えんぴつ記念日
えんぴつ記念日は、日本で初めての鉛筆工場の生産が始まったことにちなんで制定された記念日です。
「雑学ネタ帳」より引用します。
1886年(明治19年)のこの日、眞崎仁六(まさき にろく)が東京・新宿(新宿区内藤町)に眞崎鉛筆製造所を創立し、日本初の鉛筆の工場生産が始まった。
眞崎仁六は1878年(明治11年)にフランス・パリで行われた万博で鉛筆というものを初めて見て感動を受けたことをきっかけに、様々な研究と努力を重ね、水車を動力とした工場を建てた。この眞崎鉛筆製造所は、後に三菱鉛筆株式会社となった。
記念日の由来となる年月日は書籍に記載のある情報であるが、同社の公式サイトでは鉛筆工場を建て、鉛筆の工業生産を開始したのは1887年(明治20年)との記載がある。また、月日については公式サイトに記載はなく、鉛筆の生産が始まった月日は不明のようである。記念日を制定した団体や目的も定かではない。
また、同社の創業年も公式情報で1887年(明治20年)となっている。その後、2006年(平成18年)10月、同社は創業120年を記念し、創業の地である新宿区内藤町に「鉛筆の碑」を建立し、新宿区に寄贈しており、碑の説明板にも1887年(明治20年)に鉛筆の製造を始めたと明記されている。
これらの情報から、日本初の鉛筆の工場生産が始まった日付は、1886年(明治19年)5月2日は正しいとは言えないが、1887年(明治20年)5年2日とも言えない状況である。そのため、5月2日は「えんぴつ記念日」という情報が正しいかは不明であるが、情報提供の意味も含めてこの頁を残しておく。
ちなみに、鉛筆の起源は今から約600年前の14世紀頃、イタリアで鉛とすずを混合した芯を木軸に装着した鉛筆が作られたと言われている。日本に渡来したのは江戸時代初期。どのようにして日本に渡ったかは定かではないが、徳川家康に献上されたものと考えられ、現在も静岡県の久能山東照宮博物館に保存されている。
「日本筆記具工業会」のHPより引用します。
「日本の鉛筆工業の歴史」
明治時代になり、新しい国づくりのなかで、ヨーロッパやアメリカの仕組みや物を意欲的に学び、取り入れ始めました。そして、すべての青少年が平等に学習する教育の仕組みも取り入れ始め、今まで以上に多くの鉛筆も必要になりました。ただ、日本の学習用の筆記具は主に筆でこれは筆算などには不便でした。そのため、日本国内で鉛筆をつくるために、オーストリアやドイツに伝習生を派遣し、技術習得させたのです。
明治6年(1873年)に、海外で鉛筆やガラスなどの製造技術を学んだ伝習生が帰国しました。そして、その製造方法に習って小池卯八郎が、国内で最初に鉛筆をつくったとされています。小池氏は明治10年(1877年)に東京・上野で行われた「第1回内国勧業博覧会」で、「教育ノ器具」として、国産の鉛筆を出品しました。
また、眞崎仁六は、明治11年(1878年)、フランスのパリで開かれた博覧会で出品されていた鉛筆を見て、その製造方法を研究しました。
そして、明治20年(1887年)に水車を動力とする鉛筆工場(現三菱鉛筆)を東京に建てたのでした。
明治時代に鉛筆を製造し始め、いまも変わらず鉛筆をつくりつづけている100年の歴史をもつ会社がいくつもあります。
「1886(明治19)年5月2日」というのはどうやら正しくないようです。ただ、「そのころ(1987年)に鉛筆が工場生産されるようになった」という歴史を語り継ぐ日としては、それなりの意味がありそうです。