教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その78) 故事成語「一挙両得」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第22回は「一挙両得」です。

 

一挙両得

 

「一挙両得」の読み方

 いっきょりょうとく

 

「一挙両得」の意味

一つの事をして二つの利益を収めること。一石二鳥。(広辞苑

 

「一挙両得」の使い方

 どうだい。それなら僕の主意も立ち、君の望も叶う。一挙両得じゃないか。(夏目漱石『野分』1907年)

 

「一挙両得」の語源・由来

「一挙両得」の出典は、『晋書(しんじょ)』「束皙伝(そくせきでん)」 です。

 

ある男が二頭の虎を退治しようとしたところ、別の男がまずは虎同士を戦わせるようにと助言を行いました。虎同士が戦うことにより一頭は勝ち一頭は負ける、つまり生き残った一頭のみを倒すことで男は二頭の虎を仕留めたことになると。このエピソードが「一挙両得」の言葉の由来となっています。

 

※由来の出典が示されている資料が見つかりません。

『晋書』に出てくる「二頭の虎」の話は、次のものではないかと思います。

春秋時期魯國勇士卞莊子敢于只身同老虎搏斗,他聽說山上有兩只老虎就想去打,朋友勸說等兩只老虎爭食時再下手可以一舉兩得。他耐心等到大老虎為了吃到黃牛而咬死小老虎,覺得這時時機已成熟,輕易地打死那只大老虎。

 

※ウェブ上で 「一挙両得」の出典として紹介されているのは、すべて次のものです。

賜其十年之復,以慰重遷之情,一挙両得,外実内寛大。

(其の十年の復を賜ひて、以て遷る重るの情を慰むれば、一挙両得ならん、…。)

これについて調べてみると、およそ次のとおりです。

又昔魏氏徒三郡人在陽平頓丘界、今者繁盛、合五六千家。二郡田地逼狭、謂可徒還西州、以充辺土、賜其十年之復、以慰重遷之情。一挙両得、外実内寛、増広窮人之業、以闢西郊之田、此又農事之大益也。

武帝・恵帝の時代の束晳が農業政策について進言した。『人口に比べて耕地が狭く、人々には仕事がありません。昔、魏氏は人々を西の方に移住させて辺境の地を充実させました。これこそ一つの事をして二つの利益を得ることです。』晋は民を移住させ農地の拡大をはかった。」といった文脈です。 

 

『晋書』において上記2つの引用文がどう関係しているか、確認できていません。文脈から察すると、上段の引用部分の後に(連続しているかどうかは分かりませんが)下段の引用部分がくると思われます。 

 

「一挙両得」の蘊蓄

中国生まれの「一挙両得」 、イギリス生まれの「一石二鳥」

「一石二鳥」は、元々は17世紀にイギリスで生まれた「kill two birds with one stone.」=ひとつの石で鳥を二羽殺す、というということわざです。この日本語訳を略して「一石二鳥」という言葉になりました。

 

 

「一挙両得」の対義語

「虻蜂取らず」

「二兎を追うものは一兎を得ず」

一挙両失

「福島みんなのNEWS」で八重樫一さんが書かれている記事です。

【一挙両失】 いっきょりょうしつ
何かひとつの行為によって、それとともに二つのことで損失を生じることを表わした四字熟語です。
この反対が【一挙両得】です。こちらは『東観漢記:トウカンカンキ』耿弇(コウエン)伝にでています。

【一挙両失】は、『戦国策』燕策にでています。

戦国末期、燕国第43代目の王喜(オウキ:B.C.254~B.C.222)の時のお話です。

燕の西隣にある趙を攻めるにあたり、名将樂毅(ガッキ)の子である樂閒(ガッカン)に意見を求めました。
樂閒は、趙は戦争なれして、何倍の軍勢をしても攻められないと言いました。
王喜は激怒して趙を攻めました。
燕は大敗し、樂閒は趙へ亡命してしまいました。

燕王・王喜は書簡をもって樂閒に詫び、再び燕を助けてほしいと懇願しました。

 本より以て寡人の薄きを明らかにするを為さんと欲して、
  もともと私の薄徳を(天下のい)表明したいと考えてのことであったとすれば、
  
 而も君、厚きを得ず、
  (そうしたところで)あなたは情の厚い人だとの評価を得られるわけではなく、

 寡人の辱を揚げて、
  また、私の恥を(天下に)宣伝したいとのことであれば、

 而も君、榮を得ず、
  (そうしたところで)あなたは榮譽を得られるわけではない。

 此れ一挙して両失するなり。
  となれば、これは一挙に二つのことを失うことになる。

燕王の諄々たる懇情にも、樂閒は自分の考えを採用してくれなかったことを怨んで、ついに、趙国にとどまり返事を出しませんでした。
最終的に、燕はB.C.222年 秦に滅ぼされます。

自分が善く思われようとして、他人を悪しざまにいうことはよくあることですが、
それは同時に自分もまた同じレベルで愚劣であることを明かしていることになります。
両者にとって何も得るものはない。つまり【一挙両失】です。

『戦国策』には、「一挙両附」という言葉も出てきます。

 「一挙両附」は「一挙両得」と同義で、「一挙両得」の『晋書』よりも前に登場しています。