教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

あらためてICT教育を問う

私はデジタル教科書推進派でも何でもありませんが、世界がそういう方向に向かっていることは紛れもない事実です。 

「日本のICT教育は、先進国の中では周回遅れ」と言われています。

それを何とかしようと発足した「デジタル教科書の今後の在り方等に関する検討会議」ですが、どうも周回遅れを挽回する切り札にはなりそうもありません。

 

折しも、気になる新聞記事を目にしました。

 

朝日新聞 2021.5.26

多事奏論
ICT教育の根拠 「一見、よさそう」の危うさ

                   科学医療部次長 岡崎朋子

 

 小学生の娘が、学校から配られたiPadを使うようになってから2カ月がたつ。コンピューターを活用した教育を広げるため、文部科学省が進める「GIGAスクール構想」の一環だ。3月末までに、全国のほとんどの小中学校に1人1台分のパソコンやタブレット端末が配られた。
 アップルのスティーブ・ジョブズは家で子どもがiPadを使うのを制限し、読書や会話の時間を大切にしていたという。だから私も、娘が幼い頃からなるべくスマホiPadを遠ざけてきた。それなのに。
 娘は喜々として「今日はヤフーで『三角形』を検索した」などと教えてくれる。国は、この構想は学びを個別最適化し、創造性を育むと言うでも本当にそんなエビデンス (科学的根拠)があるのだろうか

 学びの質を研究してきた東大名誉教授の佐藤学さんに聞いてみた。「実は、ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンスはほとんどないのです」
 最も信頼できるのが、国際学習到達度調査 (PISA) の調査委員会が2015年にまとめた報告書だという。 先進国の集まりであるOECD加盟の3カ国のデータを分析すると、学校でコンピューターの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がっていたという。衝撃的な内容だ。
 PISAの担当者はその理由を二つ挙げる。一つは深い思考を育む先生と子どもの対話がコンピューターによって阻まれる可能性。もう一つは従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界だ。
 佐藤さんはこれに加え、今のICT教育の現場で使われるソフトの質を挙げる。答えを入力すると即座に○×が表示され、正解なら次に進むといったものも多い。
 「刺激と反応の学びは短期記憶にしかなりません。そもそもGIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育。協同で探究する学びに改革する必要があります」

 世の中には、「一見、よさそう」と思って導入したものの、実は効果がなかったということが結構ある。
 今から半世紀前の1976年2月。 米国の陸軍基地で1人の新兵が豚インフルエンザで亡くなった。 見つかったウイルスは、8年のスペイン風邪と同じH1N1型だった。パンデミック再来を恐れた当時のフォード大統領は、専門家の助言に従い、全国民2億人以上にワクチンを接種するという前代未聞の事業を決断した。
 接種は10月から始まり、4千万人以上がワクチンを打った。だがギラン・バレー症候群など多数の副反応が報告され、わずか10週間で事業は中止された。実際のところパンデミックは起きなかった。残ったのは、公衆衛生行政への不信感だけだった。
 検証報告書は、貧弱な証拠から組み立てられた理論に、専門家らの過信があったと指摘している。
 エビデンスがない政策は税金の無駄となるだけでなく、ときに害を与える。
 コンピューターに向かう時間が増えることが、子どもたちから深く思考する機会を奪うとしたら。その代償は計り知れない。私は子どもには、物事を多面的にとらえ、自分の意見をしっかり持った大人になってほしい。1人1台を進めるにしても、エビデンスのないまま広げ、貴重な学びの場が「実験台」になるのは勘弁だ。
 コンピューターに一切触れるなと言っているわけではない。 実はPISAの報告書には、ヒントとなりそうなデータもある。例外的に、オーストラリアではコンピューターを使うほど読解力が上がっていた
 日本のICT教育は、先進国の中では周回遅れだ。だからこそ、効果をあげている他国の例に学べるというメリットがある。ジョブズはこうも語っている。
 「教育の問題はテクノロジーでは解決できない。これは、政治の問題なのだ」

 

文部科学省が進める「GIGAスクール構想」は、学びを個別最適化し、創造性を育むと言う。

しかし「ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンス(科学的根拠)はほとんどない」(佐藤学氏)。

というのです。

 

佐藤氏は、その論拠としてPISA2015報告書の「学校でコンピューターの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がっていた」という事実を引きます。

その理由として、

深い思考を育む先生と子どもの対話がコンピューターによって阻まれる可能性PISA

従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界PISA

今のICT教育の現場で使われるソフトの質(佐藤氏)

の3点を挙げています。

その上で、「GIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育。協同で探究する学びに改革する必要」と結論づけています。

 

この短い文章において語られていることは、実に深いです。

 

そもそも、ICT教育が学力向上の切り札になどならないのです。「GIGAスクール構想」への根拠のない期待をまず捨てましょう。

しかし同時に、ICT教育はやり方次第で子どもたちに力(それは、「学力向上」の文脈における「学力」とは少し異質の「学力」)を付けることが期待されます。

 

PISAの分析や佐藤氏の指摘から言えることは、紙の教科書をデジタル化するだけではダメだ。もっと言えば、教え込み型の一斉授業が根底にある教育観ではダメだということです。佐藤氏が提唱してきた「協同的学び」(文科省の「協働学習」は似ているようで、異質)の教育観を、ICT教育の土台に据える必要があると思います。

佐藤氏の「協同的学び」については、「『学びの共同体』と『授業のユニバーサルデザイン化』で授業改革を」(2020年11月)ので取り上げています。あわせてご覧ください。

 

 

岡崎氏は、コラムの終盤に「オーストラリアではコンピューターを使うほど読解力が上がっていた」(PISA報告書)ことに触れ、ここに課題解決の糸口を求めています。

これもまた、示唆に富んでいます。

 

 

オーストラリアのICT教育について、ネット上で可能な範囲で調べてみました。

視察された時期、レポートされた時期が異なるため、必ずしもいま現在のオーストラリアを映しているとは言えません。しかし、それらの断片からいくつか見えてきたことがあります。

○日本が「GIGAスクール構想」で整備しているICT教育の環境は、オーストラリアでは10年以上前に整っていた。

○日本が取り組もうとしているアクティブ・ラーニングについて、オーストラリアではすでに10年以上の蓄積がある。

○オーストラリアではアクティブ・ラーニングを進めた結果、基礎学力が低下した時期があったという報告もある。現在は、学習の個別化と改善されたアクティブ・ラーニングに取り組んでいるというが、私には詳細不明。

○オーストラリアには、日本のようなこと細かな教科書検定制度はない。

○中学生・高校生は、プリインストールされたデジタル教科書とともにハードカバーの分厚い教科書を持っている。

○オーストラリアの教室は、U字型の机配置が基本になっている。これは、「協同的学び」が基本になっていることを意味すると思われる。

 

コンピューターを使うほど読解力が上がっていた」というオーストラリアの歩みは、間違いなく日本のこれからの「水先案内」になりそうです。

別の機会に深掘りしたいテーマです。