教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

世界遺産学習 法隆寺(その14)裳階

裳階(もこし)

 

裳階(もこし)とは何でしょう。

仏堂・仏塔などの軒下壁面に取り付けた庇(ひさし)状の構造物。法隆寺金堂や五重塔の初層、薬師寺三重塔の各層などにみられる。雨打(ゆた)。裳階(しょうかい)。
                                (大辞泉

建物の軒下壁面のひさし風にさし出した部分。
                           (歴史民俗用語辞典)

写真の初層屋根の下にあるのが「裳階」です。

 

Wikipedia」には、「構造は本屋より簡素であり、建物を実際より多層に見せることで外観の優美さを際立たせる効果があるため、特に寺院建築で好んで利用された。」とあります。

美しさの尺度は人によって違います。

下の写真の左は裳階のない法隆寺五重塔、右は裳階のある法隆寺五重塔です。

ちなみに、もっとも美しい五重塔と言われている室生寺五重塔は、裳階のない法隆寺五重塔に似た立ち姿です。

私は、裳階のない法隆寺五重塔のほうが断然美しいと思います。

 

鳥人(あすかびと)が裳階を美しいと感じていたかどうかは分かりません。というのも、法隆寺五重塔の裳階は外観の優美さを際立たせるために作ったものではないからです。もっと差し迫った、そうせざるをえない必要があったのです。

 

その必要は、屋根裏の構造、つまり垂木(たるき)にあります。

屋根瓦の下に並んで見える角材が垂木です。

 

仏教寺院の建築は中国から伝わりました。

仏教寺院の屋根は寄棟(よせむね)や入母屋(いりもや)になっています。

仏教建築が入ってくる以前の日本では、切妻(きりづま)が上等の屋根の形でした。切妻を「真屋(まや)」と呼び、寄棟は田舎の農家の屋根の形だったので「東屋(あずまや)」と呼んでいました。

神社本殿は切妻です。一方、仏教寺院では寄棟や入母屋を重要な建物に使います。

 

垂木の話です。

垂木の取り付け方には2通りあって、イラストの上を「扇垂木(おうぎだるき)」、下を「平行垂木(へいこうだるき)」と言います。

扇垂木は寄棟や入母屋の屋根に用い、平行垂木は切妻の屋根に用います。

 

仏教寺院の屋根は寄棟や入母屋ですから、扇垂木のカタチで伝わりました。

法隆寺金堂も当然、寄棟や入母屋の屋根です。(法隆寺では五重塔に先立って金堂が建てられました。建物の構造としては、金堂も五重塔も同じです。)

切妻屋根を最高の屋根形式としていた日本では、垂木は平行であるのが当たり前でした。飛鳥人(あすかびと)の美意識としても、当然そうあるべきと考えたのでしょう。法隆寺金堂の屋根には平行垂木を採用しました。

 

法隆寺』所収の穂積和夫さんのイラストをお借りして解説します。

垂木は「桁(けた)」に打ち付けます。イラストでいえば「入側桁」「側桁」「出桁」が屋根の重みを支えることになります。

本来扇垂木であるべき屋根に平行垂木を採用したため、隅に近い部分の垂木が屋根の重みを支えられない構造になってしまったのです。

私の構造模型では、垂木に2㍉角の楊枝を使っています。実際には12×15㌢の角材で、一般住宅の柱よりも太い部材です。それが隅木とのみ結合していて、上に乗る瓦の重みを支えることになります。

 

あまりにも当然のことながら、金堂の軒(のき)は完成からほどなくして下がり始めました。隅木(すみき)の下にある尾垂木(おだるき)を支えるつっかい棒が必要になったのです。そこで作られたのが裳階です。

 

五重塔では、金堂の教訓を生かして、当初から裳階を作りました。

構造模型の一番手前が裳階の一部で、裳階と尾垂木の間の丸棒部分には「邪鬼」が置かれています。

「つっかい棒」に「邪鬼」を置くなど、飛鳥人(あすかびと)の美意識には感服します。しかし、つっかい棒が必要になってしまったのもまた、飛鳥人(あすかびと)の美意識に因るとも言えます。扇垂木にしていれば、もっと美しい五重塔になっていたでしょうに。

 

なお、その後に建てられた五重塔は屋根の構造が複雑になり、裳階は必要なくなったようです。(写真は興福寺五重塔