教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

学びの創造

世界遺産学習 法隆寺(その15+)五重塔構造模型完成

法隆寺五重塔構造模型 法隆寺五重塔の構造模型が一応完成しました。 以前公開した1層目までの構造模型 土台部分 心柱、四天柱、側柱 1層目の骨組み 1層目の構造を下から見上げる 垂木を付ける 裳階(もこし)の一部を作って、「つっかい棒」である「邪鬼…

世界遺産学習 法隆寺(その15)五重塔と東京スカイツリー

五重塔と東京スカイツリー 法隆寺五重塔が創建された時代に、「耐震構造」という言葉はありませんでした。そういう考え方自体なかっただろうと思います。 しかし、1300年後の現代から振り返ってみると、法隆寺五重塔は地震による倒壊がなかった。つまり、す…

世界遺産学習 法隆寺(その14)裳階

裳階(もこし) 裳階(もこし)とは何でしょう。 仏堂・仏塔などの軒下壁面に取り付けた庇(ひさし)状の構造物。法隆寺金堂や五重塔の初層、薬師寺三重塔の各層などにみられる。雨打(ゆた)。裳階(しょうかい)。 (大辞泉 ) 建物の軒下壁面のひさし風にさし出…

世界遺産学習 法隆寺(その13)五重塔の構造

五重塔の構造 法隆寺五重塔の構造については、「濃尾・各務原地名文化研究会」HPの記事を引用して紹介します。(同研究会のコンテンツは「複製、編集、加工、翻訳等、自由に利用」可です。なお、同記事中に使用されているイラストは、『法隆寺』に掲載され…

世界遺産学習 法隆寺(その12)飛鳥人の美意識(装飾)

飛鳥人の美意識(装飾) 法隆寺五重塔の一層目を組み立てると、このようになります。5㍉の角棒を使っていますので、縮尺を戻して60倍すると30㌢角になります。なお、一番上の井桁組は2層目のベースになります。 やや下から見上げると、こんな感じになりま…

世界遺産学習 法隆寺(その11)飛鳥人の美意識(エンタシス)

飛鳥人の美意識(エンタシス) 7世紀終わりに再建が始まった法隆寺。 693年ごろに、まず金堂が建造されました。 そのあと、710年ごろに五重塔が再建されたと思われます。 心柱が立ち、基壇ができあがると、いよいよ初層の建造です。 「ウッディジョー」社の…

世界遺産学習 法隆寺(その10)飛鳥人(あすかびと)の道具

飛鳥人(あすかびと)の道具 法隆寺五重塔が作られたころの道具のはなしです。 木を伐る ヨキ(マサカリ) 木はヨキ(マサカリ)を使って伐採しました。 さらに、伐った原木の丸太は、クサビを打ち込んで2つに割りました。 柱の心に木の心があると割れやす…

世界遺産学習 法隆寺(その9)心柱②

心柱② 法隆寺五重塔では、舎利の上、地表から約1.2mあまり下に心柱を受ける礎石(心礎=しんそ)が据えられています。 心礎の上に心柱が立つと、舎利は開封できなくなり、心柱が釈迦を象徴するものとなります。 「心柱はいちばん太い根本で3尺(約90㌢)ち…

世界遺産学習 法隆寺(その8)心柱①

心柱① 五重塔のルーツがインドのストゥーパにあることは前々回に述べました。 ストゥーパは、仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るための塔です。 法隆寺の五重塔も、仏舎利を納めるために建てられました。その仏舎利は、心柱(しんばしら)の下にあります。 心柱は基…

世界遺産学習 法隆寺(その7)日本の五重塔

日本の五重塔 江戸時代の終わりまでに建立され、現存する五重塔は、全国で22あります。 そのうち国宝は9塔、あとの13塔は重要文化財です。 № 名称 所在地 建立年 総高 文化財指定 1 法隆寺五重塔 奈良県生駒郡 711年頃創建607年 32.45m 国宝 2 室生…

世界遺産学習 法隆寺(その6)五重塔とは何か

五重塔とは何か いよいよ(というより、やっとのことで)五重塔の登場です。 そもそも「五重塔」とは何なのでしょう。 「Wikipedia」の記事より引きます。 五重塔五重塔(ごじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つ。層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、五重の…

世界遺産学習 法隆寺(その5)世界最古の木造建築②

世界最古の木造建築② 「日本最古の本格的仏教寺院」飛鳥寺は、平城京遷都ののち移転されて元興寺となりました。このとき、飛鳥寺に使われていた建築材も運ばれ再利用されました。瓦もそのまま使われ、一部は現在に至っています。しかし、建築物として当時の…

世界遺産学習 法隆寺(その4)世界最古の木造建築①

世界最古の木造建築① 我が国における本格的な伽藍配置をもつ初期の仏教寺院は、次の3つです。 飛鳥寺 造営開始588年 創建596年 四天王寺 593年 600年ごろ? 法隆寺 600年ごろ? 607年 飛鳥寺は、明日香村HPで「日本最古の本格的仏教寺…

世界遺産学習 法隆寺(その3)いかるがの里のいかるが寺

いかるがの里のいかるが寺 法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にあります。 「斑鳩」は「いかるが」と読みます。(ふつうの漢字の知識では読めませんが) 「デジタル大辞泉」から引きます。 いかるが【斑鳩】【一】奈良県北西部、生駒郡の地名。かつてイカルが群…

