教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

保護者とは子育て協働の関係でありたい③

教室の学びを確かなものにするには、家庭での支えが欠かせません。しかしそれは、教師と保護者が目標を共有できていなければ、実りは望めません。

 

今回は2005年の記録です。

 

 

おうちの方へ特集号 2005.4.22


子は親の鏡  ドロシー・ロー・ノルト


けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「可愛そうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引込み思案な子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱り続けてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
褒めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
守ってあげれば子どもは強い子に育つ
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

 

「子どもが育つ魔法の言葉」(PHP文庫 ドロシー・ロー・ノルト著 石井千春訳)より

 

 皇室の会見で引用されてすっかり有名になった詩を紹介しました。人権教育では以前から注目されていた作品です。作者のドロシー・ロー・ノルト(Drothy Law Nolte)は、1924年1月12日生まれのアメリカ人で、40年以上にわたって家族関係についての授業や講演を行い、家庭教育の子育てコンサルタントの第一人者です。著書『子どもが育つ魔法の言葉』(1998年刊・アメリカ)は、世界中で多くの共感を呼び、とくに日本では130万部を超す大ベストセラーです。


 『子どもが育つ魔法の言葉』の「はじめに」に、この詩の生い立ちが書いてありますので抜粋してご紹介します。


はじめに - 詩「子は親の鏡」の生い立ち


 詩「子は親の鏡」を書いたのは、1954年のことです。当時わたしは南カリフォルニアの新聞に、豊かな家庭生活についてのコラムを連載していました。わたしには、12歳の娘と9歳の息子がいました。地域の公開講座で家庭生活に関する講義を行い、保育園で子育て教室の主任を務めていました。後に、この詩が、世界中の人々に読まれることになるとは、まったく予想だにしていませんでした。
 わたしは、詩「子は親の鏡」で、当時の親御さんたちの悩みに答えたいと思っていました。どんな親になったらいいのか、その答えをこの詩に託したのです。50年代のアメリカでは、子どもをきびしく叱ることが親の役目だと思われていました。子育てで大切なのは、子どもを導くことなのだと考える人はあまりいなかったのです。
 子どもは親を手本として育ちます。毎日の生活での親の姿こそが、子どもに最も影響力を持つのです。わたしは、詩「子は親の鏡」で、それを表現したかったのです。
 この詩は、長い間、様々な形で人々に親しまれてきました。アポットラボラトリー支社ロスプロダクツによって、詩の短縮版が病院で配布されました。そして、新しく親になる何百万人というお母さん、お父さんに読まれてきました。この詩はまた、10ヵ国語に翻訳されて世界中で出版されました。そして、子育て教室や教員セミナーのカリキュラムの一部として、教会や教室で使われてきました。この詩が、親御さんたちのよき道案内となり、励ましとなってくれればとわたしは願ってきました。わたしたち親は、子育てという、人生でいちばん大切な仕事に取り組んでいるのです。
「中略」
 わたしは、最終的に、この行を「親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る」と書き直しました。今の世の中では、常に正直であることは不可能でしょう。しかし、正直であることの大切さだけは、子どもに伝えなくてはならないのです。
 この本の冒頭には、詩「子は親の鏡」が掲げてあります。これは、このような経緯を経て完成した最新のものです。
「中略」
 子どもは、本当に日々親から学んでいます。そして、大人になったとき、それを人生の糧として生きていくのです。


※授業参観、家庭訪問が控えています。子どもの育ちを一緒に考えていきましょう。

 

 

 

おうちの方へ特集号 2005.6.16


後悔しなくてもいいように…

 

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 6月12日の朝日新聞に掲載されたベネッセ教育開発センターの調査結果と、昨年の6月27日の朝日新聞に掲載された日本子ども社会学会の調査結果を紹介しました。個々の子どもを全国平均に合わせる必要など全くないのですが、我が子の有り様を客観的に見つめ直す指標にはなるかと思います。


 「自分が好き」と思える感情をセルフエスティーム(自己肯定感)と言いますが、近年の教育学の研究によると、セルフエスティームが高いほど学力が高いという相関関係が指摘されています。セルフエスティームというのは、乳幼児期の包み込まれ感覚で根が育ち、学童期に認められ自信を増すことで幹を太くしていきます。叱るよりも褒めることが大事なのは、そのことと深く関係しています。


 そうは言っても、高学年になって家庭学習「ゼロ」は問題外。学習習慣の確立がいかに大切か、ベネッセ調査の中高校生の悲鳴が物語っています。後悔先に立たず、いや、転ばぬ先の杖。ここは一つ心を鬼にしてでも、この時期に最低1時間は机に向かう習慣をつけたいものです。


 小学校生活最後の夏休みを控えています。親子で一度じっくり語り合う時間をもってほしいと思います。

 

 

 

おうちの方へ特集号 2005.8.23


「悩むチカラ」を子どもたちに


 20年ほど前、ある雑誌がいじめ問題の特集を組んだ時、小文を書かせてもらったことが事がありました。その雑誌にカウンセラーの伊藤友宣さんという方の連載記事があって、多くの示唆を受けた記憶があります。先日、書店の新刊書コーナーで久方ぶりに氏の名前を目にし、『悩むチカラ』と題された著書を買い求めました。今回は、その内容を少しばかり紹介したいと思います。

 

 「悩むチカラ」とは、なにかが気になったら、気になったものの正体を一つのイメージとして捉えられるようになるまで(気になったものの正体をしっかり突き止めるまで)、自分の課題として、心にとっておくことのできる習性のことである。


 「右脳(左脳が論理脳であるのに対して、右脳は感情脳、イメージ脳)がいきいきと活発化するとき、思いは突如広がったり微細なものへ凝集したりする。その視野の広がりや視点の置きどころの柔軟自在の変容が、実は、『悩むチカラ』のポイントである。」「漠然とした焦点の定まらない曖昧さが、なんやかやの右脳に湧いてくるプラスイメージを誘い、さらに、自分のプラスイメージが周りの人や物のプラスイメージを呼びこんでいく。とにかく、さて困ったことになったというときにいらいらしない、すぐさま煮つまってしまわない、ゆとりのある悩みの保留こそが、『悩むチカラ』のありようである。」「『真剣な愉しさ』は『悩むチカラ』と同義語なのである。」


 今の世の中、「悩むチカラ」が欠けていることが気になると、伊藤さんは言います。課題として持ち続ける力にこだわってきた私には、我が意を得たりの感がします。勝ち負けではない、一緒にやっていくしかないときにこそ「悩むチカラ」が必須で、悩むべき時には静かに明るく深く、心の中のイメージを輝かせて悩めという指摘が、私を勇気づけてくれました。

