教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その80) ことわざ「猫に小判」

小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第22回は「猫に小判」です。教科書の表記は、「ねこに小判」となっています。

 

猫に小判

 

猫に小判」の読み方

 ねこにこばん

 

猫に小判」の意味

貴重なものを与えても何の反応もないことのたとえ。転じて、価値のあるものでも持つ人によって何の役にも立たないことにいう。(広辞苑

 

猫に小判」の使い方

「ちんふんかんの絶句律詩につづってしさいをこねましたによって猫(ネコ)に小判(コバン)を見せたやうでよひやらわるいやら」(『野良立役舞台大鏡(やろうたちやくぶたいおおかがみ)』1687年)

 

猫に小判」の語源・由来

猫に小判」 の語源・由来については、判然としません。

小判ですので江戸時代になってからの言葉と思われ、上方(京都)いろはかるたにも採用されています。

 

猫に小判」の蘊蓄

猫に小判」の類義語

猫に小判」の類義語については、日本語探訪(その25)ことわざ「馬の耳に念仏」(2021.4.19)を参照。

 

猫に小判」は江戸の世界、「豚に真珠」は聖書の世界

「豚に真珠」…高い価値あるものでもそれの分からない者には無価値に等しいことのたとえ。「猫に小判」と同趣意。(広辞苑

新約聖書』「マタイによる福音書」7章1節から6節
1「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
2あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
3あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
4兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。
5偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
6神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

 

 

日本語探訪(その79) ことわざ「泣きっ面に蜂」

小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第21回は「泣きっ面に蜂」です。教科書の表記は、「泣きっつらにはち」となっています。

 

泣きっ面に蜂

 

「泣きっ面に蜂」の読み方

なきっつらにはち 

 

「泣きっ面に蜂」の意味

泣いているときに顔を蜂に刺されて、いっそう辛い思いをする。悪いことが重なること、不幸な上にさらに辛いことが加わることのたとえ。(ことわざを知る辞典)

 

「泣きっ面に蜂」の使い方

 一と月余り通ったある日、淋巴腺が痛みだし腫れて発熱した。やがて化膿して痛みは去ったが腫れは引かず膿うみも容易にとまらなかった。勿もち論ろん神経麻痺の回復ははかばかしくはいかなかったので、全く泣き面に蜂だった。(和辻照『和辻哲郎とともに』1966年)

 

「泣きっ面に蜂」の語源・由来

「泣きっ面に蜂」は、ただでさえ不幸であるのに、さらに不幸が立て続けに起きる不運な状況を表現した言葉で、 江戸いろはかるたに採用されたことでよく知られるようになったことわざです。

いろはかるたにおいて、江戸時代は「泣く面を蜂が刺す」、明治時代前期は「泣き面を蜂が刺す」、昭和になって「泣き面に蜂」と変化していったようです。

本来は「泣き面に蜂(なきつらにはち)」ですが、今日では強調のため促音化した「泣きっ面に蜂」が多く用いられるようになりました。

 

「泣きっ面に蜂」の蘊蓄

「泣きっ面に蜂」の類義語

踏んだり蹴ったり」(ふんだりけったり)…不運や災難などが続き、さんざんな目にあうことにいう語。ふんだりけたり。(広辞苑
弱り目に祟り目」(よわりめにたたりめ)…不運の上に不運が重なること。(広辞苑

 

ふと、疑問が生じました。

「不運・災難」を言うのであれば、「踏んだり蹴ったり」ではなく「踏まれたり蹴られたり」ではないのか?

『日本人が気づいていないちょっとヘンな日本語』の著書である長尾昭子さんが、こんな説明をしておられます。

もともとは加害者側からの言い方で「踏んだり蹴ったりの目に遭わせてやる」だったものが、被害者側の言い方である「踏んだり蹴ったりの目に遭わされた」となり、それが省略されて「踏んだり蹴ったり」となったのではないかといわれています。

 

日本語探訪(その78) 故事成語「一挙両得」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第22回は「一挙両得」です。

 

一挙両得

 

「一挙両得」の読み方

 いっきょりょうとく

 

「一挙両得」の意味

一つの事をして二つの利益を収めること。一石二鳥。(広辞苑

 

「一挙両得」の使い方

 どうだい。それなら僕の主意も立ち、君の望も叶う。一挙両得じゃないか。(夏目漱石『野分』1907年)

 

