教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その92) 故事成語「臥薪嘗胆」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第26回は「臥薪嘗胆」です。

 

臥薪嘗胆

 

「臥薪嘗胆」の読み方

がしんしょうたん 

 

「臥薪嘗胆」の意味

仇をはらそうと長い間苦心・苦労を重ねること。転じて、将来の成功を期して長い間辛苦艱難すること。(広辞苑

 

「臥薪嘗胆」の使い方

戦争はもうこのへんでやめたがいいと言った某氏に対して父は、十年臥薪嘗胆のこの戦争だ。旅順などはまだ序の口。こんなところでやめればまだ何度も同じ戦争のやり直しだ。この勢いで奉天までもハルピンまでもだ。ここでは断じてやめられない、と父は某氏と争ったと言う。(佐藤春夫『わんぱく時代』1958年)
 

「臥薪嘗胆」の語源・由来

「臥薪嘗胆」は、春秋時代呉王夫差(ふさ)が越王勾践(こうせん)を討って父の仇を報じようと志し、常に薪の中に臥して身を苦しめ(臥薪)、また、勾践が呉を討って会稽(かいけい)の恥をすすごうと期し、にがい胆を時々なめて報復を忘れまいとした(嘗胆)故事に由来します。

 

「臥薪嘗胆」の出典については、「臥薪」「嘗胆」「臥薪嘗胆」の3つに分けて見ていきます。

「臥薪」

「臥薪」とは、「薪(たきぎ)の上に臥(ふ)し寝ること」です。

史記』によると、紀元前6世紀末、呉王闔閭(こうりょ)は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷がもとで病死した。闔閭は後継者の夫差(ふさ)に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えた。夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出した(これが「臥薪」の故事です。ただし、この記述は『史記』には存在せず、『十八史略』で付け加わっています)。

「嘗胆」

「嘗胆」とは、「苦い胆(きも)を嘗(な)めること」です。

まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践(こうせん)の軍を破った。勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねたが、許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆(きも)を嘗(な)めることで屈辱を忘れないようにした(これが「嘗胆」の故事です)。その間、強大化したことに奢った呉王夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた上、先代の闔閭以来尽くしてきた重臣伍子胥を処刑するなどした。ついに呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。夫差は降伏しようとしたが、勾践が条件とした王への復帰を認めなかったために自殺した。

史記』「越王勾践世家」より「嘗胆」の文字が出てくる一文です。

吴既赦越,越王勾践反国,乃苦身焦思,置胆于坐,坐卧即仰胆,饮食亦尝胆也。

「臥薪嘗胆」 

史記』が書かれたのは紀元前1世紀です。

 「臥薪」と「嘗胆」は単独で使われていますが、「臥薪嘗胆」として登場するのは宋の時代のことです。

その後、元代(14世紀)の『十八史略』に春秋時代の故事が「臥薪嘗胆」として記されいます。

臥薪嘗胆

寿夢後四君而至闔廬。
挙伍員謀国事。
員字子胥、楚人伍奢之子。
奢誅而奔呉、以呉兵入郢。

呉伐越。
闔廬傷而死。
子夫差立。
子胥復事之。
夫差志復讎。
朝夕臥薪中、出入使人呼曰、
「夫差、而忘越人之殺而父邪。」 

周敬王二十六年、夫差敗越于夫椒。
越王句践、以余兵棲会稽山、請為臣妻為妾。
子胥言、
「不可。」
太宰伯嚭受越賂、説夫差赦越。 

句践反国、懸胆於坐臥、即仰胆嘗之曰、
「女忘会稽之恥邪。」
挙国政属大夫種、而与范蠡治兵、事謀呉。 

太宰嚭譖子胥恥謀不用怨望。
夫差乃賜子胥属鏤之剣。
子胥告其家人曰、
「必樹吾墓檟。
檟可材也。
抉吾目、懸東門。
以観越兵之滅呉。」
乃自剄。
夫差取其尸、盛以鴟夷、投之江。
呉人憐之、立祠江上、命曰胥山。 

越十年生聚、十年教訓。
周元王四年、越伐呉。
呉三戦三北。
夫差上姑蘇、亦請成於越。
范蠡不可。
夫差曰、
「吾無以見子胥。」
為幎冒乃死

 

【書き下し文】

臥薪嘗胆

寿夢(じゅぼう)の後(のち)四君(しくん)にして闔廬(こうりょ)に至る。
伍員(ごうん)を挙げて国事(こくじ)を謀る。
員(うん)字(あざな)は子胥(ししょ)、楚人(そひと)伍奢(ごしゃ)の子なり。
奢(しゃ)誅(ちゅう)せられて呉に奔(はし)り、呉の兵を以て郢(えい)に入る。

呉越(えつ)を伐つ。
闔廬傷つきて死す。
子(こ)夫差(ふさ)立つ。
子胥復(ま)た之に事(つか)う。
夫差讎(あだ)を復せんことを志(ここざ)す。
朝夕(ちょうせき)薪中(しんちゅう)に臥(が)し、出入(しゅつにゅう)するに人をして呼ばしめて曰く、
「夫差、而(なんじ)は越人(えつひと)の而(なんじ)の父を殺ししを忘れたるか。」と。 

周の敬王(けいおう)二十六年、夫差越を夫椒(ふしょう)に敗(やぶ)る。
越王句践(こうせん)、余兵(よへい)を以て会稽山(かいけいざん)に棲(す)み、臣(しん)と為(な)り妻は妾(しょう)と為らんと請う。
子胥言う、
「不可なり。」と。
太宰伯嚭(はくひ)越の賂(まひない)を受け、夫差に説(と)いて越を赦(ゆる)さしむ。 