 

 「悩むチカラ」が、豊かに根を下ろし得る土壌はどこかといえば、人間一人ひとりの「心」である。

 

 心は三つの心で全体が構成されるものとする。(フロイト)
 aは我(エゴイズム)で、自分の欲を晴らし、自己の可能性を追求してやまない心である。
 bは超自我(スーパーエゴ)で、他人を気づかい、他人に認められてこそ充足できる心である。
 aとbは互いに反発しあいながら常に対立と葛藤をくりかえしてこそ、幅のある人格cが育つ。つまり、「自我(エゴ)が確立する」というのはこのことを指している。


 超自我(スーパーエゴ)と我(エゴイズム)のバランスが、やがて自我(エゴ)の確立を約束するという心のあり方が、もっともっと一般的になる必要がある。
 子どもの我(エゴイズム)が強く出ているとき、横から親の超自我(スーパーエゴ)が口を出して、強く出すぎの子の我(エゴイズム)を抑えようと力めば、たちまち子の我(エゴイズム)と親の超自我(スーパーエゴ)の反発とのいがみあいが起こって、なんのことはない、子の心の内部の二つの心、我(エゴイズム)と超自我(スーパーエゴ)の葛藤の余地がなくなってしまう。
 親に子が絶望しがちなのは、親がこれを平然とやらかすことが親子の関係というものだと思いこんでいるからである。そうではなくて、親は、子の自我(エゴ)に向かって自分自身の自我(エゴ)からの発信を心するのである。すると期せずして、子の自我(エゴ)から親の自我(エゴ)への返信も自然に起こり得るというもの。「悩むチカラ」の装置として、心のしなやかでしたたかなありようを確かにしていけるのは、親と子の対話の成立によってでしかないのである。
 我(エゴイズム)と超自我(スーパーエゴ)の内面での相克が可能なのは、自己の自我(エゴ)と近親者の自我(エゴ)の対話が成立してこそである。

 
      (出典:伊藤友宣『悩むチカラ ほんとうのプラス思考』PHP新書)

 

 

おうちの方へ特集号 2005.10.21


言葉が子どもの心に届くとき


 昨日の新聞に、中学1年の男子生徒が母親に暴力をふるい、首を殴られたことによる外傷性くも膜下出血で母親が死亡したという「事件」が報じられていました。少年の供述によれば、母親への暴力は小学校6年の頃に始まり、その原因は、顔を見れば勉強しろと口うるさく言われたからだということです。まわりの生徒たちの証言では、成績はトップクラスだったといいます。--母親の子どもへの叱咤激励は、子どものやる気を喚起せんがためのものだったのでしょうが、結果としてその言葉は子どもの心に届きませんでした。


 さて、「教育の日」の事業として「心に届いた言葉」を子どもたちから募っています。すでに何人かの子が応募用紙を提出しています。いくつかを紹介しながら、言葉が子どもに届くとはどういうことなのか、一緒に考えてみましょう。

 

一人ひとりみんなちがうねんから、それでいいやん。

私は背が低いので、「背小さいなあ」「チビやなあ」とよく言われる。お母さんにそのことを言った。すると、「みんな一人ひとりいろんなところを持ってんねん。みんなみんなちがうねんから、背が高かろうが、低かろうが、それはそれでいいねん。そんなこと気にしな。」と言ってくれた。そのとき、とても勇気づけられた。一人ひとりみんなちがっていいんだと思った。

 

大丈夫、○○なら絶対いけるって。頑張りや。

勉強が思うようにうまくいかなかったとき、この言葉で元気が出たし、だんだんできるようになっていったから、うれしかった。

 

夏の大会はだめだったけど、秋の大会の時またがんばればいいやんか。

ソフトボールの試合の日、負けて家に帰ったとき、お母さんが、「夏の大会はだめだったけど、秋の大会の時またがんばればいいやんか。」と言ってくれた。それで秋の大会もまたがんばろうと思えた。

 

次またがんばろう。

サッカーの県大会があって、試合に負けたとき、コーチが「次またがんばろう。」と言ってくれて、次の県大会でがんばろうと思えた。

 

大丈夫。自分自身がんばればいい。

 私がピアノの発表会の時、ピアノの先生が、「大丈夫。まちがっても、精一杯がんばればそれでいい。」と、そう言ってくれたので、勇気が出た。 

 

将来、夢持つんやったらおっきな夢持ちや。

友だちと帰っているときに、友だちが走っていたので、通りかかったおじさんが、「がんばってるな、将来オリンピック選手になんのか。」と言ってきたので、友だちが「どうかなあ。」と言うと、「将来、夢持つんやったらおっきな夢持ちや。」と言ってくれた。

 

私らがいるから心配しな。

私がいじめにあっていたことを知った友だちが、落ち込んで泣いている私に、「私らがいるから心配しな。今度何か言われたら、すぐ私らに言ってきいや。」と励ましてくれた。その時、とてもうれしくて元気になった。そして、私にこんないい友だちがいてうれしいと思った。

 

 

 こうして見てくると、子どもの心に届いた言葉って共通点があると思われません? エネルギーがちょっと萎えてきたときに、ふわふわとした温かさと柔らかさでそっと包んでくれる言葉。そして、その言葉に元気をもらい、エネルギーをプラスに転じているのです。--そう言えば、大人の私たちだって掛けてほしい言葉は同じですものね。

保護者とは子育て協働の関係でありたい②

2005年、6年生のクラスで保護者に届けたメッセージを紹介します。

 

この年の6月1日、長崎県佐世保市に住む小学6年の少女がナイフで同級生を刺し殺すというショッキングな事件が起きました。

その後、「いのち」をテーマにした発信を続けました。

 

おうちの方へ特集号 2004.6.9


佐世保事件」を考える①


 1日に佐世保で起こった事件は、同じ6年生の担任として、大きな衝撃を受けました。いたずらに不安を募らせることもないのですが、一緒に考えたい問題がいくつかあります。


 ここに紹介したHさんの日記は、事件翌日の2日に書かれたものです。クラスの子どもたちの一般的な受け止め方を代表する内容です。

 私は、同じ六年生の女の子がカッターナイフで仲良しだった六年生の女の子を切ったと聞いて、とてもびっくりした。同じ六年生なのにどうして切れるのかなあと思った。しかも、その切られた子が死亡した。どうしてそんなことができるのかなあと思った。人を殺したところで何もならないのに、ただ親とはなれなくちゃいけないのに、どうして自分の手で人を殺せるのかなあと思った。私だったらぜったいに殺すことなんて思わない。何のために殺すのだろうと思った。

