教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

エラくなるとはどういうことか①

はじめに


「学力」とは何かという「そもそも論」はひとまず置きます。

社会を覆う空気は、目に見える学力、つまりテスト等で数値化される学力論に傾倒しています。それが学力の全てではないことは勿論ですが、敢えてテスト学力に真っ向から挑みたいと思います。


児童数10名の小規模学級を、5年・6年と担任したことがありました。

小規模学級で子どもを見ていると、大規模学級では見えなかった(見過ごしていた、あるいはスルーしていた)ものどもが大きなトゲになって引っかかってきます。

 

6年時、教材会社が作っている単元テスト・学期末(学年末)テストの学級通年平均点は、国語が92点、算数が90点を記録しました。

このクラスには、4年生の指導要録で国語と算数の両教科ともに最下位評定をもらった子が3人いました。そのことを思うと、2年間のクラスの成長は実に大きいものがあります。

 

この子どもたちの成長の跡を辿りながら、「エラくなるとはどういうことか」という命題に迫ってみたいと思います。

 

 

 

 ケースA

 

(1)素描Personality Sketch


①学習状況(5年当初)


4年生の評定は、国語・算数ともに低いです。

特に漢字に対する「アレルギー」があり、読みも覚束ない状態です。

勘が良く、読みが下らないにもかかわらず、読解テストは好成績をとれます。


②Q-U結果(5年生4月9日)

 

Q-U とは
 河村茂雄氏(早稲田大学)が開発した楽しい学校生活を送るためのアンケート。Q-UはQUESTIONNAIRE-UTILITIES を略したもの。「やる気のあるクラスをつくるためのアンケート」(学校生活意欲尺度)と「いごこちのよいクラスにするためのアンケート」(学級満足度尺度)で構成されている。さらに、学校生活意欲は、友達関係・学習意欲・学級の雰囲気の3下位領域からなる。学級満足度は、承認得点と被侵害得点をクロス集計し、学級生活満足群・非承認群・侵害行為認知群・学級生活不満足群分類される。

 

学校生活意欲が高く、また学級満足度尺度は「学校生活満足群」に属しています。

ただ、「あなたが自分の思ったことや考えたことを発表したとき、クラスの人たちは冷やかしたりしないで、しっかり聞いてくれると思いますか」という問いに、唯一「まったく思わない」と答えています。この設問を含め、A児の中では承認得点が低く、確かな学力に裏打ちされた自己肯定感を高めていくことが課題であると考えます。


(2)転機Turning Point


A児の転機は、5年生2学期末の漢字50問テストで70 点をとった時であったと捉えています。

これを「大転機」だとすれば、それにつながる「小転機」は、毎週の漢字小テストにあったと考えられます。


年度はじめ、漢字学習のパターン化を図りました。

月曜日は漢字ドリル右ページの新出漢字を読んでなぞり書きを3回、火曜日は左ページの漢字に読み仮名をつけてなぞり書き1回、水曜日は左ページの写し書き2回、木曜日は右ページの用法・熟語を漢字ノートに視写、金~日曜日は左ページの漢字をノートに適宜練習し、翌週月曜日に練習したページの小テストを行います。

 

頑張りが即点数に表れるこの学習パターンは、A児のやる気を刺激しました。

 

振り返って思うに、週末の「適宜」練習が成功のカギだったようです。

10問の漢字小テストの正答数が、3問から5問、7問へと増えていきます。「やればできる」。練習の質や量とテスト結果の関係から、A児は努力することの意味を感じ取りました。

 

10月実施のQ-Uで、「しっかり聞いてくれると思いますか」は4段階評価の1から4に好転しました。

ちょっとした自信が、クラスでの居心地を押し上げたのです。

それが、2学期末の漢字50 問テスト70点につながっています(ちなみに、1学期末は46点でした)。

70点はクラスの下位であることに違いはありませんでしたが、本人の喜び様は今も忘れられません。

 

さらに、それを見た母親がベタ褒めしてくれました。

母親の言葉がA児の自己肯定感・自己効力感をどれほど高めたか計り知れません。

 

漢字50問テストのその後は、86点(5年3学期)、84点(6年1学期)、96点(6年2学期)、94点(6年3学期)となっています。

 

国語科全体の成績も毎学期上昇を重ね、6年時の通年平均点は89点を記録しました。


(3)教訓Teaching Point


A児のケースは、「やる気」につながるいくつかの示唆を与えてくれています。

 

まず、目標が具体的で手が届く位置にあること(スモールステップ化)

 

そして、目標達成のためのプロセス(学習過程)を明確に示してやること。その際、自由裁量の余地を残しておくことが、その後の「自立」を助けるようです。

 

最後に、成功体験を重ねさせること


高学年になると、褒めることは実に難しいです。

本人が達成感を持ったタイミングでの褒め言葉でないと、決して心に響きません。漢字50問テストで70点をとったタイミングでの母親の言葉がいい例です。


明るく元気に振る舞っている子でも、点数への引っ掛かりは潜在的にあります。

確かな学力に裏打ちされた自己肯定感は、どの子にとってもエラくなるための必要条件なのです。

 

