教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

文章の要旨をとらえる(5年 国語)②

「見立てる」の要旨をとらえる

 

練習文「見立てる」の要旨をとらえる授業です。

時数配当から見れば、20分程度の設定と思われます。

 

光村教科書は、以前から練習文の上部に「初め」「中」「終わり」という帯を付けています。

三段構成を可視化(見える化)し、意識させてきました。

そして、各部分の役割を明らかにした上で、3つの部分に分けるスキルを示してきました。

つまり、「問題提示(問い)」の文が出てくる段落が「はじめ」、「問い」に対する「答え(まとめ)」が書かれている段落が「おわり」、それ以外の段落が「なか」という分け方です。なお、事例の数により「なか」はさらに細分化されることがありますが、文章全体の構成はあくまでも3つの部分です。

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光村の何よりの功績は、3年生の段階からこうした学習を取り入れたことで、段落分けの迷走授業がなくなったことです。(もっとも教科書の意図を理解していない教師の授業は保証の限りではありませんが)

 

練習文「見立てる」には、三段構成の帯が付いています。

全文の形式段落は6つあって、①段落が「初め」、⑥段落が「終わり」です。

 

①段落

 わたしたちは、知らず知らずのうちに、「見立てる」という行為をしている。ここでいう「見立てる」とは、あるものを別のものとして見るということであるたがいに関係のない二つを結び付けるとき、そこには想像力が働いている

《要点》

「見立てる」とは、あるものを別のものとして見るということであり、そこには想像力が働いている。

 

②段落~⑤段落

あや取りで作った形とその名前を事例に取り上げている

 

⑥段落

 見立てるという行為は、想像力に支えられている。そして、想像力は、わたしたちを育んでくれた自然や生活と深く関わっているのだ

《要点》

見立てるという行為は想像力に支えられていて、わたしたちを育んでくれた自然や生活と深く関わっているのだ。

 

脚注に「筆者の考えがまとめられているのは、どの段落だろう」とあります。

考えを述べる=断定調の文末表現に着目します。上の文中に下線を付したのがそれです。

ここで、この文章が「はじめ」と「おわり」にまとめがある「両括型」であることを押さえます。子どもたちはこのタイプの文章にはあまり出会っていないと思います。ここでの押さえが、次の「言葉の意味が分かること」の伏線になります。

「両括型」の文章の要旨をとらえるには、「はじめ」と「おわり」の要点がベースになります。

 

同じく脚注に「ほとんどの段落で、くり返し使われている言葉を見つけよう」とあります。

くり返し使われている言葉=キーワードです。キーワードは要旨をとらえる時のカギの1つです。

ここでは「見立てる」という言葉がキーワードです。さらに題名も「見立てる」ですから、これはもう絶対に外してはならない言葉です。

 

要旨にまとめる

「見立てる」とは、あるものを別のものとして見るということであり、そこには想像力が働いている。

見立てるという行為は想像力に支えられていて、わたしたちを育んでくれた自然や生活と深く関わっているのだ。

  ↓

「見立てる」とは、あるものを別のものとして見ることであり、そこには想像力が働いている。そして、想像力は、わたしたちを育んでくれた自然や生活と深く関わっているのだ

細部はともかく、およそこんな感じでしょうか。

文章の要旨をとらえる(5年 国語)① 

久しぶりに教科書を手にする機会がありました。

 

光村図書出版の「小学校 国語 5年」です。

 

ページを繰っていくと、「2 文章の要旨をとらえ,自分の考えを発表しよう」という5月教材の説明文単元がありました。

今年はコロナ禍休校の最中だったから、満足な授業ができてないんだろうなと思いつつ……。昔を思い出して、教材研究をしてみました。

 

光村図書のホームページにある「年間指導計画例」では、単元の7時間を次のように配当しています。

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単元構成は、「見立てる」という練習文と、「言葉の意味が分かること」という本文から成っています。練習文で学び方を習得し、本文でそれを生かすという昔からある光村のパターンです。

 

小学校で学ぶ説明的文章は、基本的には尾括型の三段構成の文章です。

「三段構成」は、「はじめ(序論)」「なか(本論)」「おわり(結論)」という構成の文章です。

「尾括型」は、「おわり(結論)」に「答え(まとめ、主張)」が出てくる文章です。

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小学校における説明文(論理的な文章)教材では、尾括型の三段構成の文章を読み取れる力をつけることが中心課題になります。