 

 「人を殺したところで何もならない(何も解決しない)」というのは、修学旅行に向けた学習の中で子どもたちが学び取った「命の哲学」です。さんまさんが熱演した『さとうきび畑の歌』のビデオを見たり、被爆体験のお話を聞いたりすることで、子どもたちは確信に似た思いを持つようになりました。その意味では、私は子どもたちを100%信頼しています。


 しかしながら、佐世保の少女だって、理性や理屈の領域では我がクラスの子どもたちと何ら変わらなかったに違いありません。少女にナイフを握らせ、その手を振り上げさせたものは何だったのでしょう。さまざまに抱く思いとナイフを握る行為の間には、超えがたい壁があるはずです。少女にその越えがたい壁を越えさせたものへの想像力が、私には及びません。衝撃の大きさは、そのことに起因しています。どうか親子で、加害少女の心の有り様を語り合ってみてください。


 ところで、今回の事件ではインターネットのチャットがクローズアップされました。5日の『朝日新聞』社説(「ネットの海にただよう子」省略)と4日の『毎日新聞』尾木さんの記事(「私はこうみる 佐世保小6女児殺害」省略)をご覧ください。今現在チャットを利用している子どもはいませんが、携帯のメールを使うようになるのはもう間もなくのことですし、交換日記やメモを回すことも同様のことだと考えれば、遠い出来事ではありません。「口で言えないこと(特にマイナスなこと)は書かない」という最低限のルールを確立しなければなりません。そんなことも、ともに語り合っていただきたいと思います。

 

 

おうちの方へ特集号 2004.6.10


佐世保事件」を考える②


 「佐世保事件」の関連記事として、6日の『朝日新聞』に下のグラフが掲載されていました。

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 同じアンケートを実施してみました。(アンケート結果のグラフ省略)グラフの「1」が「とてもある」になります。人数が少ないですので、単純な比較は無意味ですが、全国調査と似た傾向は見られました。


 一見とても仲良しに見えている子どもたちの関係が、実に脆く危ういガラス細工のようで、そのことが気になります。何らかの原因で「仲良し」の関係が壊れそうになった時、それを親や教師も含めて誰にも言えないでいるとしたら、佐世保の少女の問題は決して遠くの特別なことと言い切れません。


 子どもたちに自分を一歩引いたところから見られる力、AがだめならBという選択肢もあるさと思える力を育ててやりたいものです。「人生は石っころだらけで、これを越えていくから大変なんだということを、どんな小さい子にも教えておきたいです。」という永畑道子さんの言葉をもう一度噛み締めたいと思います。

 

 

おうちの方へ特集号 2004.6.30


子どもの「生活」と「気持ち」にズームイン


 6月27日の朝日新聞に、日本子ども社会学会が行った子どもの生活と気持ち調査の結果が載っていました。

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個々の子どもを全国平均に合わせる必要など全くないのですが、我が子の有り様を客観的に見つめ直す指標にはなるかと思います。小学校生活最後の夏休みを控えて、親子で一度じっくり語り合う時間をもってほしいと思います。

 

 

おうちの方へ特集号 2004.9.16


「がんばらない」「あきらめない」


 昨晩、テレビで「がんばらないⅡ」というドラマが放映されていました。もっとも私自身は、放映時間中にこれを書いていますので見ていませんが…。


 長野県の諏訪中央病院に鎌田實さんというお医者さんがいます。さだまさしの名曲「風に立つライオン」のパロディーのような曲、「八ヶ岳に立つ野ウサギ」のモデルになっているお医者さんです。(と言っても、よほどのさだファンでなけりゃそんなこと知ってる人いませんよね。)さて、その鎌田先生が2000年9月に出した本『がんばらない』と2003年1月に出した本『あきらめない』が、昨晩のドラマの原作です。


 私は2001年の春、移動中の車で聞いたラジオのインタビュー番組で、鎌田先生の名前と『がんばらない』という本の存在を知りました。早速、本を買い求めました。近年、どうも涙腺がゆるんできているようで、私は目を真っ赤に腫らしながら、それでも活字を追い続けました。鎌田先生は優れたお医者さんなのでしょうが、門外漢の私には分かりません。しかし、医者である前に、鎌田さんがすてきな人であることは私にも分かります。目の前の死の淵にある患者さんに注がれるまなざしの優しさに、私は心が震えました。


 鎌田先生は、一貫して「弱者の立場に立った医療」を求めてこられました。「医療」の部分を「教育」「子育て」と言い換えた時、私はドキッとしました。そんな「ドキッ」の一部をみなさんと共有したくて、紹介させていただきます。

 

 ぼくら医療者が重傷な患者さんや末期の患者さんに、つい口に出してしまう言葉「がんばろう」「がんばりましょう」この言葉に勇気を奮い立たせる患者さんがいる反面、精いっぱいがんばって、がんばって末期をむかえてきた患者さんにとって、がんばれという言葉はとても傷つけることがある。最初、「がんばらない」という文字を見たとき、ぼくははっと胸をつかれた。知的ハンディをもった西沢美枝さんたちの「がんばらない」「生きている」「ありがとう」「ぼくのたましい」という作品は、すごい迫力をもってぼくらの医療のあり方に問題提起をする。多くの患者さんたちからも「不思議な勇気を与えられる」と声をかけていただいた。「あなたは、あなたのままでいい」「競争しなくてもいいですよ」と語りかけているようだ。医者や看護婦がどんなに丁寧でやさしくても、病院というところにいるだけで、患者さんは緊張している。ぼくら医療スタッフががんばりますから、あなたはあなたのままでいてください、そういう気持ちをこの「がんばらない」という書に託したい。

                    (『がんばらない』より)  

 病院のスタッフが「治す人」の役をこなし、患者が「治してもらう人」を一方的に演じるのではなく、患者さんに内在している治る力を増強し、表へ引き出し、患者さん自身も「治す人」になることができないだろうかと夢みてきた。

                    (『あきらめない』より) 

 

 「病院スタッフ」を「大人」に、「治す」を「育てる」に、「患者」を「子ども」に置き換えたら…。

「大人(親、教師)が『育てる人』の役をこなし、子どもが『育ててもらう人』を一方的に演じるのではなく、子どもに内在している育つ力を増強し、表へ引き出し、子ども自身も『育つ人』になることができないだろうかと夢みてきた。」