「一挙両得」の語源・由来

「一挙両得」の出典は、『晋書(しんじょ)』「束皙伝(そくせきでん)」 です。

 

ある男が二頭の虎を退治しようとしたところ、別の男がまずは虎同士を戦わせるようにと助言を行いました。虎同士が戦うことにより一頭は勝ち一頭は負ける、つまり生き残った一頭のみを倒すことで男は二頭の虎を仕留めたことになると。このエピソードが「一挙両得」の言葉の由来となっています。

 

※由来の出典が示されている資料が見つかりません。

『晋書』に出てくる「二頭の虎」の話は、次のものではないかと思います。

春秋時期魯國勇士卞莊子敢于只身同老虎搏斗,他聽說山上有兩只老虎就想去打,朋友勸說等兩只老虎爭食時再下手可以一舉兩得。他耐心等到大老虎為了吃到黃牛而咬死小老虎,覺得這時時機已成熟,輕易地打死那只大老虎。

 

※ウェブ上で 「一挙両得」の出典として紹介されているのは、すべて次のものです。

賜其十年之復,以慰重遷之情,一挙両得,外実内寛大。

(其の十年の復を賜ひて、以て遷る重るの情を慰むれば、一挙両得ならん、…。)

これについて調べてみると、およそ次のとおりです。

又昔魏氏徒三郡人在陽平頓丘界、今者繁盛、合五六千家。二郡田地逼狭、謂可徒還西州、以充辺土、賜其十年之復、以慰重遷之情。一挙両得、外実内寛、増広窮人之業、以闢西郊之田、此又農事之大益也。

武帝・恵帝の時代の束晳が農業政策について進言した。『人口に比べて耕地が狭く、人々には仕事がありません。昔、魏氏は人々を西の方に移住させて辺境の地を充実させました。これこそ一つの事をして二つの利益を得ることです。』晋は民を移住させ農地の拡大をはかった。」といった文脈です。 

 

『晋書』において上記2つの引用文がどう関係しているか、確認できていません。文脈から察すると、上段の引用部分の後に(連続しているかどうかは分かりませんが)下段の引用部分がくると思われます。 

 

「一挙両得」の蘊蓄

中国生まれの「一挙両得」 、イギリス生まれの「一石二鳥」

「一石二鳥」は、元々は17世紀にイギリスで生まれた「kill two birds with one stone.」=ひとつの石で鳥を二羽殺す、というということわざです。この日本語訳を略して「一石二鳥」という言葉になりました。

 

 

「一挙両得」の対義語

「虻蜂取らず」

「二兎を追うものは一兎を得ず」

一挙両失

「福島みんなのNEWS」で八重樫一さんが書かれている記事です。

【一挙両失】 いっきょりょうしつ
何かひとつの行為によって、それとともに二つのことで損失を生じることを表わした四字熟語です。
この反対が【一挙両得】です。こちらは『東観漢記:トウカンカンキ』耿弇(コウエン)伝にでています。

【一挙両失】は、『戦国策』燕策にでています。

戦国末期、燕国第43代目の王喜(オウキ:B.C.254~B.C.222)の時のお話です。

燕の西隣にある趙を攻めるにあたり、名将樂毅(ガッキ)の子である樂閒(ガッカン)に意見を求めました。
樂閒は、趙は戦争なれして、何倍の軍勢をしても攻められないと言いました。
王喜は激怒して趙を攻めました。
燕は大敗し、樂閒は趙へ亡命してしまいました。

燕王・王喜は書簡をもって樂閒に詫び、再び燕を助けてほしいと懇願しました。

 本より以て寡人の薄きを明らかにするを為さんと欲して、
  もともと私の薄徳を(天下のい)表明したいと考えてのことであったとすれば、
  
 而も君、厚きを得ず、
  (そうしたところで)あなたは情の厚い人だとの評価を得られるわけではなく、

 寡人の辱を揚げて、
  また、私の恥を(天下に)宣伝したいとのことであれば、

 而も君、榮を得ず、
  (そうしたところで)あなたは榮譽を得られるわけではない。

 此れ一挙して両失するなり。
  となれば、これは一挙に二つのことを失うことになる。

燕王の諄々たる懇情にも、樂閒は自分の考えを採用してくれなかったことを怨んで、ついに、趙国にとどまり返事を出しませんでした。
最終的に、燕はB.C.222年 秦に滅ぼされます。

