教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

歴史教育の周辺(その9) 歴史に学ぶために歴史を学ぶ

歴史に学ぶために歴史を学ぶ

 

社会科が社会「科」であるためには、教科としての体系がなくてはなりません。

歴史学が歴史「学」であるためには、学問としての体系がなくてはなりません。

 

体系とは、「 個々別々の認識を一定の原理に従って論理的に組織した知識の全体。」(大辞泉)を言います。

 

社会科における歴史教育について考えます。

「体系」の語義にある「原理」を、ここでは「命題」と解釈します。

学習指導要領のいう歴史学習の目標は、「国を愛する心情を育てる」ことです。これが根本「命題」ということになります。

「国を愛する心情を育てる」という原理(命題)に従って論理的に組織した知識の全体が、社会科・歴史学習???

 

 

私は、社会事象を科学的に理解し思考するのが社会科学だと思っています。そしてそれは、社会のいまとこれからに資するものでなければならないとも思っています。

また、教育における社会科の意義は、空間的な広がり、あるいは時間的な広がりのなかで思考する習慣づけにこそあると思っています。

 

歴史学習は、「時間的な広がり」を主たる領域とする分野です。

過去の歴史を学ぶことを通して、これからの社会のあり方や生き方を思索するということです。「歴史に学ぶために歴史を学ぶ」という表題は、このことを指しています。

そして、こうした思索の習慣が、個人レベルの人生においては選択や決断の際の糧になっていくのだと思います。それは、数学的思考の習慣が物事を論理的に考える力の醸成に資することと底通しています。

 

「歴史に学ぶために歴史を学ぶ」というとき、歴史修正主義は思索を歪めるし、人物中心の歴史教育は思索そのものを奪うこともあります。

歴史教育の場では、いわゆる受験学力につながる短期的な獲得目標と、人生における獲得目標という両側面を常に意識して取り組む必要があります。

 

 

「歴史に学ぶために歴史を学ぶ」という視点で言えば、近現代史の学習はとりわけ重要になってきます。

現実には明治以降の学習は薄く、日中戦争・太平洋戦争の時代や戦後の歴史は極薄状態です。

いまに近いほど歴史の評価が確定していないという点は理解します。しかし、いまと直接つながっているのは近現代です。これからの社会のあり方や生き方を思索するには、近現代史の丁寧な学びが欠かせません。

 

5月に修学旅行があって、それに合わせて平和学習を組んだことがありました。

社会科の歴史学習もその一環に組み込みました。具体的には、歴史の学びをいきなり明治から始めました。太平洋戦争終結までを修学旅行前に終え、その後に教科書の最初に戻りました。

小学生段階での理解力の問題、市販テストの扱いの問題など、課題は多くあります。しかし、いまに近い時代からさかのぼって歴史を見る視点は新鮮でした。

 

中国との間の問題や韓国との間の問題が、政治問題、外交問題として常在します。こうした問題を教室に持ち込むと、政治教育、偏向教育の謗りを免れないのが現実です。でも、感情的にヒートアップするのではなく、冷静な歴史の学びのなかでディスカッションすることは、本当は大事なことだと思うのですがねぇ。