 

(200投稿)トップランナーとして生きる

本日、投稿記事が200の節目を迎えました。

 

 

トップランナー」というと、先頭を走っている「ナンバーワン」を想うかもしれません。

 

 

私は、若いころから「職人」教師をめざしていたように想います。できれば一流の…。

まさに、「オンリーワン」にして「ナンバーワン」の「トップランナー」をめざしていたわけです。

 

「職人」さんが腕を磨くように、私は足繁く学びの場に通いました。書籍への投資も相当額になるでしょう。

ところが職場は「出る杭は打つ」という体質が強く、新たな挑戦をしようとするとしばしば「統制を乱す」と先輩のお叱りを受けました。

 

 

9年のあいだ授業から離れ、再び教室に戻ったときは40代なかばになっていました。職業人生においては「円熟期」という表現もありますが、明らかに「下降期」に入ります。同年代の多くが管理職になっていくなかで、なお「職人」であり続けることにこだわっていました。

 

ただ、「トップランナー」への思いは少し変化していました。

それは、年齢によるものもあるでしょうが、 実はとっくの昔から気づいていたことでもありました。

 

学校という職場には、ぶっちぎりの「トップランナー」なんか要らないのです。

一人の教師がその学年の子どもたちの入学から卒業までを担任するということは、まずありません。ということは、たとえば中学年で優れた指導をしたとしても、高学年で担任する教師がダメなら子どもはダメなまま卒業です。また、高学年で優れた指導をしようとしても、中学年までの素地がなければ思うような成果は得られません。何度か苦い思いをしたこともありますし、これは自明の理。

つまり、自分一人が「トップランナー」でも前後左右の教師がダメなら、そこの教育は結果的にダメなのです。

 

学校現場の「トップランナー」は、「職人集団」でなければ意味がないのです。

冒頭の話で言うなら、「ナンバーワン」ではなくて「先頭集団」のイメージです。

 

近ごろ「チーム○○小学校」などという言葉を耳にすることがあります。これは「職人集団」としての「トップランナー」のイメージに近いニュアンスがあります。しかし、校長が「チーム○○小学校」の旗を振っているところは、しばしば怪しいものを感じます。

ハイレベルな「職人集団」は職人たちの「切磋琢磨」(月並みな言葉ですが)によってのみ達成され維持されるのです。校長は掲げた旗をリーダーに託し、見守り支えるのが仕事と思うのですがね。

 

トップランナー集団の一員としてあり続けることは、性別や年齢のより諸相あるでしょうが、やはり大変なことです。なんと言っても50歳を過ぎると体力も落ちますし、加えて知力や気力まで落ちると集団のお荷物になりかねません。

 

私は、1つ年上の管理職と同僚が定年を迎えたときに一緒に退職しました。「お荷物」にはなってなかったと思いますが、何となく「退き時」かなあと思いました。

 

顧みて、「一流の職人」には到底及びませんでした。それでも、最後まで充実した職業人生だったと思っています。

 

初任からの15年間は、ひたすら走り続けた時期でした。挑戦することで自分の器が広がり、深まりました。

いま朝食用に作っているパン作りで言えば、生地を練っていた時期になります。

 

授業を離れた9年間は、自らを客体化して整理し、新たな学びを積み重ねた時期でした。結果的に、この時間が「熟成」につながったと感じます。

パン作りで言えば、生地を寝かせて発酵させる時間です。

 

後期の13年間は、収穫の時期でした。もちろん前期の15年にもいくつもの実りはありました。しかし、同じ果実でも後期のは「熟成果実」です。

パン作りで言えば、焼き上げる時間です。この例えでは、「後期」がなければパンにはならなかったことになります。これはいかにも言い過ぎかもしれませんが、実感としてはそれに近いものがあります。

 

さて、「後期」の時間というのは、40代後半以降の時間です。それは、「職業人生においては『円熟期』という表現もありますが、明らかに『下降期』に入」ると、先だって書きました。

この「下降期」にあってなお「トップランナー集団」の一員でありつづけ、結果として「熟成果実」を手にするカギは何でしょう。

 

テレビCMなら「個人の感想です」とテロップが出そうなレベルの個人的見解ですが…

 

■挑戦し続けること

「職人」のワザにゴールなどありません。最後の最後まで新たな挑戦を続けること、そのモチベーションが、集団のなかで生きる「必要条件」のように思います。

 

■経験に固執しないこと

集団のリーダーは、おそらく30代後半から40代の教員でしょう。「下降期」にある者は、年長者ということになります。

年長者には、より多くの経験の積み重ねがあります。経験を金科玉条のごとく振りかざす年長者は、若い人たちにとってはうっとうしいものです。不易の部分もありますが、教育のあり方だって時代とともに変わるもの。経験に固執しないで高次な視点を持ちたいです。