 含蓄があり、深いですねえ。

 「がんばろう」、と言っている間は1本の道しか見えない。その道から逸(そ)れてはいけない、落ちこぼれてはいけないという意識が働きつづける。たくさんのストレスを背負う。心が疲れる。ところが、「がんばらない」と、「ない」という積極的な強い口調の2文字をつけて言った瞬間、道は1本ではなくて、3つも4つもあることがわかる。出世すること、世の中で成功すること、有名になることだけが人生ではないと気づく。ぼくはぼく自身に小さな声で、「がんばらなくてもいいよ」と声をかけているのに、あるとき気がついた。人生には、行く道がいくつもある。きっと、そうなんだと思った。「君は、そろそろ違う道を歩んでみたいと思っているのだろう」と、もう一人の別のぼくがぼくにささやいた。そのとき、ぼくは、違う景色を見ながら、違う道を、違うスピードで歩いてみるのもいいなあと思った。

                    (『あきらめない』より)

 

 

 


おうちの方へ特集号 2004.10.28


「いのち」の教育を子育ての軸に


 「いのち」の教育を今年1年のテーマにしようと決心させたのは、6月1日に長崎県佐世保市の小学校で起こった事件でした。6年生の少女にナイフを握らせ、その手を振り上げさせたものは何だったのでしょう。さまざまに抱く思いとナイフを握る行為の間には、超えがたい壁があるはずです。少女にその越えがたい壁を越えさせたものへの想像力が、私には及びませんでした。私は、そのことに大きな衝撃を受けました。


 折しも私たちは、修学旅行を終え、平和について学んだことのまとめをする時期を迎えていました。そこで、まとめの視点を「いのちの大切さ」に集中させることにしました。7月の授業参観で見ていただいたのが、それです。


 国語科の『海のいのち』は、「いのちのつながり」について考え合う教材として位置づけました。ご存知のように、しっとりと文学教材に浸るなどという雰囲気とは程遠いクラスでしたので、夏休み中からあれやこれやと「作戦」を考えて授業に臨みました。授業の雰囲気は、「授業通信」でおおよそ感じ取っていただけたかと思います。子どもたちの読みは、私が思っていた以上に深いものがありました。「こころの琴線」という言い方があるのですが、しなやかで感性豊かなこころの震えは、実にいい音色を響かせてくれるものです。(私は、「こころの琴線」がどのような状況にあるのかということが、先の事件の少女について考えるカギになると思っています。)


 私たちは今、総合学習の時間に映画を作る計画を進めています。「渋染一揆」という江戸時代末期の出来事を教材にして、「いのちの重さ」をテーマにした映画に仕上げたいと考えています。今はシナリオを書く前段で、テーマに迫るための討論を重ねているところです。2月21日に最後の授業参観が予定されていますので、その時に上映できるように制作したいと思います。


 「いのち」を子育ての軸にするというのは、「命を大切にしなさい」と唱えることではありません。「やさしく見つめる」「ほほ笑む」「話しかける」「ほめる」「触る」--これは、発達障害の子に接するポイントとして日曜日の朝日新聞に紹介された記事ですが、「心の安定」や「心地よさ」はどの子にも共通のものです。そして、これが「琴線」を育てる土壌にもなるし、生きていくエネルギーにもなるのです。家庭に求められているのは、まさにこの部分だと私は思います。


 11月1日の学級懇談で語り合いましょう。

 

 

おうちの方へ特集号 2004.11.29


「安全」を守るために知恵と力を

 

帰り道がこわい

 最近、一年生の女の子が車に連れ去られ、殺されたという事件が起こった。しかも、別の所でも同じように車に乗せられそうになったが、逃げて何とかだいじょうぶだった。さらにまだ逃げているという。

 私は、月曜日、帰る前に教頭先生に呼ばれて行くと、「○○あたりで刃物をふりまわしている変な人がいると聞いたから、気をつけて帰りなさい」と言われた。私は、だから最近帰るのがとてもこわい。そして、気を付けやと言われても、どうしたらいいのかわからない。防犯ブザーを持っていれば、それでいいのだろうか。それで、自分を守れるのだろうか。私はわからなかった。帰り道、友だち2人と私で話していた。でも私は、なぜ、そんな殺すなどひどいことをするのだろう、お母さんやお父さんはいかりでいっぱいだろうなあと思った。


 社会が病んでいるとき、社会的弱者である子どもや老人が最も大きな被害を受けがちです。今日の状況を考えれば、田舎が都会に比べて安全だという保障はありません。現在行っている集団下校は、こうした状況下での対策の一つですが、それとて万全ではありません。Aさんが書いている不安は、どの子にも共通の思いでしょう。私たち大人は、少しでも子どもたちの不安を和らげてやることに、力を注ぎたいと思います。12月7日の懇談会では、学校ができること、家庭ができること、地域ができることを、一緒に考えたいと思います。

 

 

おうちの方へ特集号 2005.2.21


映画「人として」を2倍楽しくご覧いただくために


 ようこそ、「人として」上映会にお越しくださいました。映画を2倍楽しくご覧いただくために、撮影秘話などをちょっと紹介してまいりましょう。

 

①~⑧ 映画シーンの解説 省略


⑨ラストシーンは、映画の本編を演じ終えた子どもたちが映画から何を学んだかをテーマに、作り上げる計画をしていました。正月に本編の編集をしながら、予定の変更を決意しました。それは、12月16日の音楽発表を是非とも記録として留めたいと思ったからです。紆余曲折はありましたが、音楽発表を通して子どもたちがとても大切なものをつかみ取ってくれたと感じたからです。どんなシナリオを書き足しても、あのハーモニーを超える演技はできないでしょう。「私たちの…」は、テロップだけということになってしまいました。映画作品としては物足りなさも感じますが、私たちは作品を作るために取り組んだのではなく、取り組む過程で何かを学び取ってほしいと願って制作してきました。子どもたちの歌声とテロップの文字から、子どもたちの学びと育ちを感じていただければ幸いです。

保護者とは子育て協働の関係でありたい

学校と保護者の関係をいうとき、子育ての「協働」や「パートナー」などの言葉が使われます。

 

「協働」も「パートナー」も、学校と保護者の関係は対等で、子育てという同じ目標に向かって主体的に役割を果たす関係でなければなりません。

 

「言うは易く行うは難し」

 

若いころは、そんなことをあまり意識しませんでした。子どもが変われば保護者は理解してくれる、と考えていた部分もあります。

私にとっての変わり目は、9年間クラスや授業から離れたことにあります。その間に学んだことも多くありますが、再び教壇に戻った時は40代半ばになっていたという年齢的なことも大きいように思います。

 