具体的には、「ありの行列」の授業記録をごらんください。

 

さて、この単元の教材は、ちょっと違います。

三段構成の文章であることには違いありませんが、筆者の「主張」が「おわり(結論)」の部分だけではなく、「はじめ(序論)」の部分にも出てきます。

「両括型」の文章です。

 

 

要旨の話をする前に、「要点」、「要約」、「要旨」という言葉の整理をしておきます。

 

 ■ 「要点」…形式段落を短くまとめたもの。段落の中心文を見つければよい。


 ■「要約」…文章全体を短くまとめたもの。基本的には、各形式段落の要点をつないでいくと「要約」になる。


 ■「要旨」…その文章で筆者がもっとも言いたいこと。一般的に尾括型の三段構成の文章では「まとめ」の段落の「要点」が「要旨」である。

 

教科書や教科書会社の指導書には、「要約」と「要旨」の混同・誤用が目立ちます。きちんと区別して使い分けてほしいものです。

ちなみに光村教科書の「脚注」には、「要旨 筆者が文章で取り上げている内容の中心となる事がらや、それについての筆者の考えの中心となる事がら。」と記されています。正確を期そうとしているのでしょうが、小学生には「その文章で筆者がもっとも言いたいこと」の方が理解しやすいと思うのですが。

 

「見立てる」も「言葉の意味が分かること」も「両括型」の三段構成の文章ですので、

「はじめ(序論)」と「おわり(結論)」の段落の要点をもとに要旨をまとめることになります。

 

 

「いじめ認知件数最多」報道に思う

10月22日、文部科学省が2019年度のいじめ等に関する調査結果を発表しました。

 

『令和元年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について』というのがそれですが、130ページに及ぶ冊子です。

まずは、報道機関の記事で概要を見ていきます。

 

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「自殺317人」がとても気になります。

少し詳しく見ていきます。

「調査結果」によると、317人の内訳は小学生4人、中学生91人、高校生222人となっています。

小学生4人の置かれていた状況は、「家庭不和」1、「いじめの問題」2、「不明」2(複数回答)で、いじめが自殺原因の半数を占めました。

胸が痛みます。

 

厚生労働省が発表している「令和元年版自殺対策白書」によると、10~14歳の小中学生の死因の第1位が「自殺」です。

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いのちの教育のありようが問われています。

 

 

いじめ問題に戻ります。

いじめの認知件数について、冊子のグラフはかなり見づらいものですので、時事通信社が作成したものを紹介します。

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「いじめ防止対策推進法」が施行された2013年以降、いじめの認知件数は毎年「過去最多」を更新しています。

これは、文科省が言うように、「積極的な認知の重要性が学校現場に浸透した結果」だろうと思います。

 

しかし、本当に「積極的な認知の重要性が学校現場に浸透した」のかどうか、私はなお懐疑的な見方をしています。

 

小学校のいじめ発見の状況は、「学校の教職員が発見」したのが70%(概数、以下同じ)、「学校の教職員以外からの情報により発見」したのが30%です。

「教職員」70%の内訳は、担任10%、アンケート60%。

「教職員以外」30%の内訳は、本人15%、本人の保護者10%、他の児童・保護者が5%です。

 

小学生のいじめの相談状況(複数回答)は、学級担任82%、家族21%、友人6%で、「だれにも相談していない」も5%あります。

これは、学校がいじめを認知した時点で当該児童がだれに相談しているかを問うたものです。学級担任の82%は、アンケートによる発見の60%を差し引い20%余が相談の実態に近い数字と思われます。

 

都道府県別のいじめ認知件数を示します。

これは、『令和元年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について』(令和2年 10 月 22 日 文部科学省初等中等教育局児童生徒課)の46ページに掲載されています。

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表の右端に「1000人当たりの認知件数」が出ています。

最も高いのが山形県の115.7で、最も低いのが佐賀県の13.8。全国平均は40.9です。

 

25人の学級が40あるとします(合計1000人)。1つの学級に1つのいじめ事例があれば、40学級で40になります。

全国平均の40.9は、まさにそういった数字です。

 