経験に固執しない生き方は、新たな挑戦の扉を開けます。

 

■惜しみなく伝えること

年長者は、経験の積み重ねの分だけたくさんの「財産」を持っています。

固執しないことと一見矛盾するようですが、「財産」には不易の目録が含まれているはずです。そうした財産を惜しみなく後輩に伝えたいです。若い人が力をつければ、集団の質が向上します。単元まるごとの自主公開を試みたのもその一つでした。

 

 

ところで、気になっていることがあります。

 

というのは、若い人たちが挑戦したがらない傾向が強まっていることです。

これは社会のあり方が失敗に寛容でなくなっていることや、教員管理の強化の影響が大きいのだと思います。

しかし、若い人たちの「保守化」は、教育活動の先細りにつながりかねません。

ここは年長者の踏ん張りどころだと、警鐘を鳴らすとともに強く訴えておきたいと思います。

 

 

 

基礎・基本と「応用」 ~アクティブ・ラーニング考~ ②

基礎的・基本的な知識及び技能の習得」に著しい課題が存する場合、「主体的・対話的で深い学び」の扱いはどうすればいいのでしょう。

 

今回は、「基礎・基本」と「応用」の扱いについて考えます。

 

A 「基礎・基本」ができれば「応用」に進む

もっともありがちな選択肢です。

一見、至極常識的な対応に思えます。

実際問題として、計算の基礎ができていない子に文章題の応用問題は解けません。

文章読解の基礎ができていない子に筆者の文章を評価することなどできません。

だから、まずは「基礎・基本」の定着……。

 

 

ところで、「基礎・基本」ができるようになれば「応用」に進むというもっともな選択に、「応用」がくる日はあるのでしょうか。

すべての子が「基礎・基本」が満足できるレベルに到達する学級ってどれほどあるのでしょう。

この選択肢をとった場合、「応用」に進むことはほとんど望めません。

 

ここで、悩ましい問題に直面します。

このままでは、「応用」が未習に終わってしまいます。

「応用」が「学習内容」に関するものの場合、未習はいかにもまずい。多くの教師は、理解できない子が相当数いようとも一応教えた体を繕います。

「応用」が「学習方法」に関するものの場合、管見によればスルーされていることが結構あったように思います。

 

主体的・対話的で深い学び」は、「教育方法」に属する「応用」です。

 

主体的・対話的で深い学び」は、仕方なくスルーされていくことも致し方ないのでしょうか。

 

 

B とりあえず「応用」に取り組む

学習指導要領で「応用」を扱えと書いていれば、原則として扱わなければなりません。だから子どもの実態とかはともかくとして、とりあえず取り組むという選択肢です。

 

やれと書いてあるんだからとりあえず取り組むというのは、良く言えば「アクティブ・ティーチング」と言えそうです。しかし冷静に考えれば、それは「砂上の楼閣」でしかありません。

学級の上位層の子たちには学びであっても、下位僧の子たちは完全な「お客さん」になってしまう恐れがあります。つまり、学級集団としての学びが成立しません。 

 

「学習方法」に属する「応用」が強く求められるようになったのは、2002年に始まった総合学習(総合的な学習の時間)からだと思います。そして、PISA学力が重要視されるようになって、その占める位置は一段と大きくなりました。

それらはすべて、「アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)」を形成する具体です。

 

Bの選択肢が有効なのは、「基礎・基本」が概ね満足できるレベルに達しているクラスに限られます。

「基礎・基本」に課題をもったままのクラスでは、「○○もどき」「なんちゃって○○」が蔓延しました。

 

「なんちゃって」が問題なのは、指導している教師が「なんちゃって」を自覚していないことです。

「なんちゃって」を「真っ当」と思い違いした教師のクラスでは、「基礎・基本」も「応用」も低レベルなまま……そんなクラスをいくつも目にしました。

 

「なんちゃってアクティブ・ラーニング」が大きな顔をして闊歩するのだけは避けたいものです。

 

 

C Aでもない、Bでもない、第3の道

Aでもない、Bでもない、第3の道=Cって何でしょう。

基礎的・基本的な知識及び技能の習得」して、「応用」に取り組むという学習指導要領が求める選択肢です。

とは言え、「基礎・基本」に著しい課題が存するわけですから、それなりの「戦略」と「戦術」が要ります。文科省用語ではこれを「カリキュラム・マネジメント」と言います。

 

第3の道は、 「基礎・基本」の定着を図りつつ、同時に「応用」にも取り組みます。

「学び」というのは、ゼロか100かの世界ではありません。らせん階段を行きつ戻りつしながら、少しずつ高度を上げていくものです。階段1段の高さを低くすれば、上昇はそれだけスムーズになります。

「カリキュラム・マネジメント」のキーワードは2つ。

スモール・ステップスパイラル

 

スモール・ステップ

「学習内容」であれ、「学習方法」であれ、その「応用」力の卒業時に付けておきたい到達点を定めます。(大抵は学習指導要領にあります)

