中途半端な改革から本質的な改革へ
前々回の記事の最終部分を再掲します。
しかし「ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンス(科学的根拠)はほとんどない」(佐藤学氏)。
というのです。
佐藤氏は、その論拠としてPISA2015報告書の「学校でコンピューターの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がっていた」という事実を引きます。
その理由として、
○深い思考を育む先生と子どもの対話がコンピューターによって阻まれる可能性(PISA)
○従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界(PISA)
○今のICT教育の現場で使われるソフトの質(佐藤氏)
の3点を挙げています。
その上で、「GIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育。協同で探究する学びに改革する必要」と結論づけています。
この短い文章において語られていることは、実に深いです。
PISAの分析や佐藤氏の指摘から言えることは、紙の教科書をデジタル化するだけではダメだ。もっと言えば、教え込み型の一斉授業が根底にある教育観ではダメだということです。佐藤氏が提唱してきた「協同的学び」(文科省の「協働学習」は似ているようで、異質)の教育観を、ICT教育の土台に据える必要があると思います。
私は、佐藤学さんの指摘を肯定的に受け止めています。
その立ち位置から見れば、現場の先生たちが力を注いでいるICT技術習得の努力は空しいものに思えます。習得したころには、そのほとんどをコンピューター自身がやってくれるようになっているでしょう。AI技術、ICT技術は日進月歩、いや「時進日歩」です。
限られた時間を教師本来の力を磨くことに使われることを切に願います。
それもこれも、元凶は文科省にあります。
まず、「1人1台の端末と高速通信環境を整備すること」によって、子どもたちの「資質・能力を一層確実に育成」する「令和の学びの『スタンダード』」という「GIGAスクール構想」そのものを問い直す必要があります。
「ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンス(科学的根拠)はほとんどない」と佐藤氏は指摘しています。
仮に「GIGAスクール構想」を是とするとしても、「GIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育」と言うのです。佐藤氏の「協同的学び」に対する賛否は置いても、この部分は冷静に吟味する必要があります。
「従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界」を指摘するPISAの見解と合わせ考えると、課題の根は深いです。
「今のICT教育の現場で使われるソフトの質」という指摘に至っては、文科省の怠慢以外の何ものでもありません。
文科省が最新の機能を持つソフトやツールを配信する、もしくは教科書会社等を支援するなどすれば、学校現場の悪戦苦闘の相当が解消されるはずです。
文科省の「GIGAスクール運営支援センター」事業も動き出してはいますが、センター事業ではなく学校配置が必要です。中途半端な対応では焼け石に水。各学校にICT技能員のような職員を配置すれば、教員の負担が軽減され本来の課題に向き合う時間が増えます。
ICT教育が時代の流れだというならば、文科省にはその環境を整える責務があります。
1人1台のパソコンを配布したのは、最初の第1歩に過ぎません。
1人1台のパソコンを使った授業をするための教室がいります。学級規模は20人程度でしょうか。チョーク用の黒板がデンと中央を占めているのも感心しません。教室のデザインをICT教育にふさわしいものに変更し、必要に設備を整えるべきです。
1人1台のパソコンを使った授業をするためのテキストがいります。当然、デジタル教科書、デジタル教材ということになります。
1人1台のパソコンを使った授業をするための授業スタイルがいります。佐藤氏の「協同的学び」のようなスタイルです。
文科省の「GIGAスクール構想」にはそうした覚悟やエネルギーがあるのでしょうか。問われているのは、文科省の本気度です。
中途半端な改革は、現場の教師を疲弊させるだけです。それは、何よりも子どもたちにとって不幸なことです。