句践国へ反(かえ)り、胆(きも)を坐臥(ざが)に懸(か)け、即ち胆を仰(あお)ぎ之を嘗(な)めて曰く、
「女(なんじ)会稽の恥(はじ)を忘れたるか。」と。
国政を挙げて大夫種(たいふしよう)に属し、而して范蠡(はんれい)と兵を治め、呉を謀(はか)ること事(こと)とす。 

太宰嚭(ひ)子胥謀(はかりごと)の用ひられざるを恥(は)じて怨望(えんぼう)すと譖(しん)す。
夫差乃ち子胥に属鏤(しょくる)の剣を賜(たま)ふ。
子胥其の家人(かじん)に告げて曰く、
「必ず吾(わ)が墓に檟(か)を樹(う)えよ。
檟は材(ざい)とすべきなり。
吾が目を抉(えぐ)り、東門に懸(か)けよ。
以て越兵(えつへい)の呉を滅(ほろ)ぼすを観(み)ん。」と。
乃ち自剄(じけい)す。
夫差其の尸(しかばね)を取り、盛るに鴟夷(しい)を以てし、之を江に投ず。
呉人之を憐(あはれ)み、祠(し)を江上(こうじょう)に立て、命じて胥山(しょざん)と曰(い)う。 

越十年生聚(せいしゅう)し、十年教訓(けいくん)す。
周の元王(げんおう)の四年、越呉を伐つ。
呉三たび戦つて三たび北(に)ぐ。
夫差姑蘇(こそ)に上り、亦(また)成(たひらぎ)を越に請う。
范蠡可(き)かず。
夫差曰く、
「吾(われ)以て子胥を見る無し。」と。
幎冒(べきばう)を為(つく)って乃ち死す。

 

【現代語訳】

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

(呉は)寿夢(じゅぼう)の後、四人の君を経て闔廬(こうりょ)に至った。
(闔廬は)伍員(ごうん)を取り立てて国の政治について相談した。
員(うん)の字(あざな)は子胥(ししょ)といい、楚の伍奢(ごしゃ)の子である。
奢が(楚の王に)殺されたため、呉へ逃げ、呉の軍隊を(動員させ、楚の都の)郢(えい)に攻め入った。

呉は越を攻撃した。
闔廬は傷を負い死んだ。
(闔廬の)子の夫差(ふさ)が王位に就いた。
子胥はまた夫差に仕えた。
夫差は(父の)復讐を志した。
朝晩、薪の上に寝起きし、出入りするごとに、この言葉を人に言わせた。
「夫差よ、汝は越人が汝の父を殺したことを忘れたのか。」 

周の敬王(けいおう)二十六年に、夫差は越を夫椒(ふしょうという場所)で敗った。
越王の句践(こうせん)は、残兵を連れ会稽山(かいけいざん)に立てこもり、自分は夫差の臣となり、妻は妾となります(ので命は助けてほしい)と願い出た。
子胥は言った。
「許してはいけません。」
(しかし)太宰(たいさい)の伯嚭(はくひ)は越から賄賂を受けており、夫差を説得して越を許すことにさせた。 

句践は国へ戻り、胆(きも)を普段生活する部屋に吊り下げ、顔を胆のほうに向けて舐めてこう言った。
「汝は会稽の恥を忘れたのか。」
国の政治はすべて大夫(たいふ)の種(しょう)に行わせ、(自分は)范蠡(はんれい)とともに軍隊を整え、呉を攻撃する計画づくりを行った。 

太宰の嚭(ひ)は「子胥は自分の謀(はかりごと)が用いられなかったことを恥じて(王=夫差を)怨んでいます。」と讒言(ざんげん)した。
そこで夫差は子胥に属鏤(しょくる)の剣を与えた(=自殺を命じた)。
子胥は自分の家人に告げて言った。
「必ずわしの墓に檟(ひさぎ)の木を植えよ。
檟は(夫差を入れる)棺の材料とすることができよう。
わしの目をえぐって、東門にかけよ。
越の軍隊が呉を滅ぼすのを見よう。」
そこで自ら首をはねて死んだ。
夫差は子胥のしかばねを取り、馬の革で作った袋に入れ、それを揚子江に投げ入れた。
呉の人たちはこれを気の毒に思い、祠(ほこら)を揚子江のほとりに立て、胥山(しょざん)と命名した。 

越は十年間、民を育て増やし、財力を蓄えて国力を強くし、その後の十年間は民を教育した。
周の元王(げんおう)四年、越は呉を攻めた。
呉は三回戦い、三回とも(負けて)逃げた。
夫差は姑蘇(こそ)台に上り、(かつて越王がしたように)和議を越に願い出た。
(しかし)范蠡は聞き入れなかった。
夫差は言った。
「わしは子胥に会わせる顔がない。」
覆面を作って(これをかぶり)自ら命を絶った。

 

「臥薪嘗胆」の蘊蓄

「臥薪嘗胆」の類義語

座薪懸胆(ざしんけんたん)
 目的を果たすために、苦難に耐えて機会を待つこと。
「座薪」は固い薪の上に座ること、「懸胆」は枕元に苦い肝を懸けて、寝起きになめること。
あえて固い薪の上に座り、寝起きに苦い肝をなめることで、復讐心を忘れないようにしつつ、わき立たせるという意味から。

越王之胆(えつおうのたん)

「臥薪嘗胆」の故事から。

 

「臥薪嘗胆」の対義語

一蹶不振(いっけつふしん)
 一度の失敗で挫折してしまい、二度と立ち上がれなくなること。
「蹶」はつまずくこと。
「不振」は勢いがなくなること。
「一蹶して振るわず」とも読む。