そこに至るステップを細分化し、各学年・各単元の指導計画に落とし込みます。

そして、その学年のその時点で持てる力を使って取り組むことが可能なレベルの「応用」を課すのです。

指導者が1つ前のステップ、1つ先のステップ、さらには卒業時の到達点を認識しながら「今」を指導していることが重要なのです。

 

スパイラル

子どもの学びは、決して直線的なものではありません。学びが行きつ戻りつを繰り返しながら螺旋状に進むのであれば、指導もまたそうでなければなりません。

単に何年生だから、何々単元だからというのではなく、子どものその時点での手持ちの力と相談しつつ、1つ先のステップをめざす設定を繰り返します。

 

スモール・ステップスパイラルが、1担任の取り組みで終わるなら、長い目で見ればそれはほとんど意味がありません。「カリキュラム・マネジメント」は、教師集団が共有し、実践し、交流することで初めて成立します。

 

私にはもう実践の機会はありませんが、どうか、「アクティブ・ラーニング」のいいスタートが切れますように。

基礎・基本と「応用」 ~アクティブ・ラーニング考~ ①

言葉だけが一人歩きしていた「アクティブ・ラーニング」は、学習指導要領(平成29年3月告示)で「主体的・対話的で深い学び」として学校現場に下りてきました。

 

小学校学習指導要領(平成 29 年告示)
平成 29 年 3 月 告示


第1章 総則


第3 教育課程の実施と学習評価


1 主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善


 各教科等の指導に当たっては,次の事項に配慮するものとする。
⑴ 第1の3の⑴から⑶までに示すことが偏りなく実現されるよう,単元や題材など内容や時間のまとまりを見通しながら,児童の主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を行うこと。
 特に,各教科等において身に付けた知識及び技能を活用したり,思考力,判断力,表現力等や学びに向かう力,人間性等を発揮させたりして,学習の対象となる物事を捉え思考することにより,各教科等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方(以下「見方・考え方」という。)が鍛えられていくことに留意し,児童が各教科等の特質に応じた見方・考え方を働かせながら,知識を相互に関連付けてより深く理解したり,情報を精査して考えを形成したり,問題を見いだして解決策を考えたり,思いや考えを基に創造したりすることに向かう過程を重視した学習の充実を図ること。

 

 

小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説
平成 29 年7月

 
総則編


第3章 教育課程の編成及び実施


第3節 教育課程の実施と学習評価


1 主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善
(1) 主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善(第1章第3の1の (1))

 

(前略)

 児童に求められる資質・能力を育むために,児童や学校の実態,指導の内容に応じ,「主体的な学び」,「対話的な学び」,「深い学び」の視点から授業改善を図ることが重要である。

 主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善の具体的な内容については,中央教育審議会答申において,以下の三つの視点に立った授業改善を行うことが示されている。教科等の特質を踏まえ,具体的な学習内容や児童の状況等に応じて,これらの視点の具体的な内容を手掛かりに,質の高い学びを実現し,学習内容を深く理解し,資質・能力を身に付け,生涯にわたって能動的(アクティブ)に学び続けるようにすることが求められている。
① 学ぶことに興味や関心を持ち,自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら,見通しをもって粘り強く取り組み,自己の学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」が実現できているかという視点。
② 子供同士の協働,教職員や地域の人との対話,先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ,自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているかという視点。
③ 習得・活用・探究という学びの過程の中で,各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら,知識を相互に関連付けてより深く理解したり,情報を精査して考えを形成したり,問題を見いだして解決策を考えたり,思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているかという視点。

(後略)

 

理念としての「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」は理解できます。

 

平成29年3月告示の学習指導要領は、今年度から完全実施されています。

そのスタート時にコロナ禍休校があって、移行期間の先行実践を踏まえても、取り組みはまだこれからというところでしょう。

 

 

ところで、前出「解説」の「後略」部分にこんな一節があります。

 

単元や題材など内容や時間のまとまりを見通した学習を行うに当たり基礎となるような,基礎的・基本的な知識及び技能の習得に課題が見られる場合には,それを身に付けさせるために,児童の学びを深めたり主体性を引き出したりといった工夫を重ねながら,確実な習得を図ることが求められる

 

たとえば算数科においては、「数学的な見方・考え方を働かせながら,日常の事象を数理的に捉え,算数の問題を見いだし,問題を自立的,協働的に解決し,学習の過程を振り返り,概念を形成するなどの学習の充実を図ること」を「主体的・対話的で深い学び」として具体例示しています。

こうした高次な「単元や題材など内容や時間のまとまりを見通した学習」を行うには、その基礎となる「基礎的・基本的な知識及び技能」が必要です。

その「基礎的・基本的な知識及び技能の習得に課題が見られる場合には」、「確実な習得を図ることが求められる」と、至極当たり前のことをさらりと述べているわけです。

 