しかし、「平均して40」ではなく、「少なくとも40」なのではないでしょうか。教職にあった身からすると、1年間を通していじめが全くない学級がそれほど多くあるとは思えないのです。

私が文科省の発表に懐疑的なのは、この部分です。

 

都道府県によって数字が大きくばらつくのはなぜでしょう。

個別の県の数字に言及する材料はありません。

一般論として、さしあたり3つの可能性を考えています。

 

① 実際にいじめがない

いじめ問題のない学級はあって然りです。

しかし、毎年極端に多い県と、毎年極端に少ない県があるというのは、ちょっと違和感があります。

 

② 数字が実態を反映していない

数字を改竄しているというのではありません。

しかし、いじめを隠蔽したり、過小評価したりする傾向が、多かれ少なかれどこの学校にもあるような気がします。

たとえば子ども間の問題をいじめではなく、「トラブル」「もめごと」として処理しているケースがあります。意図してそうする担任や管理職もいないとは言えません。

文科省の調査はいじめの「発生件数」ではなく、「認知件数」です。いじめと認知しない限り、数字には反映されません。

 

③ いじめに対する感度が違う

「いじめ防止対策推進法」は、「総則」でいじめを次のように定義しています。

「いじめ」を「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義すること。 

 つまり、「心理的又は物理的な影響を与える行為」を受けた当事者が「心身の苦痛を感じ」れば、それはいじめです。行為を受けた子の感じ取り方、受け止め方の問題です。

 

教職員がいじめの認知に積極的でなければ、日常の指導や問題への対処にそれは表れます。そして、畑に水が浸み込むごとく、子どもに伝わっていきます。いわゆる「背中の教育」、隠れたカリキュラムによる教育です。

いじめの60%がアンケートによって発見されています。子どもがアンケートにいじめがあると答えるかどうかは、「行為を受けた子の感じ取り方、受け止め方の問題」です。そこの感度に違いがあれば、同じような問題があったとしても結果の数字は当然違ってきます。

 

 

私は、どこの県がどうとか、そんなことには興味はありません。

ただ、子どもの声なき声に耳を傾けられるアンテナをもつおとなでありたいと、心から願います。

エラくなるとはどういうことか⑤

まとめ

 

学力を、「意欲」・「居心地」と関係づけながら論じてきました。

 

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それは学力と「意欲」・「居心地」の関係を示す定説を改めてなぞったに過ぎませんでしたが、私にとっては意味のある証明であったと思っています。

 

長い教員生活のなかで、全員の学力が伸びこれほど高得点に達した学級を担任したことがありません。

 

全員の学力が伸びたと言っても、一人ひとりの状況はまさに十人十色です。

今回は4人をピックアップしてみましたが、そこから得た教訓があります。

 

それは、どの子にとっても教室は「ジム」であると同時に「ホーム」でもなければならないとうことです。

一般には、子どもを鍛える場である学校=ジムと子どもを包み込んでくれる家庭=ホームという図式で、子育ての連携が語られます。

それはそうなのですが、今の教室にはその両面が必要なことを4つの事例は語っています。

ジムとホームの兼ね合いは個々の状況によって違います。ぴったりの処方箋を作るのは、担任の仕事です。

 

「エラくなる=テスト成績が上がる」という極めて一面的な学力観でスタートした文章は、エラくなるとは安心できる教室で精一杯自己実現することだという結論で終わりとします。

 

エラくなるとはどういうことか④

ケースD

 

(1)素描Personality Sketch


①学習状況(5年当初)


4年生の評定は、国語・算数ともに高いです。


②Q-U結果(5年生4月9日)


学校生活意欲は高いですが、学級満足度尺度は「侵害行為認知群」に属しています。

学級満足度の内、承認得点は2番目に高いのですが、被侵害得点がクラスで最も高くなっています。特に、「あなたはクラスの人にいやなことを言われたり、からかわれたりして、つらい思いをすることがありますか」「あなたはクラスの人にばかにされるなどして、クラスにいたくないと思うことがありますか」「あなたはクラスの人たちから、ムシされているようなことがありますか」の3項目について、3(少しある)と答えています。日常観察からはこうした状況は確認されないのだが、感性の鋭いD児がそう感じているということが問題です。