あまりにも当たり前のことですが、学校の努力だけでめざす子どもの成長が完遂することはありません。

自身の子育て経験や学びの中で貯めてきた大事なことは、きちんと保護者に伝えなきゃダメだと考えるようになりました。

でもそれは、「協力」を求めるというものであって、なかなか「連携」、ましてや「協働」の域に届くものではありません。

 

「保護者とは子育て協働の関係でありたい」ーー志だけは高く掲げ、そのきっかけになってくれればと学級通信「おうちの方へ特集号」で伝えてきたいくつかを紹介したいと思います。

 

再び教室に戻った2002年、3年生の保護者に届けたものです。

 

■ おうちの方へ特集号■2002.6.28


永畑道子さんからのメッセージ


 随分古い話になりますが、今から17年前、1985年6月29日に永畑道子さんが「『いじめ』をめぐって」と題して講演をされました。その話の一部をテープ起こししました。時間は流れましたが、論旨は今も新鮮さを失ってはいません。どうかご一読ください。学級懇談でこんな話題で語り合えればいいですね。


--親に訴えたいこと--


 親子の関係が逆転しております。親が真ん中にいて子どもをはしっこにおきたいと思います。子どもは後で生まれてきた人ですから。これが子どもの自立を育てる子育てだと思います。一番働いている人、一番長く生きてきた人を大事にする、これ当たり前のことです。
 私は道徳教育という言葉自体は嫌いです。つまり、道徳に一番自信のない人が言い出したことですから。飲んだくれでも尊敬しろと、悪いことをしていても、税金を使い込んでいても尊敬しろと、そういうふうにおしつけた道徳は嫌いです。人間の中身で子どもの前に立ちたいから。
 お父さんもそうですよね。仕事に疲れたから、子どもの前でごろごろしているだけでは、もう、お父さんの尊敬を勝ち得ることはできないですよね。どんなに疲れていても子どもの前では、親の生きている姿勢を示してほしいです。もちろんいっしょに寝っころがって話をしてやればいいわけで、疲れているからと横になってはいけないとは、そういうことはもちろん言いませんが。お父さんであるということは、例えば朝の食事の時、この世の中に繋がる話をしてほしいですね。今、世界で何が起こっているか、ただ勉強しろとかね、お前の服装おかしいぞ、とか、細かいことじゃなくて、もっと大きい視野の話をしてほしいです。
 親は威張って家の中にいたいですね。そして、その親の生き方にあわせて子どもは育つんです。だから、親の食べたいものを子どもは食べたらいいんですね。子どもの食べたい食事を用意するんじゃなくて。だって子どもは一人前じゃないから。早く大人になりたいと思うのが子どもです。大人になるといいなあと思うわけです。子は子どもであることが楽だからいつまでも子どもでいたい。自立を教えていないわけですね。


 子どもを愛するということは、この子が生きていく先のことを考えて愛するわけでね、目の前の子どもをベタベタにかわいがることが愛情ではないですね。この親子の関係をごく自然の形に返さないと、子どもをまん中において、子どものいうことを聞いてきた家庭から、大変な問題が今吹き出ておりましてね。自分の思うとおりにこの世の中が動くと錯覚をした子どもたち。家庭内暴力の子などは典型的な子です。ある時、挫折をする。挫折を知らなかったんですね。失敗するということを知らなかった。人生は石っころだらけで、これを越えていくから大変なんだということを、どんな小さい子にも教えておきたいです。あえて不自由な環境を子どもに教えたいです。


 それは、親が、これ2番目ですけどね、親が子どもに存在の場所を与えるということです。どんなに小さくても親を助けて生きていくといううれしさを子どもに与えること。
 子どもは、親のすることすべてまねをして、そして一人前に何でも仕事をしようとしますよね。その手を払いのけて、あなたがやると掃除はできないから、あなたがやるとお茶碗が割れるからと言い続けている、私たち母親です。
 それは、私たち母親が暇だからですね。生きていくのに幸いにして忙しくなきゃいけないですね。必死で生きていくということが、子どもの手を借りて子どもに存在の場所を与えるということになるんじゃないでしょうか。


 私、子育てで仕事を、二人目の子どもが生まれたとき辞めましたときはね、PTAに飛び込んだんです。PTAやいろんな市民運動で忙しかったですね。で、帰ったら子どもに話しました。これは、あなたたちのことを思ってやっていることで、お母さんは今日こういうことをしてきた。子どもは、お母さんが何のために家にいないのかわかるから、決して親を責めない。寂しくても我慢してるんです。「ごめんなさい」と言って帰っちゃいけないですよね。「ありがとう」と言って帰りたいです。「留守番をしてくれてありがとう。あなたの力で家の中のいろんなことができてお母さんは助かる。」と言いたいですね。それは、2才3才ぐらいの子ができる精一杯のことを子どもがやるからです。ずいぶんいろんなことができるんですのね、子どもって。


 暴走族を取材したとき、この子は夏休みの暴走の時死んでしまったんです。そのフィルムを放映しているとき、テレビ朝日でしたが、その最中に電話がかかってきてね、「いま映っているあいつが死んだから、あの写真をほしい」と、暴走族の仲間から電話がかかってきたんですね。で、スタッフからすぐ私のところへ電話がかかってきました。私、その頃、1年間テレビ朝日の仕事をしていたんです。そして「あの子が死んだそうです」。私、本当にもうね、申し訳ないと思ったのは、私たちが取材をしたことで、もしかしたら、暴走族にあおりをかけたんじゃないかと、とても反省をしましたね。で、その子が番組の中で言ったことは、たいていね、親をどう思うかと聞いたとき、いい加減な返事が返ってきてたんですけどね、その子が言ったことはね、「親孝行したいんだけどね、家で何もすることがないんだ。だからオートバイ乗って遊んでまわってんだ。」これは、親である私たちの胸をグサリと突く言葉です。


 子どもはどんなに親孝行したいと思っていても、家の中に子どもの場所がない。存在の理由がない。子どもは、よく学び、よく遊べ。ただそれだけで生きている。生活をしていない。親を助けていない。今日はこの家を支えたという実感がない。どうかそういう実感を与えたいですね。私たちは必死で生きていきたいですね。子どもの力をあてにして、たよりにしてね。(完)

地域連携はネットワークとフットワークで

前回の「校種間連携」につづいて、今回は「地域連携」を取り上げます。

 

 

もう一度、辞書によって言葉の意味を確認しておきましょう。

 

協力…力を合わせて事にあたること。(デジタル大辞泉)


連携…互いに連絡をとり協力して物事を行うこと。(デジタル大辞泉)
       連絡を密に取り合って、一つの目的のために一緒に物事をすること。
                                                                      (大辞林 第三版)


