思ったのは、「ポイントをきちんと押さえた授業をする」教師、「子どもを公平に扱い、冷静に指導する」教師が増えることで、子どもにとって教室が楽しい学びの場になることを願ってやまないからです。

 

本ブログ「教育逍遙」は、メルマガ「教育の森」時代の内容も含めて小学校教育の小径をまさに「そぞろ歩き」します。「年よりの冷や水」が、「ポイントをきちんと押さえた授業をする」力や「子どもを公平に扱い、冷静に指導する」力を鍛えるヒントになれば幸いです。

 

 

 

教壇に立つ前に①

  漢字をマスターしよう

 

「教壇に立つ前に」…。そうです、これは新しく小学校教員になって4月から教壇に立とうとしている「教師の卵」のみなさんへのメッセージです。

 

 

しばらく前になりますが、『人は見た目が9割』(竹内一郎新潮新書)という本が出て、結構話題になりました。


「人は見た目じゃない、中身だよ」と反論してみるものの、よくよく我が身を振り返ってみると、第一印象が人物評価に与える影響の大きさを再認識させられてしまいます。

 

 

4月になると子どもたちとの出会いが待っています。そして、その月のうちに参観日があって、保護者との出会いがあります。


子どもとは日々付き合うことになりますから、「中身」の理解も徐々に深まるでしょう。しかし、保護者と出会う場面はそれほど多くはなく、人となりを理解されるほどの付き合いは期待できません。
その一方で、保護者の言葉や態度が年齢の小さな子どもに与える影響は絶大です。


つまり、保護者との出会いである最初の参観日での「見た目」が良くなければ、良好な関係作りには相当なエネルギーを要することになります。

 

 

「見た目」と言うと、髪型や服装のことかと思われるかもしれません。が、私がここで取り上げようとしているのは、板書の漢字です。厳密には漢字の筆順です。


中学校の先生の板書は(と一括りにするのはよくないですが)、概して字形が乱れていて筆順も間違いだらけです。それでも中学生がそれを問題にすることはほとんどありません。


小学校は違います。とりわけ低学年の板書は平仮名を含めて字形が整っていることが大切ですし、筆順も漢字指導の一部ですから子どもも意識しています。当然、保護者も同じ目線で担任教師の板書を見つめています。そこでの筆順間違いは、大きなマイナスポイントになります。

 

 

なんだそんなこと、と軽く見てはいけません。私は家庭訪問の際、「前の担任は漢字も正しく書けない先生で…」という保護者の声を聞いたことがあります。漢字を正しく書けないのは事実でしょう。でも、私は同僚としてのつきあいの中で、その先生の優れた点をいくつも知っています。しかし、保護者は筆順レベルの「見た目」で担任を評価し、それを1年間持ち続けていたわけです。

 

小学校で学習する1026字の漢字を書いてみてください。筆順のチェックには筆順辞典などというスマホアプリもあります。自分は正しく書けると思っていても、覚え間違いや長年染みついたクセのようなものがいくつかあるものです。

漢字の筆順は後々の指導にも役立つものですから、教壇に立つ前に是非とも正しくマスターしておきたいですね。

 

 

教壇に立つ前に②

  漢字をマスターしよう(その2)

 

漢字マスターとあわせてお薦めしたいのが、白川静さんの本。

 

白川静さんは漢字研究の第一人者で、2006年に亡くなられています。
白川さんには『字訓』『字統』など有名な著書があるのですが、お薦めは

白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい 』(小山鉄郎著、新潮文庫、2009年)。

入門書としては最適ですし、なにしろ安い(473円)。

 

目から鱗が落ちるという言葉がありますが、同書との出会いはまさにその言葉通りのものでした。漢字の世界観が変わります。

 

 

学校の漢字指導にそのまま使えるというわけではありません。

それでも、たとえば「左」は「一」から書き始め、「右」は「ノ」から書き始めるワケを知っていたら、漢字指導が楽しくなると思いません?