(2)転機Turning Point


被侵害感は、10月のQ-Uで「クラスにいたくないと思う」「ムシされる」ことがなくなり好転し、「学校生活満足群」に移動しました。残る「つらい思い」は、6年生5月のQ-Uで解消しています。


私は、D児が実際にいじめを受けていたとは考えていません。にも関わらずD児を覆う疎外感は、真に仲間になれていない集団の空気を映す鏡だったように思います。

 

さて、D児の疎外感を払拭したものは…。

複合的要素があるでしょうが、総合的な学習の時間の取り組みがその最たる要因でしょう。設定したテーマについて調査・まとめ・DVD収録・映画制作の6ヶ月間、子どもたちは共通の目的を持った仲間になったと感じています。

 

具体的な目標に向かって一緒に活動し、その成果が目に見える形になったとき、集団は変わるのです。


(3)教訓Teaching Point


D児は、卒業前に「6年になって成績が上がった」と繰り返し書きました。

実際には、国語が95点(5年)から97点(6年)に、算数が97(5年)点から99点(6年)に上がったに過ぎません。もともと、成績は良かったのです。

 

では、D児の「実感」は何なのでしょうか。

それは、教室の中に自分の居場所があるという安心感以外の何物でもないと考えます。安心感が心を解き放ち、それが自分を正当に評価させたのでしょう。

 

D児のケースは、エラくなるというのは点数の高低だけの問題ではないことを示しています。

 

エラくなるとはどういうことか③

ケースC

 

(1)素描Personality Sketch


①学習状況(5年当初)


4年生の評定は、国語・算数ともに中位です。

宿題忘れが時々あります。


②Q-U結果(5年生4月9日)


学校生活意欲は標準的な数値を示していますが、クラスにおける相対的位置としては低い方です。

「仲間だと思われているか」と「授業中に、先生の質問に答えたり、自分の考えや意見を言うのは好きですか」に対して、「あまりそう思わない」と答えています。


学級満足度尺度は「学校生活不満足群」に属しています。

被侵害得点は2番目に高く(これは低い方が良い)、承認得点は最も低い(これは高い方が良い)数値でした。

「すごいなと思われているか」「しっかり聞いてくれると思うか」「あなたのクラスには、いろいろな活動に取り組もうとする人が、たくさんいると思いますか」という設問に対して、2(あまりそう思わない)を選択しています。

被侵害項目では、「ひとりぼっちでいることがあるか」「あなたはクラスでグループを作るときなどに、すぐにグループに入れないで、最後の方まで残ってしまうことがありますか」について3(少しある)と答えています。


(2)転機Turning Point


C児の変容は、10月Q-Uの承認に関する設問の好転から始まりました。

そして、6年生5月Q-Uでは被侵害に関する設問が好転しました。

10月Q-Uになると学校生活意欲尺度が上位に移動し、学級満足度尺度も「学校生活満足群」に属しました。ここに至って、「自分の考えや意見を言うのは好きか」の回答が好転しました。


承認得点が上がった背景をスケッチしてみましょう。


私のそのころのクラス経営では、宿題は毎日ありました。登校するとすぐに提出させ、点検をして朝の会には返却するというのが通常のパターンです。忘れ物調べはしないし、居残り学習もありません。ちきんとやることでいい結果が得られたという教室の空気を、ひたすら醸成します。

もともと真面目な子どもたちですから、軌道に乗るまでそれほど時間は掛かりませんでした。やがて、C児もその流れに乗ってきます。


目標のスモールステップ化ということをA児のところで書きましたが、実際求めているところは相当高いです。

そのためのプログラムも多様です。

 

音読は、発音・発声練習から始めました。

聞き取りやすい話し方は、自分を認めてもらうための必須アイテムです。

そして、毎日のスピーチのために、スピーチの「型」を教えました。

国語力をつけるために読解力のスキルを指導し、読解プリントや文法プリントを宿題に課しました。

 

算数では4マス関係図を導入し、文章問題に特化した「yosh-k塾プリント」を毎日課しました。

5年生の後半からは、算数パズルを用意して思考力を磨くことをめざしました。

 