協働…同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くこと。(デジタル大辞泉)
   同じ目的のために、協力して働くこと。(大辞林 第三版)


いずれも力を合わせることに相違ないのですが、繋がりの密度から言うと「協力<連携<協働」ということになるでしょう。

 


保護者や地域の人が学校教育活動に参加する場面は種々あります。それらは通常「連携」という言葉でくくられます。ときには「協働」という言葉が登場することもあります。

 

私は学校の中にいた時も、外の人になった今も、「連携」という言葉にずっと引っかかっています。

 

あるとき、小学校低学年の芋ほりに地域の人の「協力」要請がありました。そして、何人かの古老が「お手伝い」に行きました。

参加した結果として、「子どもたちから元気をもらった」という声を聞くこともあります。子どもたちから届いたお礼の手紙に感動したという人もいました。

 

こうした事例は山ほどあります。しかし、「元気をもらった」というのは目的を共有した“果実”でも何でもありません。そのくせ協力してもらった側は、地域との「連携」がすすんだなどと自賛しています。

 

学校現場で近年多用される「連携」という言葉は、実に耳障りがよく、それでいて麻薬のように怪しいのです。私はこの言葉に強い違和感を抱き続けています。そして、学校が「連携」だと言っている大半は、一方的な「協力」(良く言えば「お手伝い」、悪く言えば「利用」)でしかないと感じています。

 

それが「連携」であるためには、「連絡を密に取り合って、一つの目的のために」協力し合う営みでなくてはなりません。

先の芋掘りでいえば、子どもにどんな力を育てる取り組みなのかという「目的」が共有されていることが前提になります。そのうえで、教師の役割、地域の役割が明確に共通理解されていたかどうかによって、「連携」にもなれば単なる「お手伝い」にもなるのです。

 

2008年に始まった学校支援コーディネーターの制度は、上の目的をもって学校と地域をつなぐものです。

私も退職後にその任にあったことがあります。

それは学校の省力化には寄与しますが、私はちょっと違うという気がしています。

学校支援コーディネーターは、ネットワークづくりのきっかけ・ヒントをくれる人くらいに位置付けてもらえれば、私にはしっくりくるのですが。

 

教育活動を組織していけば、必然的に「地域」と出会うことになります。

自分が数年間過ごす職場を取り巻くコミュニティーとどんな関係を作っていくか、それは「居心地」という尺度からも決して小さな問題ではないと思います。経験則で言えば、労を惜しまずアプローチすることで、予想外の「教育効果」と「居心地の良さ」を得ることができたと感じています。

積極的な「フットワーク」が地域との「ネットワーク」を形成します。「連携」から「協働」へという目標を頭の隅に持ちながら、まずは「協力」を依頼できる「ネットワーク」作りのために「フットワーク」を生かしてほしいと思うのです。

 

「ネットワーク」と「フットワーク」は、教室の外との繋がりを考える際のキーワードです。

 

 

校種間「連携」を問う

 

前稿で保幼小連携に触れましたので、この機会に学校とそれを取り巻く人たちとの繋がりについて考えたいと思います。

 

今回は、同じ中学校区の校園所との繋がり、つまり「校種間連携」についてです。その中で小学校と中学校の繋がりが「小中連携」、小学校と幼児教育との繋がりが「保幼小連携」です。

 

 

 

そもそも「連携」ってどんな意味のコトバなのでしょう。それらに近いコトバである「協力」「協働」を含めて、辞書には次のようにあります。

 

協力…力を合わせて事にあたること。(デジタル大辞泉)


連携…互いに連絡をとり協力して物事を行うこと。(デジタル大辞泉)
       連絡を密に取り合って、一つの目的のために一緒に物事をすること。
                                                                      (大辞林 第三版)


協働…同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くこと。(デジタル大辞泉)
   同じ目的のために、協力して働くこと。(大辞林 第三版)


いずれも力を合わせることに相違ないのですが、繋がりの密度から言うと「協力<連携<協働」ということになるでしょう。

 

 

 

小学校を卒業した児童が中学校に入学する際に、送り出す側と迎え入れる側の担当者が児童の「教育課題」を引き継ぎます。

同様に、幼児教育の卒園者が小学校に入学する際にも同様の会がもたれます。

それらは「連絡会」と呼ばれるところもありますし、「連携会議」と呼ばれているところもあります。さてその内実は「連携」なのでしょうか。

「教育課題の引き継ぎ」は、単なる「連絡」に過ぎません。引き継ぎによってその子の課題が共有され、2つの校種が課題解決のために協力して取り組んだときに「連携」になるのです。

大事なのは「連絡」することではなく、「連絡」を出発点とした同一目的のための協力した活動です。私はそれをうまく組織している取り組みも知ってはいますが、極めて希な例です。

そう考えると、これは校種間「協力」の第一歩といったところでしょうか。

 

 

 

またしても、そもそも論になります。

小中にしろ保幼小にしろ、校種間連携はなぜ必要なのでしょう。

 

それは端的に言えば、子どもが感じている校種間の段差を低くするためです。

「段差」は「小1プロブレム」や「中1ギャップ」などの姿で顕在化してきました。その「段差」をできる限り取り除き、子どもの育ちを支える取り組みが校種間「連携」です。

 

 

私が校種間連携に意識的に取り組んだのは、今から四半世紀も前のことでした。

当時(40歳前後ごろ)、私は校内研修をリードしプロデュースする任にありました。

 

大切にしたことが2つあります。

1つは、幼稚園・保育所や中学校の先生たちと仲良くなることです。そしてもう1つは、共同企画の事業を成功させることです。

 

まず、仲良くなること。

建前はともかく、校種間の縄張り意識は案外根深くて子どもの「課題」を相手の責任にする空気がありました。

指導者間に不信感があるようでは、「連携」など到底あり得ません。

第一段階は、茶話会でもレクリエーションでもいいです。お互いに顔と名前が一致して、気軽に話しかけられる関係作りから始めます。

きわめて人間的な関係作りからスタートして、同じ校区の子どもを育てている仲間として意識できるところまでもっていきたいものです。

相互信頼は「連携」の前提条件です。

 

信頼関係は、一緒に1つのことに取り組むことで育っていくという側面もあります。

 

保幼小連携の中心課題は、話しことばの世界と書きことばの世界のスムーズな接続と設定しました。

小学校低学年の教師が幼稚園・保育所に出向き、粘土遊びや紙細工を「指導」する場を設定しました。幼稚園・保育所の先生と小学校の先生が仲良く話している姿は、子どもたちの安心・安定につながったようです。子どもたちは小学校の先生の訪問を楽しみ、小学校に進む日を心待ちにするようになりました。