世界遺産学習 法隆寺(その2)厩戸王(聖徳太子)

厩戸王(聖徳太子) 法隆寺と言えば聖徳太子。 「キオスクは駅の中、そんなの常識」と同じくらい、常識。 ところが、近年はその常識が揺らいでいるのです。 今回は、聖徳太子にスポットを当てます。 まずは、聖徳太子の系図。(「日本の歴史アップデート」よ…

世界遺産学習 法隆寺(その1)世界遺産・法隆寺

世界遺産・法隆寺 法隆寺が世界遺産に登録されたのは1993年のことでした。 世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて世界遺産リストに登録された、文化財、景観、自然な…

世界遺産学習 法隆寺(その0)

はじめに この冬(2022年2月)、法隆寺五重塔の模型を作りました。 それ自体はほとんど思いつきのようなものです。 製作した五重塔は75分の1スケールで、部品数約1000、標準所要時間50時間というかなり精巧なものです。 同時に、60分の1スケールの構造模…

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を⑧

「授業のユニバーサルデザイン化」④ 国語教材のUD化をめざす「教材のしかけづくり」 教材にしかけをつくるというのは、「教材の安定を崩す」ということです。 水の入ったコップが机の真ん中にあれば(安定していれば)、特に何も感じません。しかし、コッ…

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を⑦

「授業のユニバーサルデザイン化」③ 今回も、「授業のユニバーサルデザイン化」をすすめるための具体的な手立てを紹介します。 教科は国語、領域は「文学」です。 テキスト(参考文献)には、『国語授業のユニバーサルデザイン』(桂聖著、東洋館出版社、201…

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を⑥

「授業のユニバーサルデザイン化」② 今回は、「授業のユニバーサルデザイン化」をすすめるための具体的な手立てを紹介します。 教科は国語、領域は「説明文」です。 テキスト(参考文献)には、 『授業のユニバーサルデザインvol.4』(授業のユニバーサルデ…

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を⑤

「授業のユニバーサルデザイン化」① 「すべての子がわかる・できる授業」に向けた私の授業改革において、「学びの共同体(協同的学び)」は授業形態からの改革アプローチでした。 それに対して「授業のユニバーサルデザイン化」は授業内容・授業方法からの改…

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を④

「学びの共同体」④ 「学びの共同体」をめざして ~教室革命事始め~ 1 はじめに ~今やらずに、いつやる~ 2 教室風景が変わる (ここまでは前回をご覧ください) 3「ゆうすげ村の小さな旅館」(東京書籍)の授業から (1)「ゆうすげ村…」で何をめざすか ①…

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を③

「学びの共同体」③ 「学びの共同体」事始めです。 2013年6月執筆の実践記録を紹介します。 「学びの共同体」をめざして ~教室革命事始め~ 1 はじめに ~今やらずに、いつやる~ 岩波ブックレットから佐藤学さんの『学校を改革する』が発行されたのは、昨…

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を②

「学びの共同体」② 学びの共同体の学校のヴィジョン 「学びの共同体の学校は、子どもたちが学び合う学校であり、教師たちも教育の専門家として育ち合う学校であり、さらに保護者や市民も学校の改革に協力し参加して学び育ち会う学校である。」 学びの共同体 …

「学びの共同体」と「授業のユニバーサルデザイン化」で授業改革を①

このやり方でいけば、「すべての子がわかる・できる授業」は可能なのではないか。 教職を去るとき、私の中にはある思いの塊がありました。 2020年まで教職を続けていたら、もう少し断定的な文章を書けていたかもしれません。 現実には2015年3月に職を辞し、…

「生類憐れみの令」を授業する⑦

「生類憐みの令」や綱吉について、あなたの意見をまとめましょう。 わくわくするような設問です。 切り口がいくつもあります。 どの子が、どんな切り口で挑んでくるでしょうか。 ここからは、私の雑感です。 まず、綱吉について。 「犬公方」「犬将軍」など…

「生類憐れみの令」を授業する⑥

「生類憐れみの令」第3部 第3部では、「生類憐れみの令」の起源や廃止について触れます。 将軍綱吉は、なぜ「生類憐みの令」を出したのでしょうか。これには諸説あります。 綱吉は迷信ぶかくて、「将軍に世嗣が生まれないのは前世で殺生したからだ」というよ…

「生類憐れみの令」を授業する⑤

「生類憐れみの令」第2部② 人々が野犬に対する警戒を強めると、今度は飢えた犬同士が食い合うようにもなります。じっさい、やがて江戸市中ではそういう事件が相次いで起こるようになりました。犬同士が食いつきあった結果一方の犬が死んだりしたら、誰が罰…

「生類憐れみの令」を授業する④

「生類憐れみの令」第2部① 第2部では、「生類憐れみの令」の対象を犬に限定して追求します。 江戸幕府は犬を保護するために、江戸の町人たちにまず「犬毛付書上帳」(いぬけつけかきあげちょう)という犬の戸籍簿のようなものを作らせました。 下谷坂本町 …

「生類憐れみの令」を授業する③

「生類憐れみの令」第1部③ 生類憐みの令の時代には、金魚を金魚鉢に飼うことについてはどうだったのでしょう。 生類憐れみの令の時代と言わずとも、これは評価が割れる問題ですね。 金魚鉢に金魚を入れて世話をすることは、間違いなく金魚を可愛がる行為で…