結果として、こうしたことの一つひとつが、C児の中で眠っていたものを目覚めさせたという捉え方をしています。


スピーチについては相互評価のためのカードを用意しています。

魅力的なスピーチをすることが多かったC児には、当然ながら高評価のカードが集まりました。数値化された評価と言葉のメッセージが、自信を生み自己肯定感を高めていった大きな要素だと考えられます。


自信は、生き方をも変えます。

5年当初、最も存在感の薄かったC児は、6年になると委員会の長を務めるようになりました。さらにいくつかの責任ある立場を経て、ついには、学校生活意欲が向上し「自分の考えや意見を言うのは好き」だと言うに至ります。

人間関係の問題を省いて書いているので、現実はもっと複雑で複合的なのですが、明るく生き生きとした表情になりました。

6年生の成績は国語が96点、算数が98点で、申し分のないレベルに達しました。


(3)教訓Teaching Point


中の上に位置する子どもの場合、何かしらの障壁が取り除かれると上位に移動する可能性が高いです。

それは、下位から中の下に位置する子どもに対する学習理解支援の課題とは明らかに違います。

C児の場合、「何かしらの障壁」を取り除くというのは、括って言うと自己肯定感を高めることと居場所を確保することでした。

どちらが先かは断言できませんが、このケースでは自信が意欲や居場所につながっていきました。

いずれにしても、背中を押す「何か」を見極め設定することが大事なのですが、それが実に難しいです。

 

エラくなるとはどういうことか②

ケースB

 

(1)素描Personality Sketch


①学習状況(5年当初)


4年生の評定は、国語・算数ともに低いです。

漢字や計算の練習は熱心にしますが、なかなか定着しません


②Q-U結果(5年生4月9日)


学校生活意欲は標準的な数値を示していますが、クラスにおける相対的位置としては低いです。

「あなたは、クラスの人から好かれている、仲間だと思われていると思いますか」「あなたのクラスは、勉強やいろいろな活動に、まとまって取り組んでいると思いますか」という設問には、否定的な回答をしています。


学級満足度尺度は「侵害行為認知群」に属しています。

「あなたは運動や勉強、係活動や委員会活動、趣味などでクラスの人から認められる(すごいなと思われる)ことがありますか」という設問には、4段階評価の1を選んでいます。また、「あなたは休み時間などに、ひとりぼっちでいることがありますか」には、「少しそう思う」(4段階評価の3)と答えています。


ここからは、自己肯定感が低く、学級の中に確かな居場所を持てていないB児の姿が浮かんでくる。


(2)転機Turning Point


学校生活意欲に関する2つの設問については10月のQ-Uで好転しましたが、総合値は変わりませんでした。

学校生活意欲尺度が上位に移動したのは、6年生5月のQ-Uにおいてでした。

学級満足度尺度は10月のQ-Uで「学校生活満足群」に移動しましたが、「すごいなと思われているか」の評価が好転するのは1年後でした。

 

B児の変容には3つのポイントがあります。

①クラスに居場所ができた5年生10月期、②学校生活意欲尺度が上がった6年生5月期、③自分に自信を持てるようになった6年生10月期がそれです。(①についてはD児のところで述べます)


B児は、漢字学習のパターンを体得し体感するのに最も時間を要しました。

それでも学期末の50問テストは飛躍的に上がり、5年生の3学期には84点をとっています。

このころからB児からおどおど感が消えていきます。

 

②の変化は、友達関係と学習意欲のポイントが上がったことによります。

友達関係の好転が学習意欲を高め好成績につながっのか、好成績の結果おどおど感がなくなり友だちと対等の関係を持てるようになったのか、両者の関係は微妙です。


その後、漢字50問テストの成績は94点(6年1学期)、100点(6年2学期)と上昇しました。

6年時の国語科通年成績も、読解力・言語力・漢字力ともに10数点上がりました。

これが③の変容と関係しています。

表情は生き生きとしており、よく話すようにもなりました。

しかるに、算数はと言うと計算力こそ上がりましたが、ネックであった思考力はほとんど変化なく、全体としては飛躍的上昇とはなりませんでした。


(3)教訓Teaching Point


「読み・書き・計算」と言いますが、今も昔も変わらぬ「真理」を言い当てているようです。

「読み・書き・計算」の力が自己肯定感を高め、確かな居場所を作っていくエネルギーにもなり得るのです。