自分が善く思われようとして、他人を悪しざまにいうことはよくあることですが、
それは同時に自分もまた同じレベルで愚劣であることを明かしていることになります。
両者にとって何も得るものはない。つまり【一挙両失】です。

『戦国策』には、「一挙両附」という言葉も出てきます。

 「一挙両附」は「一挙両得」と同義で、「一挙両得」の『晋書』よりも前に登場しています。

 

 

 

日本語探訪(その77) 故事成語「一日千秋」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第21回は「一日千秋」です。

 

一日千秋

 

「一日千秋」の読み方

 いちじつせんしゅう

 

「一日千秋」の意味

非常に思い慕うこと。また、待ち遠しいこと。(広辞苑

 

「一日千秋」の使い方

子どもの頃は、遠足の日を「一日千秋」の思いで待っていたものだ。 

 

「一日千秋」の語源・由来

「一日千秋」の出典は、『詩経』 (中国最古の詩集です。BC12世紀~BC6世紀、約600年間の詩が305編集められています。)の「王風」に収められている詩「采葛(さいかつ)」です。

 

采葛
彼采葛兮,一日不見,如三月兮。
彼採蕭兮,一日不見,如三秋兮。
彼採艾兮,一日不見,如三歲兮。

【読み方】

采葛(さいかつ)
彼采葛兮(かさいかつけい)

一日不見(いちじつふけん) 如三月兮(じょさんげつけい)

彼采蕭兮(かさいしょうけい)

一日不見(いちじつふけん) 如三秋兮(じょさんしゅうけい)

彼采艾兮(かさいがいけい)

一日不見(いちじつふけん) 如三歲兮(じょさんざいけい)

【読み下し文】

葛(くず)を采(と)る

彼(か)の葛(くず)を采(と)る。
一日 見ざれば,  
三月(さんげつ)の如し。

彼(か)の蕭(よもぎ)を采(と)る。
一日 見ざれば,  
三秋(さんしう)の如し。

彼(か)の艾(よもぎ)を采(と)る。
一日 見ざれば,  
三歳(さんさい)の如し。

【現代語訳】

あそこでカズラを採りましょう。
一日お会いできねば、
三カ月も経ったかのよう。

カワラヨモギを採りましょう。
一日お会いできねば、
三つの秋を越したかのよう。

あそこでヨモギを採りましょう。
一日お会いできねば、
三年離れ離れであったかのよう。

 

「一日三秋」がもとの言葉です。「秋」は「年」の意です。

「一日千秋」は、「一日三秋」が変化したものです。

 

「一日千秋」の蘊蓄

「一日千秋」の類義語

一日三秋

三秋の思い

一刻千秋

 

「一日千秋」の対義語

十年一日(じゅうねん‐いちじつ)…長い年月の間少しも変わらず同じ状態であること。

日本語探訪(その76) 慣用句「骨を惜しむ」

小学校3・4年生の教科書に登場する慣用句の第30回は「骨を惜しむ」です。教科書の表記は、「ほねをおしむ」となっています。

  

骨を惜しむ

 

「骨を惜しむ」の読み方

 ほねをおしむ

 

「骨を惜しむ」の意味

労苦をいとう。骨惜しみをする。骨を盗む。(広辞苑

 

「骨を惜しむ」の使い方

「父に、何事にも骨を惜しむなと言われた」 

 

「骨を惜しむ」の語源・由来

「骨を惜しむ」の語源・由来については不明です。

 

 「骨」には、「ほねのおれること。労苦。困難。」(広辞苑)という意味があります。「労苦を惜しむ」ということから、苦労・労苦を嫌がって仕事などを怠けることを表します。

 

「骨を惜しむ」の蘊蓄

「骨を惜しむ」と「骨身を惜しまない」

この場合の「骨」と「骨身」は、どちらも「労苦」という意味です。

「骨を惜しむ」は「労苦をいとう」です。「骨惜しみする」とも言います。

「骨を惜しまない」と使えば、「労苦をいとわない」という意味になります。

「骨身を惜しまない」は「労苦をいとわない」ことで、「骨を惜しまない」と同じです。

それでは、「骨身を惜しむ」は「骨を惜しむ」と同義かと思いきや…。

「骨身」は「惜しまない」と使いますが、「惜しむ」という使い方はしません。「骨身を惜しむ」という言葉はないのです。

 

