教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その127) 故事成語「竹馬の友」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第49回は「竹馬の友」です。

 

竹馬の友

 

「竹馬の友」の読み方

ちくばのとも

 

「竹馬の友」の意味

ともに竹馬に乗って遊んだ幼い時の友。おさなともだち。(広辞苑

 

「竹馬の友」の使い方

メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。(太宰治走れメロス』1940年)
 

「竹馬の友」の語源・由来

「竹馬の友」の出典は、『晋書』「 殷浩(いんこう)伝」です。

 

殷侯既廃。桓公語諸人曰、少時與淵源共騎竹馬、我棄去、已輒取之。故當出我下。

 

【読み下し文】
殷侯(いんこう)既に廃せらる。桓公(かんこう)諸人に語りて曰く、少(わか)き時、淵源(殷浩の字(あざな))と與(とも)に竹馬に騎(の)るに、我棄て去れば、已(すで)に輒(すなは)ち之(これ)を取る。故(もと)より當(まさ)に我が下に出(い)づべし、と。

 

【現代語訳】
殷浩が位を平民に落とされてから、桓温(かんおん)が人々に言った。「幼いとき、殷浩と竹馬に乗ったものだが、私が竹馬を棄てると、殷浩がそれを拾って乗ったものだ。もとから彼は、私の下風に立つべき人物なのだよ」

 

※ここに出てくる竹馬は、日本の「たけうま」とは別の物で、馬に見立てた先端にたて髪をつけた竹の棒のことをいいます。その昔、子供たちがそれに跨って走り回って遊んでいたそうです。

竹馬の友というと幼なじみといういいイメージの語として使っていますが、原典ではライバルでもある幼い時の友を見下し、自分の優位を語る道具として登場していました。

 

「竹馬の友」の蘊蓄

「竹馬の友」の類義語

騎竹の交わり(きちくのまじわり)
子供のときからのなじみ。竹馬の友。(広辞苑

 

莫逆の友(ばくぎゃくのとも、ばくげきのとも)
きわめて親密な友。親友。(広辞苑
出典は『荘子』大宗師。
子祀・子輿・子犂・子來、四人相與語曰、孰能以無爲首、以生爲脊、以死爲尻。孰知死生存亡之一體者。吾與之友矣。四人相視而笑、莫逆於心、遂相與爲友。
【読み下し文】

子祀(しし)・子輿(しよ)・子犁(しり)・子来(しらい)、四人相(あい)与(とも)語りて曰く、孰(たれ)か能(よ)く無(む)を以て首と為し、生を以て脊(せき)と為し、死を以て尻と為す。孰か死生存亡の一体なるを知る者ぞ。吾之と友たらん、と。四人相視(み)て笑い、心に逆(さか)らう莫(な)く、遂(つい)に相与(とも)に友と為る。

 

金蘭の友(きんらんのとも)
きわめて親密に結ばれている友。(大辞泉