実際、高学年の子どもにも結構好評でした。

 

 

蘊蓄(うんちく)を一つ。

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上の図は、「左」と「右」の篆書体の文字です。

白川さんによると…

「左」は「一」が手で「ノ」が腕、「右」は「ノ」が手で「一」が腕を表しています。

まず手を書いて、腕を手首から肩に向かって伸ばしていきます。

よって、「左」は「一」から、「右」は「ノ」から書き始めるのです。

 

ちなみに、「左」の「エ」は呪具を表し、「右」の「口」(これは「クチ」ではなくて「サイ」)は祝詞を入れる器を表しています。

 

 

こうした知識は持っていても荷物にはなりません。ぜひご一読を。

 

 

 

教壇に立つ前に③

  声をつくろう

 

ある学校で、先生たちの自己紹介を受ける機会がありました。

20人ほどおられたのですが、名前を聞き取ることができたのは10人ほどでした。あとの数人は学年所属は聞こえたものの、名前は分かりませんでした。さらに何人かはほとんど何も聞き取れませんでした。

この学校の教師の少なくとも半分は、授業を見るまでもなくアウトだと分かります。

自己紹介の場で肝心の名前を相手に伝えられない教師が、教室で授業の肝心要を子どもたちに伝えられるとは思えません。これは授業内容や指導テクニック云々以前の問題です。逆に言うと、授業内容や指導テクニックがどれほどすぐれていても、子どもに声が届かなければ伝わらないということです。

 

教師にとって「声」は、必要条件としての重要なツールであり財産です。
それは、子どもたちがタブレットを操る時代の授業においても、不変です。


では、その「声」はどんなであればいいのでしょう。

 

端的に言えば、明瞭で張りのある声です。

 

“明瞭”さは、口形を意識して発声練習することで鍛えることができます。

“張りのある声”は、体育館などで話した時によく響くやや細くやや硬い声です。声の太さや硬さは個性の部分が大きいかもしれませんが、意識化することで鍛えることができます。

 

学校の現場は日々忙しく過ぎていきます。その現場に立つ前に、自分の「声」をつくりましょう。
それは、仕事場に向かう前の大工さんが鉋の刃を研ぐようなものです。

 

正しい口形は、インターネット上に公開されている画像を参考に、鏡に向かって真似るのがいいです。はっきり発声することをお忘れなく。

 

口のかたちができたら、発声練習です。1音1音区切るように発声します。

 

あえいうえおあお
かけきくけこかこ
させしすせそさそ
たてちつてとたと
なねにぬねのなの
はへひふへほはほ
まめみむめもまも
やえいゆえよやよ
られりるれろらろ
わえいうえをわを
がげぎぐげごがご
ざぜじずぜぞざぞ
だでぢづでどだど
ばべびぶべぼばぼ
ぱぺぴぷぺぽぱぽ

 

ボイストレーニングには、北原白秋の詩「五十音」もお薦めです。

 

あめんぼ あかいな アイウエオ  水馬 赤いな あいうえお

うきもに こえびも およいでる  浮藻に 小蝦も 泳いでる

かきのき くりのき カキクケコ  柿の木 栗の木 かきくけこ

きつつき こつこつ かれけやき  啄木鳥 こつこつ 枯れ欅

ささげに すをかけ サシスセソ  大角豆に 酢をかけ さしすせそ

そのうお あさせで さしました  その魚 浅瀬で 刺しました

たちましょ らっぱで タチツテト 立ちましょ 喇叭で たちつてと

トテトテ タッタと とびたった  トテトテ タッタと 飛び立った

なめくじ のろのろ ナニヌネノ  蛞蝓 のろのろ なにぬねの

なんどに ぬめって なにねばる  納戸に ぬめって なにねばる

はとぽっぽ ほろほろ ハヒフヘホ 鳩ポッポ ほろほろ はひふへほ

ひなたの おへやにゃ ふえをふく 日向の お部屋にゃ 笛を吹く

まいまい ねじまき マミムメモ  蝸牛 ネジ巻 まみむめも

うめのみ おちても みもしまい  梅の実 落ちても 見もしまい

やきぐり ゆでぐり ヤイユエヨ  焼栗 ゆで栗 やいゆえよ

やまだに ひのつく よいのいえ  山田に 灯のつく よいの家

らいちょうは さむかろ ラリルレロ雷鳥は 寒かろ らりるれろ

れんげが さいたら るりのとり  蓮花が 咲いたら 瑠璃の鳥

わいわい わっしょい ワヰウヱヲ わいわい わっしょい わゐうゑを

うえきや いどがえ おまつりだ    植木屋 井戸換へ お祭りだ

 

「五十音」は、教室でも便利に使えます。

たとえば、

めんぼ かいな イウエ きもに… 

赤字のところで拍子打ちをします。同じテンポで打ち続けることで、リズムが良くなります。子どもの声が揃うという効果もあります。

慣れてくると、少しずつ拍子打ちのテンポを速くして「○○秒バージョン」なるものを増やしていきます。その場合も1音1音を意識することをお忘れなく。

しばらく続けると、確実に滑舌が良くなります。

 

 

教壇に立つ前に④

  話し方をマスターしよう