小学校3・4年生の教科書に登場する故事成語の第2回は「杞憂」です。
杞憂
「杞憂」の読み方
きゆう
「杞憂」の意味
将来のことについてあれこれと無用の心配をすること。取り越し苦労。(広辞苑)
「杞憂」の使い方
「杞憂であれば幸いです」「心配したが、杞憂に終わってよかった」
「杞憂」の語源・由来
出典は『列子』です。
列子は、中国の戦国時代の思想家列禦寇(れつぎょこう)の作といわれる思想書です。
『列子』の故事の中の「杞国有人忧天地崩坠」が語源になっています。
「杞人忧天」。「忧(yōu)」は「心配する」という意味の字ですが、日本ではなじみがありません。これが日本語では同義の「杞人天憂」(きじんてんゆう。杞人、天を憂う)となり、略して「杞憂」となりました。
「杞憂」の蘊蓄
「杞憂」の「杞」は、国の名前です。
「中国語スクリプト」のホームページに、「杞」の所在が出ています。
『列子』の「天瑞」に出てくる故事は次のようなものです。「Baido百科」という中国語のページより引用します。
杞国有人忧天地崩坠,身亡所寄,废寝食者。
又有忧彼之所忧者,因往晓之,曰:"天,积气耳,亡处亡气。若屈伸呼吸,终日在天中行止,奈何忧崩坠乎?"
其人曰:"天果积气,日月星宿,不当坠耶?"
晓之者曰:"日月星宿,亦积气中之有光耀者,只使坠,亦不能有所中伤。"
其人曰:"奈地坏何?"
晓之者曰:"地,积块耳,充塞四虚,亡处亡块。若躇步跐蹈,终日在地上行止,奈何忧其坏?"
其人舍然大喜。晓之者亦舍然大喜。
現代語訳を「中国語スクリプト」から引用します。
昔々中国にあった杞(き)という国がありました。紀元前の周の時代、今の河南省杞県にあった国です。この国にある男がいて、天地が崩れ落ちてきて住む場所もなくなったらどうしようとひどく心配していました。この男、心配のあまり食欲を失い不眠症になってしまいました。
この男を心配する人がいて、こう言ってきかせました。「天とは空気が集まっているところだ。空気のない場所などない。われらの動作や呼吸はまさに天において行っているものだ。天の崩壊など心配する必要はまったくない」
すると心配性の男が「天が空気でできているとしても太陽や月や星は落ちてこないだろうか?」
「太陽や月や星はその空気の積もった中で光っているだけだ。落ちてきてもそれにぶつかってケガをすることはないさ」
「では地が崩れたらどうなるんだ?」
「地は土が積み重なっているだけだ。それが四方を埋めつくし、土のないところなどない。われらは歩き回り、終日この地の上で動いている。地が崩れる心配をするなんて必要ないさ」
この話を聞いて心配性の男は心配が消え大いに喜びました。さとした男もまた心配が消え大喜びしました。
私も時々「杞憂」という言葉を使います。
「杞憂でありますように」などと書いたときは、「無用の心配」「取り越し苦労」というより、「言わんこっちゃない」という結果が透けて見えているときに使っている気がします。
故事の逸話からするとちょっとずれている、というより逆説的に使っている感じです。
これは、私の言語感覚です。