ここで、学校現場が抱える古くて新しい問題に遭遇します。

それは、「基礎・基本」と「応用」の悩ましい関係です。

「主体的・対話的で深い学び」は間違いなく「応用」の範疇です。

基礎的・基本的な知識及び技能の習得」に著しい課題が存する場合、「主体的・対話的で深い学び」の扱いはどうすればいいのでしょう。

 

次回、「基礎・基本」と「応用」の扱いについて考えます。

小学校高学年からの教科担任制導入へ

先ごろ、中央教育審議会中教審)の時代の初等中等教育の在り方特別部会が、「答申案作成に向けた骨子(案)」をまとめました。

 

その中に、「2022年度より、小学校高学年に教科担任制を導入する。対象とすべき教科は外国語、理科、算数」といったことが書かれています。

 

今後、具体的な内容の検討が加えられ、今年度中に「答申」が出される予定だということです。

細部はともかくも、「2022年度から小学校高学年に教科担任制を導入」という点については「決定」と言っていいでしょう。

 

令和2年8月 20 日 第 12 回新しい時代の初等中等教育の在り方特別部会


資 料 3

中教審答申案の作成に向けた骨子(案)
誰一人取り残すことのない「令和の日本型学校教育」の構築を目指して
~多様な子供たちの資質・能力を育成するための,個別最適な学びと,社会とつながる協働的な学びの実現~

 

Ⅱ.各論
2.9年間を見通した新時代の義務教育の在り方について

(3)義務教育9年間を見通した教科担任制の在り方

 

①小学校高学年からの教科担任制の導入

 

○ 義務教育の目的・目標を踏まえ,育成を目指す資質・能力を確実に育むためには,各教科等の系統性を踏まえ,学年間・学校間の接続を円滑なものとし,義務教育9年間を見通した教育課程を支える指導体制の構築が必要である。

 

○ 児童生徒の発達段階を踏まえれば,児童の心身が発達し一般的に抽象的な思考力が高まり,これに対応して各教科等の学習が高度化する小学校高学年では,日常の事象や身近な事柄に基礎を置いて学習を進める小学校における学習指導の特長を生かしながら,中学校以上のより抽象的で高度な学習を見通し,系統的な指導による中学校への円滑な接続を図ることが求められる。

 

○ また,多様な子供たち一人一人の資質・能力の育成に向けた個別最適な学びを実現する観点からは,GIGA スクール構想による「1人1台端末」環境下での ICT の効果的な活用と相俟って,個々の児童生徒の学習状況を把握し,教科指導の専門性を持った教師によるきめ細かな指導を可能とする教科担任制の導入により,授業の質の向上を図り,児童一人一人の学習内容の理解度・定着度の向上と学びの高度化を図ることが重要である。

 

○ さらに,小学校における教科担任制の導入は,教師の持ちコマ数の軽減や授業準備の効率化により,学校教育活動の充実や教師の負担軽減に資するものである。

 

○ これらのことを踏まえ,小学校高学年からの教科担任制を(令和4(2022)年度を目途に)本格的に導入する必要がある

 

○ 導入に当たっては,地域の実情に応じて多様な実践が行われている現状も考慮しつつ,専科指導の対象とすべき教科や学校規模(学級数)・地理的条件に着目した教育環境の違いを踏まえ,義務教育9年間を見通した効果的な指導体制の在り方を検討する必要がある。また,義務教育学校化や広域・複数校による小中一貫教育の導入を含めた小中学校の連携を促進する必要がある。

 

○ 専科指導の対象とすべき教科については,系統的な学びの重要性,教科指導の専門性といった観点から検討する必要があるが,グローバル化の進展や STEAM 教育の充実・強化に向けた社会的要請の高まりを踏まえれば,例えば,外国語・理科・算数を対象とすることが考えられる。当該教科の専科指導の専門性の担保方策や専門性を有する人材確保方策と併せ,教科担任制の導入に必要な教員定数の確保に向けた検討の具体化を図る必要がある。

 

制度が導入されるときには、当然のことながらメリットが強調されます。

今回の場合、「教科指導の専門性を持った教師によるきめ細かな指導を可能とする」「(教科担任制である)中学校への円滑な接続」「教師の持ちコマ数の軽減や授業準備の効率化により,学校教育活動の充実や教師の負担軽減に資するもの」といった点がそれにあたります。

制度が設計通りに運用されれば、基本的にはそうだと私も思います。

また、教科担任制になることで複数の教師が一人の子どもと関わるようになり、担任とうまくいかない子が救われるということをメリットとしてあげる人もいます。しかしこれは結果の問題であって、制度導入の目的にはなりません。

 

ところで、制度が設計通りに運用されるには、担保されねばならない事柄があります。

効果的な指導体制の在り方を検討する」「小中学校の連携を促進する」「専科指導の専門性の担保方策や専門性を有する人材確保」「教科担任制の導入に必要な教員定数の確保」がそれです。

 

とりわけ「人材確保」「教員定数の確保」は、予算措置を伴います。これまでの歴史では、文科省の計画に財務省が予算措置をしないことが多々ありました。その結果、計画が立ち消えになるのではなく、「教師個々の努力」と「学校現場の創意工夫」に委ねられることも多くありました。

