前総理大臣の安倍晋三氏は私と同世代で、育った時代の空気感のようなものは共通していると思います。
安倍氏の国会答弁を聞きながら、繰り返し澤地久枝さんのことを思いました。
澤地久枝さんは1930(昭和5)年9月3日生まれで、現在90歳。
先日亡くなられた半藤一利さんと同じく、私の父と同年生まれです。
Wikipediaに紹介されている澤地さんの経歴です。
大工の長女として生まれる(下に妹と弟)。父親は小学校卒業後伊豆での見習修業を経て大工となり、久枝が4歳の時、家族で満州へ移住し、吉林市の満鉄社宅で暮らした。1945年、吉林で敗戦を迎え1年間の難民生活の後に日本に引き揚げ山口県立防府高等学校に編入した。
1947年夏に東京に移り焼野原の原宿に建てた6畳のバラックで育つ。1949年、中央公論社に入社し同社経理部で働きながら旧制都立向丘高等女学校(現・東京都立向丘高等学校)の定時制に一年通い、早稲田大学第二文学部に学ぶ。……卒業後、優れた能力を買われて『婦人公論』編集部へ移った。……1963年に編集次長を最後に退社。
その後、五味川純平の資料助手として『戦争と人間』の脚注を担当。1972年の『妻たちの二・二六事件』以後、本格的に執筆を開始し、『密約』(原案は西山事件)、『烙印の女たち』、『あなたに似たひと』、『昭和・遠い日近いひと』、『わが人生の案内人』、『道づれは好奇心』などを執筆。……
澤地さんと半藤さんにはともに戦争体験があり、そこから来る平和や民主主義への強い思いと覚悟が生き方の根底にあると思われます。
澤地さんには『妻たちの二・二六事件』や『記録 ミッドウェー海戦』など、ノンフィクション作家としてのすぐれた業績があります。
私は、それらのものよりもむしろ、エッセイストとしての澤地さんに強く惹かれてきました。澤地さんの文章を読んでいると、自然と背筋が伸びる気がします。
たとえば、道徳の授業で「正しいと思ったこと(正義)は勇気をもって言おう」といった内容の教材を扱うとします。
上手く指導することは大事なことですが、教師然として「正義」や「勇気」を教えるだけでいいのでしょうか。
「正義」を貫こうとしたときの孤立感、逆にリスクを回避したときの罪悪感にも似た虚しさ…大人である「私」は、子どもたちよりもずっと多くのトゲを持ちながら教壇に立っているのです。自らのトゲの痛みを抜きに、授業は成立するでしょうか。
安倍氏の国会答弁を聞きながら思う澤地さんとは、まさにこの部分なのです。
澤地さんの著書の中で一推しは、
『おとなになる旅』(新潮文庫、1985年)
『おとなになる旅』の単行本は、1981年にポプラ社から刊行されました。その後、1985年に一部加筆されて新潮文庫になりました。
現在は文庫本、単行本ともに版が絶えているようで、中古本を探すしかありません。
文庫本に加筆時の澤地さんは60歳で、2人の甥たちに「この本で、あなたたちのおばあちゃんがどんなに奇妙な子ども時代をおくっておとなになったのか、知ってください」と語りかける形で書かれています。
昨年度、私は地元の中学1年生を対象に「特別授業」を行っていました。内容については「元小学校教員による小中連携授業」(①~⑨)で紹介しています。最終回はコロナ禍で中止になったのですが、その内容が「大人になる旅」でした。作成したプレゼン用スライドの一部を紹介します。
澤地さんは著書に中で、12歳の「あの日」のことに触れ、
その日を境に「『はだかの王様』が全く見えなくなった」と述懐している。
森達也さんの著書に、
「はだかの王様』が見えなくなる」
とはどういうことかを読み解くヒントがあった。
澤地さんは、「はだかの王様』が見えなくなった」自分は、
「愚かでみじめな時間」だったと振り返る。
授業はこのあと、
「『王様は裸だ』と言い続ける生き方」について考える。
つぎに紹介したいのは、
『私のかかげる小さな旗』(講談社文庫、2003年)
内容(「BOOK」データベースより)
敗戦の日、わたしは十四歳だった…。あの日をさかいに、それまで頭上をおおっていた国家と軍隊、それにつらなるいっさいが、きれいに消えていった。それから六十年近く。わたしは「戦後」の初心を忘れない。いまや前のめりに進む日本社会に待ったをかける、みずみずしい信念と若々しい行動を綴るエッセイ。
以下もお薦めです。
『時のほとりで』(講談社文庫、2000年)
内容(「BOOK」データベースより)
ささやかでいい、時代の証言者として生きたい。戦争の犠牲となった名もない人生に心ひかれ向かった満州、ニューギニア、ロシア、トルコ。ピースボートからゴミ問題、大島渚、小沢昭一、丸木俊、向田邦子さんのこと等、三度目の心臓手術を控えた日々、心に湧き上る思いを綴る。凛として温かく、勇気の出る随筆集。
『道づれは好奇心』(講談社文庫、2005年)
内容(「BOOK」データベースより)
「やりたいことはかならずやるという厄介な習性。その中心に位置しているのが『好奇心さま』なのだ」という著者が、来し方を振り返りつつも、若い学生とともに学ぶ沖縄の日々を綴る。そしてその中で気づいた「伝えるべき“知恵”と経験がわたしにもある」という事実。愛に満ちた人生の指針となるエッセイ集。
背筋をのばして凜として生きたいものです。
凜として…。石垣りんさんの詩「表札」でも口ずさみながら。
「自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。
……
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい」
それが教師の矜持です。