教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を①

このやり方でいけば、「すべての子がわかる・できる授業」は可能なのではないか。

 

教職を去るとき、私の中にはある思いの塊がありました。

 

2020年まで教職を続けていたら、もう少し断定的な文章を書けていたかもしれません。

現実には2015年3月に職を辞し、はや5年が経過しています。

 

 

「すべての子がわかる・できる授業」

それは、教職に就いてすぐの頃からの永遠の課題であり、現実問題としては青い理想論でした。

 

未だ五里霧中の状態ではありましたが、そのとき私には向かう先の景色ははっきり見えていました。

その景色とは、ユニバーサルデザイン化された授業の中で学び合う子どもたちの光景です。

授業のユニバーサルデザイン化という授業内容・授業方法からの改革と、「学びの共同体(協同的学び)」という授業形態からの改革が1つになった時、「すべての子がわかる・できる授業」の実現へと歩み出すと考えたのです。

 

 

道半ばどころか緒に就いたところで終えてしまったわが教職人生の続きを託して、「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」による授業改革を提起したいと思います。

 

 

 

「学びの共同体」①

 

 今回は、私の思索のなかで「学びの共同体」に至る過程をふり返ります。

 

2013年4月に書いた文章です。

 

■今なぜ論理力なのか■

 

 PISA(OECD生徒の学習到達度調査)2003年調査で日本の順位が下がり、「ゆとり」から「学力」への流れが一気に進んだ。


 PISA調査は、学校のカリキュラムをどの程度習得しているかを評価するものではなく、「知識や経験をもとに、自らの将来の生活に関する課題を積極的に考え、知識や技能を活用する能力があるか」をみるもので、「学校の教科で扱われる知識の習得を超えた部分まで評価しようとする」ものである。つまり、PISA的学力は、「実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるか」を評価するものである。


 それが、2007年度から始まった全国学力テスト、2011年改訂学習指導要領に色濃く反映されている。こうしたPISA学力との関連で、「論理力」や「論理的思考力」といったものが注目されるようになった。

 

 

 ところで、なぜPISA学力なのか。ここでは、佐藤学さん(東京大学〈著作刊行時〉)の「21世紀型の学校」を紹介することで、設問に対する答えとしたい。

 

 

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、経済のグローバリゼーション化が進行した。その結果、先進諸国では産業主義社会からポスト産業主義社会へと移行して労働市場が大きく変貌し、生産労働に従事する労働人口が激減し、知識情報産業の労働市場(情報、経営、金融)と対人サービスの労働市場(福祉、医療、教育、文化)が飛躍的に拡大している。この変化に対応して、知識が高度化し複合化し流動化しており、学校教育は生涯学習の基礎として、将来にわたって学び続ける基礎教養を形成し、学びの主体としての学習者を育てる必要に迫られており、創造的な思考や探求を行い、他者と協同するコミュニケーション能力を育てることを要請されている。


 「21世紀型の学校」は、「質と平等の同時追求」(引用者注:「質と平等の同時追求」については、次節■「学びの共同体」を作る■で詳述する。)を根本原理として構想されている。産業主義によって経済発展を遂げている途上国の教育改革は今なお「量」の達成(引用者注:「量」は従来のテストで測れる知識量のこと)が中心目的であるが、ポスト産業主義社会に突入している先進諸国の教育改革においては、「質と平等の同時追求」が教育改革の成否を規定する根本原理となっている。この根本原理を最も端的に示したのが、OECDによって2000年から3年ごとに実施されてきた国際学力調査(PISA調査)であった。
            (岩波ブックレット『学校を改革する』より)

 

 

 佐藤さんの文章は、専門書でなくても結構難しい。簡単に言うとこうだ。

 


 経済構造の変化によって、知識をたくさん持っている「学力」ではなく、「創造的な思考や探求を行い、他者と協同するコミュニケーション能力」をもった「学力」を要請するようになった。先進諸国の教育改革は今まさにその方向で進んでおり、その達成度を測るのがPISAテストだというわけである。

 

 

 いつの時代もそうなのだが、その時代の経済が求める人材が教育の有り様を規定してきた。知識詰め込みが間違いで、PISA型学力が正しいというのではない。今の経済がPISAを求めているということだ。

 

 

 PISA型読解力という言葉がある。そのPISA型読解力を育てるために、論理的に書かれた文章(説明文)を教材に、従来の読み取りに加えて「熟考」「評価」といったレベルの学習が展開されている。ここで育てようとしている力こそが、「論理力」なのだ。したがって、「今なぜ論理力か」という問いに対する解は、なぜPISAかの説明と全て重なる。

 

■「学びの共同体」を作る■

 前節「論理力を育てる」で、佐藤学さん(学習院大学『学校を改革する』刊行時〉)の「21世紀型の学校」について紹介した。「学びの共同体」は、「21世紀型の学校」を実現するための学校改革のヴィジョンであり哲学である。

 

 

 佐藤さんは、学びの共同体の学校のヴィジョンを次のように定義している。

 


「学びの共同体の学校は、子どもたちが学び合う学校であり、教師たちも教育の専門家として育ち合う学校であり、さらに保護者や市民も学校の改革に協力し参加して学び育ち会う学校である。」

 

 

 また、佐藤さんは、学びの共同体の学校改革を3つの哲学によって基礎づけている。公共性の哲学と民主主義の哲学と卓越性の哲学である。
 公共性の哲学とは、教室を開くことである。


 民主主義の哲学とは、子どもと子ども、子どもと教師、教師と教師の間に「聴き合う関係」を創造することである。


 卓越性の哲学とは、どんな条件であっても、丁寧さと細やかさを大切にして、最高の学びを追求することである。

 

 

 学びの共同体の学校改革は、上記のヴィジョンと哲学に基づき、その実現のために以下の3つの活動システムで構成される。教室における協同的学び、職員室における教師の学びの共同体と同僚性の構築、保護者や市民が改革に参加する学習参加の3つの活動システムである。

 

 

 以上、佐藤さんの著書『学校を改革する』より要約して紹介した。詳しくは、同書及び佐藤さんの数多い類書を参照していただきたい。


 ところで、学びの共同体の学校改革は学校ぐるみでなければ実現しない。ここでは、そのことはひとまず横に置く。私がここで紹介しようとしているのは、学びの共同体の学校改革の一歩として一人で取り組める授業改革である。佐藤さんの理論展開からすれば、3つの活動システムの「教室における協同的学び」についてである。今まで述べてきたことは、「協同的学び」の位置づけを知ってもらうための前置きと考えてもらえばいい。

 

 次回は、「協同的学び」についてです。