 

「学校現場の創意工夫」は、すでに行われている事例があります。

具体的には担任間での担当教科の交換方式が多いようです。

これによって、「教科指導の専門性を持った教師によるきめ細かな指導を可能とする」という点については、教師個々人の力量に依拠しますがいくらか担保されることもあるでしょう。

しかし、「教師の負担軽減に資するもの」ではまったくありません。担当教科の交換は私も経験がありますが、指導・評価対象児童の増加、担任との連絡調整など逆に負担が増します。

「子どものために」という言葉に弱い現場教師のお人好しに支えられる制度など、まともな制度とは言えません。

 

教科担任制の対象となる教科は、「外国語・理科・算数」が例示されています。例示とは言え単なる「例」ではありません。この3教科を念頭に制度設計しているものと考えられます。

外国語については、ALTの方に入っていただいた経験から、専門家の有用性を十分に認識しています。

理科についても、かつて元高校の理科教師だった人に支援を受けた経験があります。指導の主は担任でしたが、実験準備や実際の指導場面で専門性にずいぶん助けていただきました。これも有用性を認めます。

算数については、TTによる支援程度の経験しかありません。

 

算数を教科担任制にすることについては賛否相半ばすると思います。

教科の「専門性」において、専科教員とすべきかどうか。私個人としては、これについては否定的です。

それよりも大きな問題は、小学校教育に何を求めるかという問題です。

 

昔から「読み書きそろばん」と言いますが、「読む」「書く」「計算」は小学校教育のコア部分です。授業時数も多く、また家庭学習の課題も「読み」「書き」「計算」にかかわるものが大半です。

小学校では、高学年も例外ではなく、子どもの学習習慣(家庭学習も含めて)や生活習慣に関する指導を担任がになっています。「読み書き計算」の指導のなかで子どもの学力状況や学習への向き合い方をつかんでいます。「読み書き計算」の課題の総量を調整することで、家庭学習の定着をはかっています。その意味では国語と算数は外せないのです。

 

4半世紀も前に訪れたドイツの小学校では、担任の先生は午前中の授業だけを担当していました。子どもの午後の時間は親や地域が受け持ちます。生徒指導的なことも担当しません。

そんな学校なら「専門性」だけで論じていいのですが。

 

文科省が2018年度に全国の公立小学校に行った調査では、6年生で教科担任を置いているのは音楽で55・6%、理科で47・8%、国語は3・5%、算数は7・2%、外国語活動は19・3%でした。

音楽や理科の多さは、まさに「専門性」ゆえでしょう。

外国語は正式に教科として指導する前の調査ですから、今後は様子が違ってくると思われます。

案の定、国語と算数は低いです。

「専門性」だけで論じるならば、私はむしろ国語について検討してもらいたいです。国語力こそが学力の根幹であるにもかかわらず、教師の国語指導力があまりに弱いのです。

 

さて、2022年度まで1年半、走り出した車はどこへ 向かうのでしょう。注意深く見守りたいと思います。

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑮

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑪から紹介しています講演の続きです。 

 

 

私の被爆体験~広島からのメッセージ~


                       森本範雄さん

1.被爆前の日常生活や当時の模様、当時の直前の様子

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑪

 

2.爆発の状況、周囲の状況、負傷者の状態等

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑫

 

3 収容所内での生活

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑬ 

 

 4 帰郷後の生活について


 やっと戦争が終わった。私の郷里の私のおじさんたちが、私たち家族を捜しに広島へやって来た。そして、バラバラになっていたのを探し出し、連れて帰ってくれました。私の郷里は、奈良県橿原市なんです。今の県立医大病院で治療してもらうことになりました。大きな病院です。薬はたっぷりある。十分な手当を受けることができました。
 私の右手、その時にはもう完全に肉が崩れて、指がくっついて団子になってた。痛い思いして、1本ずつ分けてもらったんです。治ったときには、普通の人に比べて多少指が短く見える。指が短くなったんじゃないんです。手の甲の肉が崩れて盛り上がったために、指の股が狭まって短く見えるだけなんです。何でもできます。どんな力仕事にでも使えます。
 あのウジ虫だらけの顔、厚さ1センチぐらいの分厚いかさぶた、ベトーッとお面かヘルメットかぶったように全体をおおってた。少しずつ取れ始めたんです。下から出てきたのは、原爆の火傷独特のケロイドという症状です。ものすごいでこぼこなんです。谷間にたまったあかをゴシゴシこすっても取れかねるようなでこぼこです。そのものすごいでこぼこも、何年かするうちに私の手からも顔からも消えてしまった。どこでどんな整形手術をしたかと聞かれる。してません。そういうことができるような生活の余裕はなかった。放ったらかしやったんです。これは私の勝手な素人判断ですけど、被爆間なく広島を離れ、遠いところの大きな病院で十分な治療を受けることができたおかげだろうと思います。
 けど、もし間違ってこういう問題に襲われたり、大きな核の事故が起きた場合、今度は私みたいにいろんな幸運が重なって生き延びられるという保障は、どこにもありません。どれ1つなくっても今生きていられないだろうと思われるような幸運が、私にはいくつもあったんです。こんな幸運はだれの上にもおとずれてくれるとは限りません。爆弾に至っては、広島型の何十倍何百倍という威力の強い爆弾、何万発もできている。もしこういうものが使われ始めたら、もう逃げ回って生き延びるどころではない。あっという間に人類は死滅してしまいます。もうだれもそんな目にあってもらいたくない。そういうものを使う戦争を絶対に起こしてはならない。けど、それを防ぐ力、私には何にもありません。私は立派な政治家でもなければ、えらい学者でも大財閥でもない。ただの普通の町のオジサンの一人です。でもそういう怖いこと、十分に体験して知ってます。そういう恐ろしいものがあるということはお伝えすることができる。そう思って約25年ぐらい前から、広島で、おとずれてくださる若いみなさんに、たいへんまずい話ですけどさせてもらってます。 〈了〉