「サボる」

よく使う「サボる」は、「骨を惜しむ」の類義語です。

「サボる」は、カタカナ表記から分かるように、外来語です。もとの言葉は、「サボタージュ(sabotage)」というフランス語です。

サボタージュはフランス語で破壊行為を意味します。元々の言葉は安価な木靴を意味するサボであり、産業革命によって失業した労働者が履いていたサボと引っかけて「物事を壊す」「仕事を失う」意味で使われていました。やがて、労働争議の一環として行われる機械設備の破壊行為をサボタージュと称するようになり、そこから更に怠ける行為が加わりました。

 

「骨休」

「骨休(ほねやすめ)」とは、「仕事のあいまにからだをやすめること。休息すること。休養。ほねやすみ。」(広辞苑)です。

「骨」=「ほねのおれること。労苦。困難。」を休むわけです。

「骨を惜しむ」のとは、根本的に違います。

日本語探訪(その75) 慣用句「骨身に応える」

小学校3・4年生の教科書に登場する慣用句の第29回は「骨身に応える」です。教科書の表記は、「ほね身にこたえる」となっています。

  

骨身に応える

 

「骨身に応える」の読み方

 ほねみにこたえる

 

「骨身に応える」の意味

寒さや苦しみなどを強く感ずる。身にしみて感ずる。(広辞苑

 

「骨身に応える」の使い方

 忠告が骨身にこたえた。

 

「骨身に応える」の語源・由来

「骨身に応える」の語源・由来については不明です。 

 

「骨身」とは、「骨と肉。転じて、全身。」(広辞苑)を指します。

「骨身に応える」=「全身に応える」で、「応える」程度の大きさを表す表現となっています。 

 

「骨身に応える」の蘊蓄

「骨身」の蘊蓄

日本国語大辞典」には、「骨身」の意味を次のように記しています。

1 骨と肉。転じて、からだ。また、からだと心。全身。
2 からだを使う面倒。心身こめた働き。

 

1 骨と肉。転じて、からだ。また、からだと心。全身。」は、上に述べた繰り返しになります。

骨身に応える」=「全身に応える」で、「応える」程度の大きさを表す表現となっています。 

同様の言葉に、「骨身に沁みる」があります。「うれしさや苦しさを、体の中までしみとおるほど強く感ずる。身に沁みる。」(広辞苑)という意味です。

「骨身に沁みる」=「全身に沁みる」で、「沁みる」程度の大きさを表す表現となっています。 

 

「骨身」=「2 からだを使う面倒。心身こめた働き。」の言葉とは…。

前回登場した「骨身を削る」はどうでしょう。

骨身を削る」とは、「体がやせ細るほど一所懸命に事に当たる。身を削る。」(広辞苑)という意味す。

「骨身を削る」は、「からだがやせ細るほど苦心や努力(からだを使う面倒)する 」さまを表しています。

同様の言葉に、「骨身を惜しまない」があります。「苦労をいとわない。」(広辞苑)という意味です。 → 次回、「骨を惜しむ」で登場します。

 

日本語探訪(その74) 慣用句「骨身を削る」

小学校3・4年生の教科書に登場する慣用句の第28回は「骨身を削る」です。教科書の表記は、「ほね身をけずる」となっています。

  

骨身を削る

 

「骨身を削る」の読み方

 ほねみをけずる

 

「骨身を削る」の意味

体がやせ細るほど一所懸命に事に当たる。身を削る。(広辞苑

 

「骨身を削る」の使い方

骨身を削って努力した結果、合格する事が出来た。 

 

「骨身を削る」の語源・由来

「骨身を削る」の語源・由来については、はっきりしたことは分かりません。

私の仮説ということで…

力の限り努力するという意味の四字熟語に、「粉骨砕身」があります。

「粉骨砕身」は、唐時代の禅僧「永嘉大師」が書いた禅宗の経典『禅林類纂(ぜんりんるいさん)』に出てきます。

「粉骨砕身未足酬 一句了然超百億」

【読み下し文】

粉骨砕身も未だ酬(むく)ゆるに足らず、一句(いっく)了然(りょうぜん)として百億を超う。

「骨身を削る」 ・「 身を粉にする」 ・「 骨を折る」などの語は、「粉骨砕身」が伝わった後に派生して生まれたものではないかと考えられます。 

 

「骨身を削る」の蘊蓄

「骨身」のつく言葉

骨身にこたえる → 次回に登場します
骨身に沁みる…うれしさや苦しさを、体の中までしみとおるほど強く感ずる。身に沁みる。(広辞苑
骨身を惜しまない苦労をいとわない。広辞苑