小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第6回は「犬も歩けば棒に当たる」です。教科書の表記は、「犬も歩けばぼうに当たる」となっています。
犬も歩けば棒に当たる
「犬も歩けば棒に当たる」の読み方
いぬもあるけばぼうにあたる
「犬も歩けば棒に当たる」の意味
物事を行う者は、時に禍いにあう。また、やってみると思わぬ幸いにあうことのたとえ。(広辞苑)
「犬も歩けば棒に当たる」の使い方
本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味でした。
浄瑠璃・蛭小島武勇問答(ひるがこじまぶゆうもんどう)(1758)三「じたい名が気にいらぬ、犬様の、イヤ犬房様のと、犬も歩けば棒にあふ」
現在では、「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われています。
雑俳・三番続(さんばんつづき)(1705)「ありけば犬も棒にあたりし・夜参の宮にて拾ふ櫃(ひつ)の底」
「犬も歩けば棒に当たる」の語源・由来
犬がふらふら街中を歩いていると、棒で殴られたり追われたりする光景をいったもののようです。
「犬も歩けば棒に当たる」の蘊蓄
「犬も歩けば棒に当たる」はよく知られたことわざであると同時に、よく分からないことわざです。
よく知られている理由は、「犬も歩けば棒に当たる」が「江戸いろはガルタ」の最初の札に採用されているからです。「江戸いろはガルタ」は、別称「犬棒(いぬぼう)カルタ」とも言います。
よく分からないのは、「犬も歩けば棒に当たる」には「でしゃばると災難にあう」(災難説)と「思いがけない幸運がある」(幸運説)という殆ど真逆の意味があるからです。
「犬も歩けば棒に当たる」の由来ははっきりしません。
出典を「江戸いろはガルタ」に求めている人もいますが、正しくありません。「江戸いろはガルタ」ができたのは、嘉永年間(1848-1854)頃と推定されています。
1705年に「幸運説」の使用文献、1758年に「災難説」の使用文献が残っています。2つの文献だけではどちらの説が古いかは断定できません。確かに言えることは、江戸いろはガルタが成立するより以前に、「犬も歩けば棒に当たる」は「災難説」と「幸運説」の両方で使われていたということです。
しかるに、「災難説」が「本来の意味」とされているのはなぜでしょう。
「犬棒カルタ」の絵は、犬が棒に当たって顔をしかめているものが多いということです。それが災難説が「本来の意味」の根拠になっているようです。
それにしても、なぜ「犬」なのでしょう。
徳川綱吉が将軍職にあったのは、1680年から 1709年までです。その治世の後半に「生類憐れみの令」が登場します。(「生類憐れみの令」については、「『生類憐れみの令』を授業する」①、②、③、④、⑤、⑥、⑦をご覧ください)
「幸運説」の文献は1705年で、まさに「生類憐れみの令」がエスカレートしていた時代です。そして、「災難説」の文献の1758年は「生類憐れみの令」が廃止されて半世紀後です。
「生類憐れみの令」と「犬も歩けば棒に当たる」の直接の関係は証明できませんが、時代背景としては推測の具になるかと思います。