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑭

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑪から紹介しています講演の続きです。 

 

 

 

私の被爆体験~広島からのメッセージ~


                       森本範雄さん

1.被爆前の日常生活や当時の模様、当時の直前の様子

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑪

2.爆発の状況、周囲の状況、負傷者の状態等

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑫

3 収容所内での生活


(1) 生き地獄のような生活

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑬ 

 

 (2) 尊い人間愛に触れ、生きる希望を持てたこと


 一人の兵隊さんがやって来た。「何だきさま、騒々しいヤツだ。静かにしろ、うるさい。」 「うるさいどころでない。耳の中にウジ虫わいてきた。とってほしいんです。」「何を言っている。おれにウジ虫なんかとれだとお。道具もねえ、灯りもねえ。どうしてそんなもんとれるんだ。冗談言うんじゃねえや。」チャキチャキの江戸っ子弁の威勢のいい兵隊さん、てんで私のいうことを受け付けてくれない。が、実はその兵隊さん、口は悪いが気のいい兵隊さんだった。さんざん悪口きいときながらポケットからマッチの棒を取り出した。薬の付いた丸い方を耳の中に入れて、私が痛がるのもお構いなしにグリグリグリグリかき回した。マッチ棒の先にくっついた小さなウジ虫を耳の外に引っ張り出して捨ててくださる。根気よく長い時間かかって繰り返し繰り返し取ってくださった。耳の中の音がなくなった。「これで、ウジ虫どもに脳みそ食い荒らされて死なずに済んだ。また生き延びることができる。」そう思って、その口の悪い兵隊さんに大変感謝しました。原爆そのものももちろん怖かった。けど私にとって、耳の中にわいたウジ虫は同じぐらいに怖い存在でした。

 