幼稚園・保育所で担任していた先生に1年生の教室に入ってもらい、ひながらを一緒に「指導」するという場面を作りました。子どもたちは大はしゃぎです。

指導者がお互いの現場に立つことで自分たちの課題が明確になる……などというのは立案者の「助平根性」ですが。

 

中学校の先生には小学校6年生の子どもたちに「授業」をしてもらいました。

楽しい授業をリクエストすると、「中学校の授業をそんなものと認識されると困る」といった声もありました。それでも子どもが感じている「カベ」を取り除くためと説得して、「おどろきのりのり実験室(理科)」「ちょっと駅前留学(英語)」「数のマジック(数学)」「国って何だ!(社会)」の4授業が設定できました。子どもたちは自分の選んだ授業を受けました。

今では何でもないことですが、当時は出前授業がめずらしくて新聞に載るほどでした。その記事は、「自分たちの校区の中学校の先生の授業を一足早く受けることで『中学の授業に対する不安がなくなった』『中学生になるのが楽しみ』と、子どもたちは目を輝かせていた」と結ばれていました。

 

 

それから20余年が経ちました。

 

最近、「小中一貫教育」なるものが流行っているようです。

これはかつての「小中連携教育」の発展形ですから、中身は当然「連携」以上のものであるはずです。カリキュラムの一体化、授業の持ち合いなどなど。

しかしその実態は、「仏作って魂入れず」。私の耳目の及ぶ範囲においては、「小中一貫」などという言葉を口にするのも恥ずかしい、「連携」の緒にも就かないものがほとんどです。

言葉をもてあそんではなりません。

言葉遊びは、自己陶酔の世界を作り、真実の鏡を曇らせるばかりです。

 

子どもたちの健やかな育ちを支えるために、真の校種間「連携」が進むことを願ってやみません。

 

 

 

話しことばから書きことばへ ~保幼小連携のキモ~

今年度は、コロナ休校の影響で特別なスタートになりました。

6月に入ってから入学式を行なった学校もあったようですが、多く4月初めに入学式だけ済ませたようです。

休校中、学習プリントが配られました。それは1年生も例外ではなく、その中にはひらがな練習のプリントも含まれていたようです。

 

入門期の指導というものがあります。

鉛筆を持つまでに行う指導もありますし、鉛筆を持つときに行う指導もあります。そして、いよいよひらがなの練習に入ります。

ひらがな指導には、記号としての書字練習の要素と言語活動の手段としての文字習得の要素があると思います。通常は渾然一体に扱われるため、特に意識されることはないかもしれません。

1年生の1学期、ひらがな指導を軸に展開される指導の総体が「入門期」指導です。

 

ひらがなの書字練習のいくらかを家庭学習で済ませた子たちの「入門期」はどうなっていくのでしょう。

 

 

入門期指導の核は「書きことば」世界との出会い

そして、保幼小連携のキモは

「話しことば」世界から「書きことば」世界への橋渡し

 

幼児教育と学校教育の最も大きな違いは、言語活動の違いにあります。

 

小学校入学以前の言語活動は、「話しことば」(音声言語や動作言語)の世界です。

たとえば、「きのうのことを話してごらん」と言うと、

「きのうね、おかあさんとね、こうえんにいったの。」と帰ってきます。

 

小学校入学以後の言語活動は、「書きことば」(文字言語)が中心の世界です。

先の例で言えば、「話しことば」としては「きのう、お母さんと公園に行きました。」と「書きことば」的表現になり、「きのう、おかあさんとこうえんにいきました。」と文字化することになります。

 

私たち大人は、いつの間にか文字を覚えたと曖昧に記憶しています。

しかし、『ことばと発達』(岩波新書 1985年)の中で岡本夏木さん(京都教育大・当時)は、「その(「二次的ことば」、書き言葉のこと)習得上の努力と、ことばの背景にある異文化との出会いという点からすると、それに近い体験を私たちおとなの中に求めるなら、新たな外国語習得を必要とする時のそれに近いといえるかもしれない」と述べています。

「新たな外国語習得」に匹敵すると言われると、「入門期」指導のもつ意味の大きさがわかると思います。

 

岡本さんは、同書において「入門期」の言語活動の枠組みを次のように整理しています。

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従来(と言っても、1985年時点における「従来」です)の枠組は、話しことばをいかに書きことばに移していくかということに指導の重点がありました。

それに対して「新しい枠組」を提示し、こう述べています。

二次的ことば期では、ことばは三つの重層性をなすと考えられる。一つは、一次的話しこしばの延長における発達があり、その上に、二次的な話しことばと書きことばの層が成り立ってくる。そしてこれらの層の間の相互交渉過程の展開として、ことば指導を考えてゆく必要があると思われる。

 

岡本さんが提示する「新しい枠組」こそが保幼小連携のキモであり、「二次的ことば」の重層部分の指導が「入門期」指導の核になります。

 

具体的には…(私自身には低学年指導の経験がないのですが)

 

幼児期の子どもが絵を描いて、お話をします。

幼稚園・保育園の先生が、子どもに問いかけながらお話を膨らませてくれます。

子どもが話した言葉を拾って、絵に添えて書きとめる先生もいます。

 

幼児期の取り組みは、「入門期」指導に引き継がれます。

岡本さん提示の3重層最下部の「話しことば」は、幼児期の延長です。入学当初はこの部分が中心です。

中間の「話しことば」は、書きことば的話しことばになります。「公園に行ったの」と話す子どもの言葉を、「公園に行きました」と置き換えてやることで、書きことばの扉が開かれていきます。授業における先生の話しことばも、書きことばへ誘う重要な役割を果たします。

最上段の「書きことば」は、文字言語です。

(岡本さんの書かれている中身はもっと深いのですが、即物的につまみ食いしています。時間のあるときにじっくりとご一読を。『子どもとことば』という1冊もおすすめです。)

 

鉛筆で字を書くレディネスとして、指先を巧く使えることや手首を自在に動かせることなどがあります。

指先を使って紙を任意の形に破る、画材を使って波形や渦巻きを描くなど、幼児教育の遊びの中で取り組めることがあります。

これもまた、共通の理解と目標があれば連携の具体です。

 

幼児教育の担当者と入門期指導の担当者が、同じ目線で子どもの育ちを見つめたとき、2つの言語世界をめぐる連携の果実は質的にも量的にも豊かになると思います。

 

 

学校再開の中心に子どもがいますか? …第101投稿

ブログ開設から4カ月余り。昨日、投稿数が100に達しました。今回は「101番目の投稿」になります。

 

 

コロナ禍休校から3カ月。6月1日にやっと学校が再開しました。

 

気がかりなことがあります。

1つは、3カ月間も一斉に学校を休むという未曾有の体験が子どもたちにどんな影響を与えたのかということです。

もう1つは、子どもたちの学力は大丈夫なのかということです。

 

■未曾有の休校体験の後遺症

健康面に問題がなく登校意思があるにもかかわらず3カ月も続けて学校を休むという状況は、たぶん今回が初めてだと思います。学校制度が始まってから未曾有の休校体験をしたわけです。

未曾有の休校体験のあとには、未曾有の「休校明け症状」が起こるはずです。それがどんなものであるか誰にも分かりません。したがって、それに対する処方箋はなく、有効な手立てが準備されているとも考えられません。

 

推察の具としては、42日間の夏休み明けの子どもたちの様子が最もそれに近いものだと思われます。

夏休み明けに見られる特徴的な子どもの姿としては、

○ 休み前よりも一回り成長している。

○ 時間をかけてじっくりと課題に取り組んだ。

△ 課題をやり終えていない。

△ 基本的な生活のリズムが崩れている。

△ 1学期に習ったことを忘れてしまっている。

などが挙げられます。

一方、両者の違いとしては、

◎ 今回の休みの期間は夏休みの2倍超である。

◎ 学年がスタートしておらず、担任や級友との繋がりがほとんどない。

◎ 1年生に至っては、実質的には入学もしていない。

 

このたびの休校時期、経過からして、夏休み明けに見られるようなプラスの姿はまず期待できません。

 

マイナス要素については、再開から4日間に聞き及ぶところによると、

△ 休校中に配られたプリントをほとんどしていない。

△ 基本的な生活のリズムが崩れていて、すぐに疲れる。

△ 全学年に習ったことを忘れてしまっている。

などと、心配していたことがそのまま現実になっているようです。2日目以降、「体調不良」で休む子が絶えないとも聞きます。

 

問題はこれからの「回復」です。

夏休み明けの生活リズムの「回復」にも当然個人差がありました。1週間で戻る子もあれば、1カ月かかる子もあります。

今回の休校は夏休みの2倍超です。「回復」の予測がつきません。夏休み並みの子もあれば、夏休みの時の2倍を要する子もいるでしょう。もしかすると、それよりもっと長くかかる子がいるかもしれません。

担任や級友との関係の希薄さが、「回復」をさらに遅らせる要因になることも考えられます。

 

いずれにせよ、子どもたちは、大人のだれもが経験したことのない新学年を歩み出したのです。まったく予期しなかったことが起こったとしても、何の不思議もありません。

 

子ども一人ひとりのようすをつぶさに観ることから始めてください。

そして、子どもたちのありのままを、まずは受容してほしいです。

遠い先の目標も大事ですが、子ども目線のスモールステップを積み重ねることがそれに近づく近道だと信じています。

 

 

■学力格差拡大の危機

3カ月も休んだのですから、学習の遅れは当然です。

 

3月に配布された学習プリントは、その学年の振り返りプリントだったと思います。

4月以降に配布された学習プリントは、前学年の復習に加えて新学年の未習内容を含めたものが主になったと思われます。

 

未習内容のプリントを教科書などを使って自力で解いた子はどれほどいるでしょう。

子どものヘルプに対応できた家庭はどれほどあるでしょう。

分からないことが諦めにつながってしまった子はどれほどいるでしょう。

オンライン教材などでより高次の学びをした子はどれほどいるでしょう。

 

3カ月の休校期間中に「学力格差」(オックスフォード大学の苅谷剛彦さんは、「格差」容認論者がいることを踏まえて「学力不平等」と表現されます)は一層大きくなったと考えられます。

 

6月1日の学校再開直後、驚いたことが2つありました。

休校中にプリント学習をした単元を「既習」単元として扱う事例に出会ったことが1つ。

6月から年度末までの授業時数が年間計画の100%超確保できる見通しだという連絡を受けたことが1つ。

 

私は、今こそ授業の目線を「(プリント学習が)分からないことが諦めにつながってしまった子」に合わせるべきだ強く訴えたいと思います。

子どもを見てください。学習プリントができていない子は、前学年の学習の多くを忘れてしまっている子と重なっていませんか。さらに、家庭の支援が困難な子と重なっていることはありませんか。

かりにそれらすべてが重なった子がいたとして、それは子どもの責任でしょうか。

 

もっとも課題を多く持つ子に光を当てるのが公教育の努めです。

子どもの学習の「基礎体力」は前年度末よりも後退している。休校中のプリントの内容は一部の子にしか届いていない。学習理解には、従前以上の時間を要する。ーーと、私は見立てています。授業再開の前提として、「見立て」ではなく「検証」をお願いしたいです。

そして、もしも「見立て」のような現実があるならば、授業の組み立てもそれに応じたものにしなければなりません。休校中に広がったと懸念される学力格差が、授業によって増大されることなどあってはなりません。

 

「授業時数100%」の積算根拠は分かりませんが、時数100%と学習理解度は別ものです。理解度を前年度並みにするには、時数は100を大きく超える必要があるかもしれません。また、100%確保のために夏期・冬期休業を短くするとともに学校行事のあれこれを取りやめている可能性があります。削られた行事が子どもの学習意欲の低下に拍車をかけることにならなければいいのですが。

 

それにしても文科省の対応が遅いです。

きょう(6月5日)、小5は2年間で、4年以下は3年間で教育課程を再編しなおす通知を出すようです。再編したものが5月段階に出されていれば、学校現場の再開準備も違っていたでしょうし、不幸な再開を迎えることも避けられたのにと残念でなりません。

ただし、3カ月分を複数年度に割り振ったとしても、窮屈なやりくりが続くことに違いはありません。そこで登場するのが「学習活動の重点化」というものです。

「学習活動の重点化」は、校内でしかできない協働学習などに優先的に授業時間を使うというものです。文科省の「子供の学び応援サイト」には、国語では授業で課題設定をし授業以外で意見文を作成といった例を掲載するようです。

しかし、時数の不足分を家庭学習に振り替えることは、困難な子どもの困難度を増すリスクを伴います。一層の目配りが必要です。

 

学校は学びの場です。学びの主役は子どもです。教師は子どもの学びを支える黒子です。

学力格差(学力不平等)拡大の危機から子どもを救うのは、教師であるあなたの目線の位置です。