(3) 放射能の為に突然亡くなった人を見て、放射能の怖さに震えたこと


 私のすぐ隣へ5人連れの家族がやってきたんです。4人までは私と同じように大やけど、大けがをして動けない。娘さんが一人いた。たぶん私と同い年の17、8才ぐらいだったと思います。娘さんはどこもケガしてない。元気なんです。ですから一人で家族4人の看病をする。隣で独りぼっちで私が寝込んでいたので私の看病もしてくださる。私の飲み水をくみに行ったり、食べ物を探しに行ったり、しまいにはあの血とウミとウジ虫でドロンドロンのきたない身の回りの世話まで全部、いやな顔一つせずにしてくださった。ありがたかった。ありがたいと同時に、うらやましかった。私も早くよくなって、あの娘さんのように自由にどこへでも動き回れる体に早く戻りたいって、あまりはっきり見えない目で娘さんのことをうらやましく眺めていたんです。
 ある朝、例によって食事の支度かなんかで出かけていった娘さん、帰ってこない。お昼頃になってよその人に背負われて帰ってきた。私の横へ下ろされた。聞いてみると、朝からトイレの前で倒れ込んでいたそうです。その時分、トイレの前であろうと玄関の前であろうと、人が倒れているの何の不思議もない。歩いていて突然倒れてそのまま亡くなる人、いくらでもあったんです。誰も気にしません。けど娘さんは、「誰か連れて帰ってほしい。」そう言ったのを聞きつけて、その人は連れてきてくださったのです。
 私、単純に考えた。いくら元気のいい娘さんでも、家族4人の看病、おまけに見ず知らずの私の看病、身の回りの世話で気疲れが出たに違いない。簡単にそう思ってました。連れて帰られた娘さん、年頃の娘さんです、服装の乱れたの気にする。髪の毛もくしゃくしゃになってたんです。整えようとしてくしをあてた。ところが、そのくしを引いたら、その部分がくしにくっついたまま髪の毛が抜けてしまったんです。私、まぶたがつぶれていてほとんど視力がありませんでした。けど、同じ場所に横たわっていた目の前のことなんです。それが見えた。ハッとしたんです。あるうわさが流れていた。「今度の爆弾には得体の知れない毒が入っている。その毒に当たった人は歯茎から血が出る、体中に紫色の斑点ができ、髪の毛が抜けてしまう。そうなったらもうその人はおしまいだ。」こういううわさは寝っ転がっている私ですら聞いていた。ひょっとしたらと思ったけど、聞くのが怖い。その通りだったらどうしよう、そう思うと怖くて聞けません。私は見て見ぬふりをしていた。けど、娘さんはすでにご存知だった。今すきかけて抜けた髪の毛の付いたくしを横たわったままでじいっと見つめながら、独り言を言い始めたんです。「どうやらだめらしい。私きっと助からないだろう。これで何もかもおしまいになった。」そしてその後、私に聞こえない小さな声でブツブツブツブツ切れ目のない独り言をつぶやき続ける。この独り言を聞かされたときはつらかった。あれだけいやな顔をせずきたない身の回りの世話までしてくださった人、そういう人が苦しんでいるのを見て私、何にもしてあげることができない。「がんばりなさいよ。力落としたらあかんで。」そんな簡単なお世辞ぐらいしか言ってあげられない自分が、つくづくもどかしかった。なさけなかった。
 夕方、娘さん、苦しみながら亡くなったんです。家族の人に聞いてみると、爆心地から1000mぐらいのところに家があって、中にいたために押しつぶされて下敷きになった。けど、娘さんだけ奇跡的にどこにもケガを負わずに外へはい出すことができたんだそうです。ケガせずはい出すことができたけど、放射能はたっぷりと浴びていた。
 爆心地から1000m付近に降り注いだ放射線、約450ラドン。450ラドン放射線に当たった場合、生存率は50%なんだそうです。半分の人はすぐにその場で亡くなってしまう。それだけの放射能を娘さんは浴びていた。
 すぐには出ないんです。何日かたってその影響が現れ、朝まで元気で働いていたのに、夕方にはもう苦しみながら亡くなってしまうんです。
 後に、今度の爆弾にはただの毒と違う、放射能というえげつないものが含まれていたということを聞かされて、ものすごい恐怖感に襲われたのです。じゃあ私もその放射能を浴びている、いつかはあの娘さんのように突然ばったり倒れて、苦しみながら死なねばならんのか。そう思うと、言うに言われぬものすごい恐怖を覚えました。
 私、まだ現在仕事もって働いています。山登りやオペラなどの趣味ももっています。仕事とかそういうたくさんの趣味にかまけて、1年365日、朝から晩まで思い出すわけではありませんけど、何かの時にはふっとあの時の苦しそうな娘さんのことを思い出すんです。放射能、何年たっても何十年たってもわざわいをもたらす、恐ろしいものなんです。決してみなさん、放射能のことを甘く、軽く考えてはなりません。このくらい恐ろしいものはない、と私は思います。


(4) 収容所内で一部の者しか知っていない悲惨な事実


 ある時、一人の兵隊さんが話して教えてくれた。8月6日、命令でもう回復の見込みのなくなった大けがした人たちばかりを船に乗せて、広島湾海上約4キロ、似島というところへ運んだ。無人島ではありません。そこへ運ばれて助かった人もたくさんいます。けど、その兵隊さんはわざわざ何もないところまで運んで、置き去りにして帰ったんだそうです。「オレな、考えてみると殺生なことをしたと思う。あれだけ大けがした人々、何の施設もないところに置き去りにした。どう考えてみても、長生きはできひん。かわいそうなことをした。そのオレが運んだ連中、みんな体のどこかに荷物の荷札がくっ付けられていた。なぜお前さん一人だけここへ残ったのか知らんけど、よくまあオレの船に積み込まれなくてよかったな。」こんなことを教えてくれたんです。
 戦後5、6年たったとき、その似島で、それこそ人気も何にもない地面からたくさんの人骨が出てきたんです。私の友だちは現地を見に行ったんです。帰ってきて教えてくれました。何体あるか分からないバラバラになった白骨です。その白骨の中やら周りには、その人たちの持ち物やら着てた物やら、ぐっちゃぐちゃになって残っている。そのぐっちゃぐちゃの中に、もう古くなってぼろぼろになった荷物の荷札、まだからまっているのが見えた。あの時、私の周りに倒れ込んでた人々なんです。同じようなこと聞かれて、同じ荷物の荷札付けられた人々、私が小便する場所から長い時間かけてうろうろしている間に、全部船に積み込まれ、運ばれ、捨てられて、結局だれも助けに来ない。全員野垂れ死にして、7年の間にバラバラの白骨になってしまってた。もしあの時私、目がつぶれたし立ち歩くのじゃまくさい、悪いけど倒れている人々の頭の上からション便ひっかけてでも、その場所でじっとしていたら、間違いなくその船で一緒に積み込まれ、運ばれ、野垂れ死にして、バラバラの白骨の仲間入りしてたに違いない。また、変なことで命拾いすることができました。

                          (つづく)